彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国福建省「泉州(刺桐城)」に行く❺―「聚宝街(じゅほうがい)」という泉州の一角

2017-03-05 05:31:08 | 滞在記

 泉州はかって城壁に囲まれていた。いくつかの城門があり、その中で最大の城門は南に位置する門であった。その南の門の外に栄えた街が「聚宝街」(じゅほうがい)だった。「聚」とは「集まる」という意味で、「宝が集まる街」という街の意味となる。泉州が世界三大国際港として最も繁栄していたころ、外国人や庶民の、それこそ国際的で大規模な市場が開かれていた場所のようだ。露店市場からすぐのところに、南門の跡地があり、その門址の南方に隣接して「聚宝街」という泉州の一角があった。

 この街、なにか独特の雰囲気を醸し出す場所だった。歴史と伝統の息づく街とでもいおうか。後頭部の髪飾りがとてもきれいなおばさん。髪の後ろを撮影させてもらった。この髪飾りをした女性を見たのは、三人目だが いったいどんな人たちの飾りなんだろうか。「牡蠣(かき)」の身を殻から出していた。春節や元宵節(小正月)の時に使われたような大きなバルーンが街の入り口にあった。

 この街の信仰をあつめているような小さな道教のお堂があった。このお堂には、遥か5000年前の「夏王朝」の時代から近代までの「中国庶民の信仰を集める」何人もの偉人が祀られているようだった。

 ここの町並みは樹木も多く なにか歴史的な庶民の街を感じさせる。教会に立ち寄ると、礼拝をしている人の姿があった。ここ泉州はキリスト教の教会も多い町らしい。小さい子どもたちが素朴で可愛らしい。マフラーなどをほおかぶりしているおばあさんの姿などは、日本の田舎や地方でかってよく見られた姿そっくりだ。

 エプロン姿をしたおじさんが団子を作っていた。小さなコンクリートミキサーのような金属機械の中に小麦粉がたくさん入っていて、この中に団子を入れて機械をゆっくり回転させると、団子に小麦粉が満遍なくまぶされるようだった。店頭で買ったけっこう立派な蟹をおばさんが見せてくれた。なにか しばらく住みたくなるような街の風情がある。

 この街に「李贄故居」という家があった。「李贄(り・し)」とは初めて聞く名前だった。鶴田さんは知っているようだった。日本人には「李卓吾(り・たくご)」(※号)という名で知られているとのこと。家の中は小さな資料館になっていた。李卓吾の胸像があった。

 李卓吾についての説明や「人民日報」の記事、彼の著作などが陳列されていた。

◆李贄(号は李卓吾)  1527年〜1602年に生きた人。日本の戦国時代末期から安土桃山時代の人だな。人民日報や説明版などには「近代思想の先駆的啓蒙者」と紹介されていた。「陽明学左派」にあたる人らしく、日本の明治維新にも影響を与えた人のようだ。日本の幕末時代、吉田松陰は李卓吾が書いた書籍を読み、いたく感銘し その影響もうけたらしい。