彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国福建省「泉州(刺桐城)」に行く❹―ビジネスホテルの食堂では--- / 近くの露店市場

2017-03-04 14:04:53 | 滞在記

 開元寺を後にして元に来た「西街」の通りを歩く。雨が降りやんできた。「亜佛春餅老舗」という店の店頭で女性が上手に食べ物の皮を薄く薄く作っていた。熟練の神業だった。鶴田さんが事前に調べていた、通りの一軒の店に案内されて、夕食の第一弾を食べる。ちょうどお腹も空いてきていて、とても美味しかった。少し通りを歩くと、時計塔があった。4つの時計があり、そして信号も4つ付けられていた交差点。しゃれている。その交差点を南に行くと「中山路」という通り。この通りがとてもいい雰囲気だ。街路樹が繁り、レンガ造りの商店街が続く。鶴田さんが「ここの商店街の建築の造りは、台湾にある建築とよく似ています」とのこと。2階が突き出ていて、その下の1階部分が商店街の店頭前歩道となっている造りだ。

 商店街で赤い服ばかりを売っている小さな服店があった。この地方の結婚式で花嫁がよく着る式服もあった。夕食の第二弾ということで、「深濾名粳館」という食堂に案内された。有名なB級グルメの店らしい。うるち米(モチ米)を使った料理があるようだ。食べてみたら これもこれでとても美味しかった。

 食後、バスに乗り 今夜泊まるビジネスチェーンホテルに向かう。ホテルの近くの交差点の塔がライトアップされていた。よく見ると「楽器を持った飛天」が何体も見えた。ホテル前で、世話になった学生の蔣さんとさようならをする。この夜、8時頃から 鶴田さんと ホテルの部屋でビールを飲み乾杯する。

 翌朝26日(日)、午前4時起床。宿泊している「如家酒店」という全国チェーンのビジネスホテルの部屋は 中国のビジネスホテルにしては、なかなか綺麗で広い。料金は、ツインベットの部屋を一人で泊まって、一泊151元(約2500円)。朝食も料金内に入っているということで、食堂(一応レストラン)の開店7時すぎに鶴田さんとともに1階に行った。すると、もう大勢の客がいて 座れる席がない。立って食べている人も数人いた。なによりも驚いたのは、食べるものも何もなかった。朝食食堂が開店して5分くらいしかたっていないのにである。手持ちぶたさもあり、外にタバコを吸いに出る。10分ほどたったら新しい食べ物が運ばれてきたが、あっという間に 他の大勢の客に取られてしまい わずかに残されていたお粥と漬物のようなものだけを食べた。なにせ ここの食べ物は、お粥もふくめ4〜5種類しかないバイキング。

 ようやく30人〜40人ほどの団体ツアー客が 外の駐車場にある小型バスに移動していったら 席が空いたので座ってお粥と漬物だけの朝食を食べていると、残っていた数名の団体客と店の人達が 指を突きつけながらの激しい喧嘩口論を始めた。私が座っている席の横で唾を飛ばしながら 激しく言い合っている。なかなか止まらない。体で食べ物を囲み、唾が入らないように気をつけながら食べることになる。一旦は 止まった口論も また再び始まる。何のことで喧嘩しているんだろう。食べ物が少ないということが原因だろうか。中国語が堪能な鶴田さんに「何が原因で喧嘩になっているの?」と聞いたが、この地方の方言「閩南語」での口論なので もう一つわからないとのことだった。団体ツアーバス発車の時刻が迫ったようで、15分間ほどで激しい口論が終わり静かになった。

 朝食後、鶴田さんと 歩いて15〜20分くらいのところにある「天后宮」に向かう。「天后宮」に続く道路には露店市場が開かれていた。野菜・魚・鳥・果物・肉類など さまざまなものが売られていた。花屋があったが、この店は 中国の花屋にしては花の種類が少し多い。角がついた山羊の頭部まで売られていた。

 生きている鶏のそばには、しめられた鶏の羽を抜いている女性、きれいに揃えられて売られているイカや靴。この地方の笠をかぶり商いをする女性など。

 露店の女の人たちのなかで、頭髪の後頭部にきれいな飾りをつけている女性もいた。この地方の風習の一つなのだろうか。いろいろな果物を自転車の荷台に 載せて売っている若い女性の姿も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中国福建省「泉州(刺桐城)」に行く❸―発掘された宋時代の大型船体を見る /悪魔の果実

2017-03-04 07:17:01 | 滞在記

 開元寺の境内を歩くと、もう一つの塔が見えてきた。ここも修復中だが上部の方がよく見えた。ある堂の前に、この寺の中興の祖らしい僧の胸像があった。

 境内には、「銀木星(ぎんもくせい)」が多い。花の盛りの秋には、いい匂いが境内全域を香るのだろう。亜熱帯の花らしい白い花も咲いていた。鶴田さんが「あれは、ドリアンの木ですよ」と指さしてくれたので、見上げるとドリアンの実がついている。「ああ、ドリアンのこれが木ですか」と驚いた。初めて木についているドリアンを見た。

 このドリアンは「フルーツの王様」と呼ばれている。別名は「悪魔のフルーツ」「熱帯果実の魔王」。主に熱帯地方に見られる果樹。中国名は「榴莲(リュウリエン)」。とにかく「強烈に臭い」。世界一臭い果実のようだ。バスに持ち込むことは禁止されているし、ホテルへの持ち込みもだめのようだ。私も何回か勧められて食べたことがあるが、味はまあまあなのだが 食べる時にちよっとした覚悟を要した。病気の時に食べるととてもいいらしい。中国のスーパーや果物店では 普通に売られている。これを好きな人はけっこう多いようだ。大人の頭の大きさの1.5倍〜2倍くらいの大きさで、硬く大きな棘(とげ)に覆われたこの果実が木から落ちてきたら、その下にいたら怖いなあ。

 鶴田さんが「開元寺の境内の一つの建物に泉州湾古船陳列館がある」というので行ってみた。泉州でぜひ見たかったものの一つだったが、ここにあることに少し驚いた。「泉州福建省海外交通史博物館」にあると思っていたからだ。

 宋の時代の沈没船が1974年に泉州港で発見され発掘調査された船の実物だった。船体の下部がすべて残っていた。大きな錨(いかり)も残っていたようだ。船の「帆」の一部が復元されていた。竹と植物の茎で編まれていた。

 発掘当時の写真や説明、映像、模型などが陳列されていた。船の内部を断面的に表した大きな模型もあった。

 泉州が「世界の三大港」の一つとして最も栄えたのは「元」「宋」の時代。1200年代~1300年代となる。遥かヨーロッパ・アラビアなどからの船も多く来たのだろう。日本の平安時代末期の平清盛政権の財政基盤の一つは日宋貿易だった。このため福原港(神戸)が開かれた。当時、ここに日本の大型船も来たのだろうな。ここに港が栄えた理由の一つは、中国茶の生産地が近くにある(福建省は中国茶の最大の産地)ということもあったが、1400年代に入り「海岸線の後退」が進んだため大型船の利用が難しくなり、明の時代となると 近くの「厦門(アモイ)」や「長楽(福州)」の港にその地位が変わっていったようだ。

 古船陳列館での見学を終え、寺の入り口に向かう。手芸飴や風船で作った面白いものを売っている若い男の人。近所の小学3年生くらいの男の子が白鳩にエサをあげていた。屋根の瓦に止まる鳩と屋根の飾りが見事だな。

 境内を出ると人力自転車が何台も止まって客待ちをしていた。この泉州の街は、街中に「人力自転車」がとても多い。小さな「公共バス」も運行されていた。なにか ほっとさせられる泉州という街。