開元寺を後にして元に来た「西街」の通りを歩く。雨が降りやんできた。「亜佛春餅老舗」という店の店頭で女性が上手に食べ物の皮を薄く薄く作っていた。熟練の神業だった。鶴田さんが事前に調べていた、通りの一軒の店に案内されて、夕食の第一弾を食べる。ちょうどお腹も空いてきていて、とても美味しかった。少し通りを歩くと、時計塔があった。4つの時計があり、そして信号も4つ付けられていた交差点。しゃれている。その交差点を南に行くと「中山路」という通り。この通りがとてもいい雰囲気だ。街路樹が繁り、レンガ造りの商店街が続く。鶴田さんが「ここの商店街の建築の造りは、台湾にある建築とよく似ています」とのこと。2階が突き出ていて、その下の1階部分が商店街の店頭前歩道となっている造りだ。
商店街で赤い服ばかりを売っている小さな服店があった。この地方の結婚式で花嫁がよく着る式服もあった。夕食の第二弾ということで、「深濾名粳館」という食堂に案内された。有名なB級グルメの店らしい。うるち米(モチ米)を使った料理があるようだ。食べてみたら これもこれでとても美味しかった。
食後、バスに乗り 今夜泊まるビジネスチェーンホテルに向かう。ホテルの近くの交差点の塔がライトアップされていた。よく見ると「楽器を持った飛天」が何体も見えた。ホテル前で、世話になった学生の蔣さんとさようならをする。この夜、8時頃から 鶴田さんと ホテルの部屋でビールを飲み乾杯する。
翌朝26日(日)、午前4時起床。宿泊している「如家酒店」という全国チェーンのビジネスホテルの部屋は 中国のビジネスホテルにしては、なかなか綺麗で広い。料金は、ツインベットの部屋を一人で泊まって、一泊151元(約2500円)。朝食も料金内に入っているということで、食堂(一応レストラン)の開店7時すぎに鶴田さんとともに1階に行った。すると、もう大勢の客がいて 座れる席がない。立って食べている人も数人いた。なによりも驚いたのは、食べるものも何もなかった。朝食食堂が開店して5分くらいしかたっていないのにである。手持ちぶたさもあり、外にタバコを吸いに出る。10分ほどたったら新しい食べ物が運ばれてきたが、あっという間に 他の大勢の客に取られてしまい わずかに残されていたお粥と漬物のようなものだけを食べた。なにせ ここの食べ物は、お粥もふくめ4〜5種類しかないバイキング。
ようやく30人〜40人ほどの団体ツアー客が 外の駐車場にある小型バスに移動していったら 席が空いたので座ってお粥と漬物だけの朝食を食べていると、残っていた数名の団体客と店の人達が 指を突きつけながらの激しい喧嘩口論を始めた。私が座っている席の横で唾を飛ばしながら 激しく言い合っている。なかなか止まらない。体で食べ物を囲み、唾が入らないように気をつけながら食べることになる。一旦は 止まった口論も また再び始まる。何のことで喧嘩しているんだろう。食べ物が少ないということが原因だろうか。中国語が堪能な鶴田さんに「何が原因で喧嘩になっているの?」と聞いたが、この地方の方言「閩南語」での口論なので もう一つわからないとのことだった。団体ツアーバス発車の時刻が迫ったようで、15分間ほどで激しい口論が終わり静かになった。
朝食後、鶴田さんと 歩いて15〜20分くらいのところにある「天后宮」に向かう。「天后宮」に続く道路には露店市場が開かれていた。野菜・魚・鳥・果物・肉類など さまざまなものが売られていた。花屋があったが、この店は 中国の花屋にしては花の種類が少し多い。角がついた山羊の頭部まで売られていた。
生きている鶏のそばには、しめられた鶏の羽を抜いている女性、きれいに揃えられて売られているイカや靴。この地方の笠をかぶり商いをする女性など。
露店の女の人たちのなかで、頭髪の後頭部にきれいな飾りをつけている女性もいた。この地方の風習の一つなのだろうか。いろいろな果物を自転車の荷台に 載せて売っている若い女性の姿も。