敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

ニュースの断片考

2020年05月26日 | 身辺雑記
歴史上の人物の生きていた頃を
僕らは大抵知らない。

織田信長は力にものを言わせる
新しもの好きで敵が多く、
豊臣秀吉は小者の位置から
天下に上りつめた小賢しい猿、
満を持して長期政権の礎を築き、
てんぷら食って死んだ徳川家康
・・・と勝手に思い込んでいる。

ひどく雑とも言えるが、
断片でも知られているのは幸いか。
……さすが偉人。

さて「歴史」とまではいかない、
五年前……の5月26日に
とある元プロ野球選手が亡くなった。
その共同通信報が以下だ。

《プロ野球南海(現ソフトバンク)などで
内野手として活躍した富田勝氏が
26日午後5時32分、肺がんのため
大阪市の病院で死去した。68歳。
大阪府出身。(中略)
法政大では山本浩二氏、田淵幸一氏とともに
活躍して「法政三羽がらす」と呼ばれた。
1969年にドラフト1位で南海に入団。
70年には23本塁打を放った。
73年から巨人に移籍。76年に日本ハムへ移り、
77年から2年連続で打率3割以上。
81年から中日でプレー、82年に引退》
※中略は葬儀の情報

字数に限りのある中まとまっている。
ただ富田を知っている世代としては
何とも歯がゆい文章である。

まず冒頭「南海など~」と書いたのは
入った最初の球団だからか?
ホームラン23本など実績も残してはいる。
或いは際立って長く在籍した、
若しくは目立って活躍したチームがない
場合は「最初のチーム」を表記する
社内規定があるのかもしれない。

繰り返すが字数制限もあろうし、
「訃報」にドラマはいらない。
それを解った上で少し書けば

「法政三羽がらす」の他の二人、
のちにミスター赤ヘルと呼ばれた山本、
ホームラン・アーチストの田淵が
活躍する一方で、当時人気のなかった
パのユニフォームに袖を通した富田。
73年セの、しかも球界の盟主である
巨人に移ったものの、そこには長嶋茂雄。
控えに回った背番号25の悲運の歩みには
ある種の感慨がある。

というか、「ミスター」の後継者として
ジャイアンツに富田は移籍してきた。
その長嶋が引退し監督になった75年、
さぁいよいよ本領発揮かと思われたが、
その新監督と反りが合わず、
それもあってか成績も振るわなかった。
またチームも史上初の最下位に沈み、
シーズン終了後、再びパ・リーグへ移る。

皮肉にも、この年のオールスターで、
セは3番山本、4番王、5番田淵という
クリーンアップを組んでいる。

山本は首位打者とともにMVPを戴冠。
さらにチームはリーグ初優勝を果たし、
「ミスター赤ヘル」の称号も生まれた。



通算13年のプロ野球での選手生活で
平均打率.270、本塁打107本を記録、
史上二人目の全球団から安打を放った
富田勝の半生を語りたかったんじゃない。

彼の訃報記事を読んで、ふと、
あ、歴史として知る我々の事実って、
こういう部分が抜けて伝わる・・・
ってことが多いのかもな、と思い、
メモしたまま「下書き」にあった文章を
巣籠生活のなか認めて、リライトしたら
長くなっちゃった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする