敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

『血のように真っ赤な夕陽』巡演/長野こぼれ噺

2021年07月29日 | 制作公演関連

無事に帰京した『血のように真っ赤な夕陽』班。

オフィシャルから、こぼれた話を綴るの巻。

 

 

駒ヶ根の観光マップの上に高遠の名物

「子亀まんじゅう」。

信濃の南、上伊那地域は伊那市を中心に

駒ヶ根市、上伊那郡の三町三村。

桜が有名な高遠も以前は郡のなかの町、

だったのだが2006年合併して今は伊那市。

 

ホテルでは養命水が売られていた。

あの、養命酒は1602年上伊那に生まれ、

翌年には徳川家康に献上。

本社は1956年東京に移したけれど、

駒ヶ根には今尚工場があり稼働している。

(中川町にあった操業地の工場はなく、

72年新設の駒ヶ根で歴史は繋がっている)

 

 

上田のホテルのロビーには当然のごとく真田。

だが、個人的には玄関に並んだ人形たちの中の

キリンに注目しちゃうわけである。

 

 

最後のまちガクト松本のホテル近くには相澤病院。

そう、スピードスケートの小平奈緒

(2018年平昌五輪・女子500m金メダル、

1000mレース37連勝など)の所属先である。

ちなみに松本は、岳都・楽都・学都の

三つのガクトを掲げている。

 

 

そういえば……、東京2020+開会式の日にゲネ、

翌日長野入りしたのだった。

ニュースとダイジェストでメダルラッシュは知っている。

 

それはそれとして。東京の蒸し暑さパンパない。

 

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『血のように真っ赤な夕陽』巡演/松本公演

2021年07月28日 | 俳優座

上田から小雨の中、松本へ。

やはり峠を越えて。……昨日の話。

 

サントミューゼも大きかったが、

さらに大きな松本芸術館。

楽屋が13まであり、別にアトリエふたつ、

ラウンジなどが舞台の裏に広がっている。

裏がそうだから、客席ロビーも巨大。

そしておしゃれ。

 

 

まつもと市民劇場例会は27日夜、28日昼と二回公演。

カーテンコールでは、出演俳優全員に花束、地酒、

米に味噌などなどをいただきました。

COVID-19禍を鑑み、個包装のおやきやお弁当も、

上記とは別に楽屋に届きました。

 

極めつけは、大きなスイカ。

冷蔵庫の仕切りを全部外してようやく収まりました。

松本市波田地区のブランド品。

隣は、前公演地の上田でいただいたリンゴジュース。

写真はありませんが、朝どれきゅうり、トマト等々

長野の「美味」を満喫した二日間。

 

そして熱量の高い拍手、拍手、拍手。

搬出のあと「信濃国」で見送られ、その際に記念撮影も。

 

 

ただいま帰りの貸切バス。

後ろ髪引かれまくりの帰京ですが、

8月前半、神奈川県下で『血のように真っ赤な夕陽』を

待つ人々がたくさんいるのだ。

・・・旅はまだまだ続く。

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『血のように真っ赤な夕陽』巡演/上田公演

2021年07月26日 | 俳優座

駒ヶ根から、地図でいえば

上田に向かって上ってゆくかたち。

 

高速道路を岡谷で降りて、

トンネルを抜けると、そこは諏訪。

新和田トンネル有料道路を経る約3時間の

大型バス移動は、清々しい好天の峠越え。

 

 

辿りついたのは上田市交流文化芸術センター。

隣接する美術館、芝生広場を含む総称が

「サントミューゼ」というのだそうだ。

2014年にできたばかりのホール。

 

 

ロビーも、めっちゃ広い。勿論ピッカピカ

客席との間にある、音もれ灯りもれを防ぐ前室が

これまた驚くほどに広かったりもする。

機構をみると音楽ホールに寄っていることがわかる。

ホールのエントランスにも音楽の公演の写真がズラリ。

 

 

よく見ると写真にはワークショップなども。

で、振り替えれば楽器を揃えた練習室もあり、

なるほど、音楽に注力した劇場であることは事実。

 

そんなJTの工場跡地にできた美しい劇場で

18:30開演。上田市民劇場の例会でありました。

・・・前例会クリアで迎えていただきました。

    

明日は松本へ。

最後に広いロビー、別角度を添えて。

 

 

 

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『血のように真っ赤な夕陽』巡演/駒ケ根公演

2021年07月25日 | 俳優座

アルプスを臨むまち駒ケ根から旅は始まった。

 

 

7月25日(日)15時開演、駒ヶ根文化会館にて。

奥の、アルプス連峰の雄大さを思わせる建物が会場。

手前の広場には噴水。多くの子どもたちが遊んでいた。

が、トリミングで、ほぼカット。

 

平和と文化の像が青空の下に立ち、

友好都市50周年の碑は木漏れ日のもとに。

・・・以前も書いたが静岡県磐田市と

長野県駒ヶ根市は霊犬早太郎のえにし。

 

さて『血のように真っ赤な夕陽』

この夏の巡演は、長野の南、上伊那地域で幕開け。

そして座組のなかには初めての旅公演になる役者が三人。

先輩が、それを祝うのがしきたりだ。

開場30分前の集合の際に……。

 

 

それから約三時間後……

今度は我々が観客から温かい拍手をいただいた。

鳴り止まず、ダブルカーテンコールとなった。

8月下旬まで続く旅の、これ以上ない開幕となった。

 

自信をもって、明日以降、さらに良い舞台を紡いで行こう。

明日は、真田の里・上田だ。

 

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『血のように真っ赤な夕陽』巡演出発

2021年07月24日 | 俳優座

7月25日(日)駒ヶ根市

7月26日(月)上田市

7月27(火)、28日(水)松本市

『血のように真っ赤な夕陽』長野県巡演。

 

その準備を埼玉県志木市で22、23日。

パルシティ(ゲネ開催の劇場名)越しの青空。

 

作者の古川健さんを含め関係者限定で観ても頂いた。

前述、長野のあと8月上旬にまわる神奈川演鑑、

周辺の練馬や町田、浦和など周辺の演劇鑑賞会、

などなど60名超に見守られての2時間35分(休憩含)。

 

そして本日、感染拡大防止の一環で、鉄道を避け

PCR陰性のメンバーが、かつ密を避けて座り、

大型バスで、いざ信濃国へ・・・

 

旅立ちにちなんで、劇中の草鞋をパシャ

・・・旅立ちといえば、出発を「でっぱつ」という人がいます。

いかにも業界用語っぽいけれど。

航空の世界の、と誰かに聞いて、しかも「Departure」と掛かっていると。

個人的にはCAと「でっぱつ」がそぐわない気が……。

あるいはヤンキーの。それは判る気がする。

 

とにもかくにも、いってきます。

 

 

 

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きりんのちゃわん

2021年07月23日 | 身辺雑記

『地のように真下な夕陽』志木でのゲネ。

昼を会館近くのラーメン屋で食べて、

隣の器屋さんが気になり、ふらりと。

 

 

ねこ柄はよくあるが、まさかのキリン。

当然、購入である。

 

各地の焼き物も揃えているが、奥には窯もあり、

店の半分は陶芸教室のスペースと、大きな店舗。

その外観。

 

 

帰宅後にググったら、創業100年を超える老舗

「うつわ荒井屋」と知る。

四代目店主の荒井将仁さんは数々の賞を得ていて、

店を継ぐにあたり修行した瀬戸・美濃の作家物から

普段使いのうつわまで、幅広い品揃え。

また〈用と美〉にこだわったオリジナルのうつわも並べている。

・・・鼻が利いたな。

 

見知らぬ土地で、吸い寄せられるように入る店。

「あらい」では店主は不在ながら、店員さんと少し会話。

良かったら窯を見ますか、と誘われひょこひょこ奥へ。

巨大な電気窯があり、ビビッドなマグカップも……。

 

今思えば、あれらは四代目の作品だったのだ。

さて、長野三都市でも、こんな出会いはあるかしらん。

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『血のように真っ赤な夕陽』ゲネ小屋入り

2021年07月22日 | 俳優座

冒頭の写真がカパルくんで、ブログタイトルが

【『血のように~』ゲネ小屋入り】だと

数日前に、やはりカパルくんの軽四フォトで

【『血のように~』ゲネ小屋打ち】とアップしたから

デジャヴを引き起こしそーだな、と反省しつつ。

 

7/13の二枚目の写メもやはりパルシティ外観。

今回は、搬入口をなめて管理棟を。

前回はホールの正面でした。

 

管理棟には、カパルくんのグッズコーナーが

これでもか、と並んでいて、以下は一部に過ぎない。

 

昼は会館近くの蕎麦屋にて、もりを食したが、

テレビではソフトボール、日本対メキシコ。

・・・公演準備に追われ、頭の隅に行っていた

「大型のスポーツ大会」が始まっていたのだな。

さんざんバタバタしていたけれど、

直前でさらに辞任騒動……一連の流れに

恥ずかしさより魔女狩り的な恐怖を感じる。

 

さておき。

『血のように真っ赤な夕陽』は本日、仕込だ。

そして、甘言で大陸に渡った庶民の困窮に光を当てた

本作の登場人物たちと、オリパラに関わった人々に

ある共通項を見いだしてしまうのは、

『血のように~』に初演から携わったからだろうか。

それとも・・・

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雲海の高知

2021年07月18日 | 制作公演関連

 

雲海にたたずむ高知城。

が、客室の窓から望めるホテルで

17日から18日に開かれた四国市民劇場総会

(四国四県六団体の鑑賞会による総会)。

 

 

言うまでもなく、俳優座の制作者として参加

……したのだけれど、カテゴリーは「制作公演関連」。

あえて、そうしたのは以下本文から見えるだろう。

 

 

17日朝の羽田。好天。四国へ向かった。

 

その機中でつらつら考えるに、四国行は2004年以来。

ただ、その年は今治、松山、阿南、鳴門、徳島、高松、

そして丸亀の三県七都市を巡ったので、

高知県となると、なんと1999年! 前の世紀になる。

いずれも、別の劇団にいた時の話だ。

ずいぶん御無沙汰していた、、、ぜよ。

加えて99年は陸路で四国に入った記憶なので、

高知龍馬空港に降り立ったのは、人生初だ。

 

 

話が前後するけれど。

ANA機は、四国の太平洋上の高知間際で雲中に。

パイロットが操縦器を巧みに操るのが伺われた。

そして着陸間際、小さな窓を雨が打った。

空港では、くもり。

ホテルの送迎バスで向かう道すがらは晴れ間も見え、

それが市街地の路面電車を横目にする中で数分強い雨。

オリエントホテル着時には小降り。

 

 

要は、天気が猫の目だった。

22年ぶりの高知行は、思えば僕個人の時間の、

起伏とも重なる二日間であった。

 

そうそう。

四国の総会も、起伏に富む会議になった。

あくまで私見だが、でもそれは良い意味で

このブロックの特色だとも言える。

こまごま語ると長くなるので、ここまで。

 

帰りも雨。

空港へ向かうマイクロからの写メ。

 

 

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志木で迷子、朝霞で吃驚。

2021年07月16日 | 身辺雑記

前々回のブログでも使った写真を使いまわし。

・・・志木のマルイ。

駅前は随分賑々しかったが、ちょいと離れたら

昔の面影満載であった。

竹内の家もこんな路地にあったという記憶だが、

結局たどりつけずに終わった。

そりゃ30年以上昔だものな。

そもそも、あの「アパート」自体がない

その可能性が強いと、数日経って思う。

と、グイグイ飛ばしていますが、

前回と前々回の弊ブログを読んでいないと

チンプンカンプンのはずだ。

 

まず竹内とは、倉敷出身の中国哲学文学科の級友で、

四年後故郷に帰り、中学の先生になった男である。

ほかは解説を割愛して続けます。

元気のないひまわりが咲く一軒家の脇も

通ったように思うから、記憶は不思議。

入り組んだ路地に迷い込んで、脳内も迷子…。

歩いてもいない道を歩いたように混濁する。

ある意味恐ろしい。

恐ろしいといえば、志木から朝霞の散歩中、

閉まった店を多く見かけた。

上は、潰れて改装されている店舗。

内装業的には仕事になっていいのだけれど。

ここから、ビックリした話。

 

隣駅まで歩いて、食事に入った中華屋で

熱く語っている男性が二人いた。

遠いテーブルだったが、時折力が入ると聞こえる。

「月光の夏、あれは最高の映画!」

繰り返しになるが、距離があるので、

途切れ途切れに、短いセンテンスがたまに聞こえ、

どうやら戦争映画について会話している様子。

二人は先に入店していたから、

私のテーブルに餃子が運ばれた頃には席を立った。

勇気を出して、会計を終えた二人に声を掛けた。

 

「映画ではなく、演劇の『月光の夏』に以前関わっていた」

と。

古巣の劇団が・・・特攻に行く前に、

ベートーヴェンの『月光』を弾いて、知覧から飛んだ。

実話をもとにした作品・・・を上演していた云々を手短に。

 

どちらかといえば地味な作品だけに、

会話にのぼったことに驚いたけれど、

向こうは向こうで吃驚したはずである。

 

7月13日のこと。

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志木朝霞余話

2021年07月15日 | 身辺雑記

 

13日、志木に小屋打ちに行ったと書いた。

仕事であった。

 

さて、個人的には志木の隣の朝霞台駅

(東武東上線。JR武蔵野線北朝霞駅と交差)

の教養学部に通っていた。

ので、志木に下宿していた友人もいた。

いたと言っても30年以上前だから、

昨日めちゃくちゃ久しぶりに降り立ち、

志木駅前の変貌ぶりにウチヒシガレたりもした。

 

一方、朝霞台(及び北朝霞)の安定感?

まず駅前が基本変わっていなくて。

特に

30年以上前に新築されたAX-1が健在。

もちろんテナントは変わっていたけれど…。

冒頭の写真が、その外観だ。

JRを背にした駅前ロータリの、上の一枚では

左にその姿を刻んでいる。

 

JR北朝霞のガード下にあり、よく入り浸った

ロッテリアも元気に営業中。

かたや、東上線朝霞台駅下のカレーのC&Cは

おむすび屋さんに姿をかえていた。

 

と、ここまでくれば、

キャンパスを拝まないわけには行かない!

 

駅を背に坂を下って、左に曲がれば黒目川沿いに

「ここ6号館ね」と先輩から教わったラブホがあり、

 

橋のたもとには日建総業の本社。

今は手広く事業展開をしているが、当時、我々は

クラスメートの中村に「金になる」と、

金町の浄水場の貯水プールの水を全部抜き、

たまった泥を吸い上げた。

今や某テレビ局の看板番組になっているけれど、

あんなことを1990年代にやっていたな~。

 

と、ここまでは順調だったのだが・・・

憐れ、我が朝霞キャンパスは工事中。

ただ、こうして壊されているとはいえ、

辛うじて姿を拝めたのは、まだよくて・・・

学食や生協のあった3号館は、スーパーのヤオコーに、

4号館は、医療センターになっていた。

時の流れやな~。

 

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