瀬崎祐の本棚

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詩集「国境とJK」  尾崎守侑  (2016/11)  思潮社

2017-01-18 22:12:58 | 詩集
 第1詩集。97頁に21編を収める。福間健二、中尾太一の栞が付く。
 誰もがこの詩集タイトルには何らかの意外感を抱くのではないだろうか。しかし、なぜ、意外感を抱く?
 ”JK”という言葉は、おそらく10年後には意味が伝わらなくなっているだろう。その意味からはまさしく今という時によって支えられている言葉である。そして、”国境”。場所を現代の人為によって区切っている。このようにこの詩集タイトルは今という限定した時間と場所によって成り立つなにかを背負っている。このあまりの思い切りの良さが意外感をもたらしているのではないだろうか。

 作者にとっては不本意なことかも知れないのだが、作品は心地よく読めるものだった。とても素直なのであった。たとえば「れいこ」。

   れいこは南極だ あるいは北極 つめたい水をもった偏西風がカース
   テレオをぬらす朝 僕のれいこが世界の端と端で不適切に結ばれる 
   アンタゴニストが執拗にぼくを責める

 れいことの関係は嘘であったり愛であったりするのだろう。どれも本当のことであり、れいこがぼくを訪ねてくれるのかどうかは、訝しい。ぼくは、受け入れたいのに拒絶を選んでしまう不安定さで揺れている。それでは、アゴニストはぼくに何をするというのだろうか。

 大学生活に材を取った「純情三角」も、混じりけのない感情が渦を巻いているような作品。

   車の助手席からみあげた
   夏の大三角はまだ、瞬いていて
   運転手さん、その曲がり角
   そうその直角の部分で
   一直線にわたしを切り裂いてください

 心の揺れは、具体的な身体の現象に置きかえないと、いつまでも信じられるものにはならないのだろう。初々しいと言ってしまってもよいような澄んだ感覚が心地よいのだ。

この詩集のカバーも、まるで携帯小説集を思わせるようで見事だった。さて、JKは国境を越えてどこまでも歩いて行けるのだろうか。
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