第2詩集。125頁に27編を収める。
「フラミンゴ」は、細くうす赤い脚で立ち続けているフラミンゴと、おそらくは折り紙で作られた鳥たちが詩われている。フラミンゴは「眠りのあいだ/木のように/夜のしずくを吸いあげて」おり、紙のいきものは「息をつくたび ほどけていこうとする/その桃色のいのちの首もとで今/どうやって/夜の色をせき止めているのか」と問いかけられている。
あるはずのない私の体の底の井戸の
くらい水のたてる音からは
ついに起き上がることのできないまま
水辺の鳥たちは
夜明けを前に
自分の体の
上手な折り目を探している
引用部分が多くなってしまったが、ついそうなってしまうほどに美しい修辞が至るところにある。この作品も表現は細やかで、夜の静けさの中でいのちがたてる微かなもの音を、耳を澄ませて聞きとろうとしているようだ。
このほかの作品でも、鳥、動物、魚があらわれる。それらはそれぞれの有り様で話者の生命を照らし、その光の屈折が陰影を生んでいる。
タイトル詩「標本づくり」では、わたしは「彼女の とある一日の/標本」を作っているのだが、彼女というのは、第三者的に私が見ている自分なのだろう。だから、その標本を作ることによってわたしはやっと安心できるのだ。
彼女の 石膏でできた頭のなかのつめものが
すべてのものを通り抜けて
見たことのない植物の景色を
見ている夕べ
彼女の一日をとじる糸を探しながら
いつのまにか わたしが
この部屋の
景色そのものになって 立っている
これらの詩編を書くことによって標本となっていくのは作者自身であるだろう。それは、これまでの自分の身体を潤していた水から離脱していくようなことなのかもしれない。
「フラミンゴ」は、細くうす赤い脚で立ち続けているフラミンゴと、おそらくは折り紙で作られた鳥たちが詩われている。フラミンゴは「眠りのあいだ/木のように/夜のしずくを吸いあげて」おり、紙のいきものは「息をつくたび ほどけていこうとする/その桃色のいのちの首もとで今/どうやって/夜の色をせき止めているのか」と問いかけられている。
あるはずのない私の体の底の井戸の
くらい水のたてる音からは
ついに起き上がることのできないまま
水辺の鳥たちは
夜明けを前に
自分の体の
上手な折り目を探している
引用部分が多くなってしまったが、ついそうなってしまうほどに美しい修辞が至るところにある。この作品も表現は細やかで、夜の静けさの中でいのちがたてる微かなもの音を、耳を澄ませて聞きとろうとしているようだ。
このほかの作品でも、鳥、動物、魚があらわれる。それらはそれぞれの有り様で話者の生命を照らし、その光の屈折が陰影を生んでいる。
タイトル詩「標本づくり」では、わたしは「彼女の とある一日の/標本」を作っているのだが、彼女というのは、第三者的に私が見ている自分なのだろう。だから、その標本を作ることによってわたしはやっと安心できるのだ。
彼女の 石膏でできた頭のなかのつめものが
すべてのものを通り抜けて
見たことのない植物の景色を
見ている夕べ
彼女の一日をとじる糸を探しながら
いつのまにか わたしが
この部屋の
景色そのものになって 立っている
これらの詩編を書くことによって標本となっていくのは作者自身であるだろう。それは、これまでの自分の身体を潤していた水から離脱していくようなことなのかもしれない。