北川朱実の個人誌。20頁、表紙には、かって在ったという三重のジャズ喫茶の写真。
4つの詩編の中から「窓」。
喫茶店の二階の窓から海を見ている。その海は「入道雲をかかえて/いつも夏休みだった」のだ。窓の外にどこまでも広がる光景が話者をどこか遠くへ連れて行ってくれるような気持ちにもさせてくれたのだろう。
遠く
白い灯台に
さびしいというには
あまりにも日焼けした人が
立っていた
こうして窓は内と外の風景をつなげる。こんな風に視線が出入りする場所だ。しかし窓は身体の出入り口ではないので、視線と共に出ていく心と、身体と共に残る心がからみ合う場所でもある。この作品は、そんなもどかしさと、もどかしさの果てにある諦観のようなものを伝えてくる。終連は、「美しい水をすくうように/あの窓から/名前を呼ばれたことがある」。
散文詩の「中空の家」は、クリスマス・イブを孫娘の身代わりと一緒に過ごす老夫婦の物語。小説も書く作者の、掌編小説を思わせる作品。
2つの連載エッセイのひとつは「伝説のプレイヤー」。今回はジャッキー・マクリーンについて。もうひとつは文学的な場所を巡る「路地漂流」。今回は躁鬱病で悩んでいた夏目漱石の千駄木の家について。どちらのエッセイもそれぞれの人物について簡潔に逸話を紹介しながら、最後に物語を作者自身にぐっと引き寄せている。この読ませる文章力には脱帽。
明治村の売店で、漱石が、医者に何度注意されて
も隠れて食べた砂糖ピーナッツを買った。そのうま
さに、胃が悪い漱石が死を早めたことを忘れた。
4つの詩編の中から「窓」。
喫茶店の二階の窓から海を見ている。その海は「入道雲をかかえて/いつも夏休みだった」のだ。窓の外にどこまでも広がる光景が話者をどこか遠くへ連れて行ってくれるような気持ちにもさせてくれたのだろう。
遠く
白い灯台に
さびしいというには
あまりにも日焼けした人が
立っていた
こうして窓は内と外の風景をつなげる。こんな風に視線が出入りする場所だ。しかし窓は身体の出入り口ではないので、視線と共に出ていく心と、身体と共に残る心がからみ合う場所でもある。この作品は、そんなもどかしさと、もどかしさの果てにある諦観のようなものを伝えてくる。終連は、「美しい水をすくうように/あの窓から/名前を呼ばれたことがある」。
散文詩の「中空の家」は、クリスマス・イブを孫娘の身代わりと一緒に過ごす老夫婦の物語。小説も書く作者の、掌編小説を思わせる作品。
2つの連載エッセイのひとつは「伝説のプレイヤー」。今回はジャッキー・マクリーンについて。もうひとつは文学的な場所を巡る「路地漂流」。今回は躁鬱病で悩んでいた夏目漱石の千駄木の家について。どちらのエッセイもそれぞれの人物について簡潔に逸話を紹介しながら、最後に物語を作者自身にぐっと引き寄せている。この読ませる文章力には脱帽。
明治村の売店で、漱石が、医者に何度注意されて
も隠れて食べた砂糖ピーナッツを買った。そのうま
さに、胃が悪い漱石が死を早めたことを忘れた。