瀬崎祐の本棚

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しるなす  5号  (2016/07)  神奈川

2016-08-04 19:27:14 | 「さ行」で始まる詩誌
「ギターケース」河口夏実。
 余分な表現を削ぎ落とした透明感が作品全体をおおっているが、それでいて、気持ちは捻れたもの、折れ曲がったものを孕んでいる。

   ビニールの傘に雨がぱらつき
   背の高い人と話しをしたのは
   もう昨日のこと
   花火が家に余り
   片方の靴の紐がほどけていた
   草が明るく透きとおる声がした

 風景は暑く乾いていて、それを引きうけている寂しさのような余韻も残る作品。

 「だめ」細田傳造。
 「ひろい講堂で/おなご先生におでこをはたかれた」という。何かのことで怒られた記憶が今も残っている。あのときに、怒られたことに納得できたのか、できなかったのか。

   川岸の木製のベンチに座って
   脳の隙間に侵入する風を慈しんで
   泣く
   うつくしい老人になって泣く

 この「うつくしい老人」になるところが印象的。ここでは混ざりもののない感情が巧みにあらわされている。最後は「硬質の風にそよぐ柳の枝が/裸の頭をなでる/だめだめ/さわさわ/と神がさわりにくる」。

 「クルセママ」谷合吉重。
 この作品は八代亜紀の演歌を想起させる「憎い、恋しい」というフレーズから始まり、夜の街を彷徨っている。カーキ色の青年は、

   ぼくはハンスですと答える
   わたしたちはおそらくあなたたちより
   はるかに革命的ですが
   はるかに脆弱なのです
   おお、ぼくらは彼らの敵だった

 作品タイトルの「クル・セ・ママ」というのはジョン・コルトレーンが1965年に録音した曲の名。アフリカの言葉の歌が大きくフューチャーされており、19分に及ぶ長尺の演奏だった。この詩作品からも黒い情念(これはしばしばマル・ウォルドロンの形容に使われたが)が伝わってくる。
コメント
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