逝きし世の面影

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「世界征服」は可能か? ガンダムと大日本帝国

2017年09月11日 | 政治
『支配されそうだから逆に支配する』

世界征服の理由として『支配されそうだ→だから逆に支配する』は、実にリアルでシビアな目的である。
『機動戦士ガンダム』に登場するジオン公国がこれ該当していて、地球連邦からの独立を求めてジオン公国は独立戦争を仕掛ける。
半植民地のジオン公国が、地球連邦の支配から離れジオン公国の完全独立を求めているわけですから240年前のイギリスとアメリカ13州の関係とそっくりである。
普通に考えると被支配民族が独立戦争をしかけているのですから、被支配民族側が正義で支配者は悪となりそうですが、ガンダムではアメリカ史とは逆に描かれている。
ジオン公国の悪事が、これでもかこれもかと繰り返し描かれ悪の帝国であるとの評価は定まっているようだが、悪の帝国であったから負けたとの歴史認識は正しくなく、話は逆で負けたから悪の帝国との歴史認識が定まったのである。
地球連邦に勝ってさえいればどれ程の悪事でも隠蔽する事が出来るし逆に地球連邦の悪事を大々的に記録する事も出来る。

ガンダムのジオン公国と全く同じように現、近代史上この『支配されそうだから、支配する』を実践して見せた国家が、誰あろう日本列島にかって存在し周辺諸国に恐れられた強大な軍事大国、我が『大日本帝国』である。
大日本帝国の最初の戦争の動機は欧米列強の支配から逃れる為であったかもしれないが緒戦の日清日露の勝利の甘い蜜が、理性を狂わせ自分の実力以上の世界支配の野望まで膨らませて滅亡する。
ジオン公国も大日本帝国も、実力以上の世界征服(異民族支配)など目指さず、自国の完全独立(自主独立)を目指してさえいれば国家崩壊に至らず、地球連邦(アメリカを主とする連合国)による屈辱的な全面占領とそれに続く、より屈辱的な軍事・政治・経済・文化・思想等の全面支配に屈する事も無かった。
敗戦ののち大日本帝国は、かって地球上に存在した『悪の帝国』として現在世界の人々に記憶されているが、機動戦士ガンダムのジオン公国と同じで有ると理解すれば今の若い人でも歴史が分りやすくなる。

 菅野完‏ @noiehoie
これ書いててふと思い出したんだが、
ファーストガンダムの放映は79年だから、戦後34年目。
今年はファーストガンダム放映から、38年目。
終戦〜ガンダムより、ガンダム〜現在までの方が長い。

菅野完‏ @noiehoie
いや、「日本の戦前のファシズムが西洋のファシズムとは違う」といいたいのではないですよ。
「そもそも日本の戦前のファシズム運動は、ファシズム運動ですらないし、思想でもないし、政治運動ですらない」というだけの話。

菅野完‏ @noiehoie
ガンダムってどのシリーズでも「総括めいたことから徹底的に逃げる」という点で一貫しててすごい。
ファーストガンダムでも、デギンがギレンに「ヒトラーの尻尾」とかいうけど、別にあれ総括してない。「ギレンもまた一つのあり方」としてしか描かれてない。子供向けだから仕方ないけどね。

『日本の有識者で一番オルナナティブな(非常識的な)菅野完‏でも、・・・今回ポリティカル・コレクトネス(PC)「政治的正しさ」から一歩も踏み出さなかった』

元解同活動家で元しばき隊メンバーの菅野完‏ですが、今まで『正しい』とされていた常識を疑い口汚く政敵を罵る暴言王のトランプが超上品なお嬢様に見えるくらいに口が悪い。たぶん日本ではポリティカル・コレクトネス(PC)「政治的正しさ」とは一番遠い存在である。
そのPCに一番反逆している菅野完‏ですら、今回はポリティカル・コレクトネス(PC)ど真ん中の発言を行っていた。
善悪が明確で勧善懲悪のウォルト・ディズニーなどアメリカのハリウッド製アニメではなく、今は宮崎駿を筆頭に日本アニメが世界中から評価されている原因とは、今回いみじくも菅野完‏がガンダムについて指摘しているように、 『どのシリーズでも「総括めいたことから徹底的に逃げる」という点で一貫しててすごい。』の一言に尽きるのである。
ディズニーでは『悪』はあくまで『悪』である。ところが善悪二元論の欧米一神教世界とは遠い日本の場合、負けたジオン公国を徹底的な『悪』とは描いていない。これは他のドラゴンボール等すべてに当てはまり善と悪とを完全に切り離していないのである。(負けた側にも言い分はあり、勝った善玉側にも悪があった)

『日本で「政治的正しさ」と訳されたポリティカル・コレクトネス(PC)』
★注、
今のマスメディアや有識者(エスタブリッシュメント)では、第二次世界大戦で負けたナチスドイツや日本軍国主義に対して、必ず悪く言わないと駄目だとのポリティカル・コレクトネス(PC)が定まっている。
このポリティカル・コレクトネス(PC)ですが、今の日本(欧米のメディ)では最大限、勝手に拡大解釈され過ぎている。
日本とか欧米のマスコミでは(負けたわけでもないのに)トランプ・アメリカ大統領とか北朝鮮(金正恩)を、必ず悪く言わないと駄目だとのポリティカル・コレクトネス(PC)が定まっている。
全てを犠牲にして核やミサイル開発をする北朝鮮ですが、もしもアメリカのイラク侵攻を見て大量破壊兵器を放棄したリビアのカダフィの『教訓』を少しでも考慮すれば、180度逆に『北朝鮮は正しい』との全く違う結論になります。
そして普通なら誰も『カダフィの教訓』を忘れない。ところが日本人の知識層だけは例外で完璧にわすれているのですね。(もちろん忘れているのではなく、アメリカが怖いので沈黙しているだけ)
ポリティカル・コレクトネス(PC)は日本では『政治的正しさ』と訳された。
この『正しさ』というのが曲者で、「rightness」(絶対的な正しさ)じゃなく「correctness」(相対的な正しさ)であるところがミソ。『正しい』というより、『(規範、答えに)合っている』、(世間の風潮に合わせて)『政治的にそう答えるのが正解』という意味だった



戦争映画の概念を変えた『ダンケルク』 2017年9月8日(金)ニューズウィーク @Newsweek_JAPAN

<ナチスに包囲された兵士40万人を救った「奇跡の撤退」を緊張感あふれる映像で描く>『ダンケルク』は反戦映画か? 
答えは明らかにノーだ。
フランス北部ダンケルクの海岸に追い詰められた連合軍兵士40万人の撤退作戦を描いた、イギリス軍の英断とヒロイズムへの賛歌。
反戦映画ではないが、戦争映画の「お約束」を覆した映画ではある。
ヌーベルバーグの巨匠フランソワ・トリュフォー監督は「戦争を描く映画はいや応なしに戦争を賛美する映画になる」と言ったが、そのジレンマを打破した。
『ダンケルク』が斬新な映画になり得たのは、ハリウッドの基準からすれば特殊な状況である「撤退」を扱ったからでもある。
戦争映画には激しい戦闘シーンが付き物で、スティーブン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』でもメル・ギブソンの『ハクソー・リッジ』も進撃を描いた映画であることに変わりはない。
戦争の狂気を徹底的に皮肉ったスタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』でさえ同じ視点だった。
そう、軍隊の前進を描くのが戦争映画の常道なのだ。ハリウッドの常識では、兵士は進撃するものと相場が決まっている。
だが『ダンケルク』は違う。
1940年5月ドイツ軍に押され、連合軍はドーバー海峡に臨む海岸に撤退。もはや反撃に出る余力はなく救援を待つのみだ。
そこでは兵士たちはただの犠牲者でしかない。
犠牲者の側に置かれた彼らはもはや民間人と区別がつかない。兵士と民間人を明確に分けるのがハリウッドの常識だから、この点でも『ダンケルク』は戦争映画の定石破りだ。
おじけづき逃げ惑う兵士。
兵士たちも自分だけが助かろうと姑息な手段を使ったり、避難場所のわずかなスペースを奪い合ったりする。これでは輝かしいヒーローどころか、情けない卑怯者だ。
兵士たちの惨めさや弱さを描いているからといって、戦争を批判する意図があるかといえば、それは全くない。
「正当な戦争」
連合軍にとっての第二次大戦はまさにそれ、緊迫感を盛り上げる大音量のサウンドが偉大な作戦であることを絶えず思い出させる。
だが第二次大戦が正当な戦争(避けられない戦争)だったとしても、その後にアメリカが戦った戦争はそうではない。
にもかかわらずハリウッドは、ベトナムやイラクその他の戦争を『避けられない戦い』であるかのように描いてきた。
だが『ダンケルク』の兵士たちは選ばれし者ではない。おじけづき、逃げ惑うその他大勢だ。ノーランは戦争映画の新たな可能性を開いた。
9月8日ニューズウィーク(抜粋) 



インドのイギリス軍の要衝インパール攻略を目指した5万人の日本軍は、一人として目的のインパールに辿り着けず、撤退中に飢餓から人肉食(共食い)まで起き全滅する。今年の終戦記念日(玉音放送72周年)のNHKはインパールの悲劇を放送したが、ダンケルクにしろインパールにしろ進軍ではなくて、撤退を描けば『反戦映画』を意図しなくとも同じ効果が出る。負け戦は悲惨だが、その中でも負け戦での『敗走』ほど悲惨なものはないのである。(だからハリウッドはダンケルクをタブーとして封印していた)

『ナチスドイツとの戦争を「中抜け」していた米英仏、まじめに戦ったので大損害を出したソ連』

相手の軍隊だけではなくて生産設備とかインフラ、一般市民まで無差別に攻撃して徹底的に破壊した世界初めての総力戦だった第一次世界大戦は、それ以前の戦争と比べられないほど被害が大きい。
しかし科学技術(大量破壊兵器)が進歩した第二次世界大戦では、もっと格段に人的被害が大きくなってアメリカ軍はWWⅠの11万人が4倍増して40万人の損害を出しているが、実はイギリスやフランスの損害は逆にWWⅡの方が桁違いの少なさなのである。第一次世界大戦の方が遥かに損害が大きかった。
米英仏の連合国の損害ですが、WWⅠより全体ではもっと損害が大きかったWWⅡの方が逆に数分の1になっていたのである。この理由は簡単で、戦争の始まりと終わりでは主役を演じたが肝心の真ん中では『中抜け』して、常勝ドイツ軍と正面衝突する事態から徹底的に逃げていた。
初戦では無敵だったナチスドイツの鉄の軍団も長引く戦争で疲弊し徐々に消耗していく。
2000万人もの損害をだしたソ連軍が盛り返して形勢が逆転、(ドイツがソ連に負け続け、反撃能力を失ったので)やっと米軍が本格的に動き出し、とうとう1944年6月ドイツ軍が敗走しだした第二次世界大戦の終結直前にノルマンディーに再上陸した。(実は1年も前にイタリア南部にマフィアの協力で上陸しドイツ軍を駆逐したが、犯罪組織との共闘は誰が考えても不味いので、ノルマンディーが最初だと誤魔化す)
『ダンケルク』がタブーだったのは連合軍(英仏)の敗走だったからではない。
その日付(1940年5月)こそが大問題だったのである。
独ソの地獄の消耗戦を米英仏は3年間も『中抜け』(高みの見物)して極力『戦力温存』につとめ、勝機を辛抱強く待っていた。アメリカは戦争の帰趨がほぼ決定してから(後出しジャイケンで)世界制覇(征服)に乗り出し大成功したのである。
だから『ダンケルク』がタブーだった。
実はアメリカは第一次世界大戦でも同じ態度で、長引く戦争で戦線が膠着して参戦していた各国は極限まで疲弊し、一般市民には厭戦気分が蔓延していた時に『戦争を終わらせるための戦争だ』との意味不明の口実で『後出しジャイケン』で参戦して、漁夫の利で戦勝国(世界帝国)になっていた。


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『殲滅逃れた連合軍』 (ローレライ)
2017-09-11 20:46:55
『ダンケルク』は『南京戦』と並んで『殲滅逃れた連合軍』がテーマである。『ドイツ軍は便衣兵狩りはしなかった』から『ダンケルク大虐殺』は起きなかった!『バルバロッサ作戦では虐殺行軍した』。
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