みちのくの山野草

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1685 花巻空襲罹災区域

2010-09-03 08:00:14 | 賢治関連
     《1 ↑「花巻町戦災区域」(『花巻の歴史・下』、及川雅義著、図書刊行会)より》

 前回触れた山折哲雄氏の心の傷、その遠因になったというのであれば花巻空襲について少し調べてみたくなった。
 『花巻の歴史・下』の中の「昭和の発展」には次のように書いてある。
 <花巻町の戦災>
 戦時の工業地として異例の飛躍をするかに見られた花巻が、終戦直前の昭和二十年(一九四五)八月十日、突如として空襲による戦災を受けた。大工町方面から出火し、飛行機をおそれて防火作業がはかどらぬうちに、用水の不足と折からの晴天続きの悪条件が重なり、火はたちまち上町・豊沢町に広がり、あっという間に、目抜き通り七百戸に及び、あっという間に七百戸近くが炎上した。

と。
 因みに、その罹災区域はこのブログの先頭の図の斜線部分であり、大工町、上町、豊沢町はそれぞれ下図の”A”、”B”、”C”付近に当たる。
《2 花巻空襲罹災区域》

   <『花巻の歴史・下』(及川雅義著、図書刊行会)より抜粋>

 さて、それでは山折氏の家(専念寺)、宮澤賢治の生家の場所はどこか。次回はそのことなどを報告したい。

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