みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

営業マン賢治の気苦労

2014-07-01 09:00:00 | 東北砕石工場技師時代
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
賢治書簡〔309〕
 そこで、まずはそのあたりを探りたいのでこの書簡を確認してみた。それは『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)によれば、
    309 (1931年)三月二十一日 工藤藤一あて 封書
《表》盛岡市上田与力小路 工藤藤一様 御親披
  《裏》花巻町 東北砕石工場出張所内 宮沢賢治拝〔封印〕〆

只今お手紙拝誦いたし何とも感奮の次第、場主とも心を協せまして必らずご期待に添ふやうな良品を更に廉価に作りたいと存じます。就て目下折角試験中でございますが多分今期は十貫二十五銭の分は粒径を一.三粍以下といたし右の新叺入も二十七銭迄出来るかと存じ居ります。但し粒の大さとその調合の割合を如何様にいたしたら稲作中期以后に対して適当に四要素を供給するか確実な資料がなくて甚困って居ります。昨年粒径一分五厘(4.5粍)以下というやうな粗大なもの笹間村附近に大分入りました由成績を集めて見ますと、それでも目に見えて働いてゐたやうでございます。殊に新墾地、湿田、砂質土でよく効いたらしく、本年一月頃同村の石田といふ人二車程小売して歩いた由でございます。
関先生からは「永年の小生の希望が実現しかゝったのを喜ぶ」といふお詞をいたゞき宮城県の内務部からは昨年今年共公文で各農会組合へご推奨を得ました。たゞしその事はどういふご見地からかまだ判りません。本県ではあなた様のご賛同を得たい由場主がしきりに私に申しましたけれども何分にも技術上の問題は懇意とか何とかの情実で一点も左右されるべきでないことをしきりに申し、万一ご試験でも得るならば望外の幸とのみ存じ居りました。幸にご試験の成績から、土性並びに米質に及ぼす影響の優れる点等ありましたら、そのときこそ佐比内の苛性石灰と相呼応して良質廉価の品を多産し他県よりの移入品を完全に駆逐したいと存じます。いづれにせよ工場主も割合に廉潔な直情な男で自治体に関する小著等もありもうけばかりを夢見る我利我利亡者でない点甚私とも共鳴する次第、私とてもこれから別に家庭を持つ訳でもなし月給五十を確実に得れば、あとはこの美しい岩手県を自分の庭園のやうに考へて夜は少しくセロを弾きでたらめな詩を書き本を読んでゐれば文句はないのですから、多分はこの後一般の物価が騰貴して消石灰等が相当高値になった際もこちらは労銀の僅かな差だけで略々今日の価格を維持できること 専らこれを楽しみにいたして居ります。甚だ過ぎたことまで書きつけまして済みません。新らしい供試品は二十五日までに調製発送いたします。そのうち、炭酸石灰に関する諸方使用者の批評工場附近の農家が三十貫とか使ってやった由の試験、粒子表面積の計算等取り集め御監督を仰ぎます。
何分にも今后共ご忌憚なくご叱正を賜はり、種々至らぬ点ご教示を仰ぎ奉ります。
  三月二十一日                                                      宮沢賢治
 工藤藤一様
    御机下     
              <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)309p~より>
というものであった。

賢治の気遣いと気疲れ
 さて、私が気になった一点目は脇付に関してである。そこで前掲書で少し調べてみると、昭和6年3月前後の賢治の書簡の中に脇付を付けたものはこの『校本全集第十三巻』の中ではこれ以外に見つからない。
 まず封書宛名の脇付「御親披」に関してだが、あの恩師關豐太郎宛書簡〔301〕の場合でさえもその宛名の書き方は
    關豐太郎先生
であり、そこに脇付はない。
 一方この工藤なる人物は、盛岡高等農林時代の一年後輩で、しかもそこの寄宿舎で2年生の賢治が室長をしていた時の同室者でもあったという(前掲書730pより)が、その工藤に対してこのような脇付「御親披」を付けていたということからは賢治が如何にこの時に工藤藤一に気を遣っていたかということが容易に読み取れる。
 また、後付けの脇付「御机下」に関しても同様である。先の恩師宛書簡の場合でさえも、その後付けは
    關豐太郎先生
だけであり、やはりここにも脇付はない。しかるに、前掲のように同窓の後輩工藤に対して同書簡の後付けは
    工藤藤一様
       御机下

となっている。これらは同時期の書簡なのにも拘わらず、恩師宛の書簡の方の後付けにはなくて、後輩の方のそれには脇付「御机下」が付いているのである。改めて、賢治がこの時に工藤に対して如何に慇懃に低頭していたかということがありありと読み取れる。
 しかし当時、高等農林の卒業生であれば同窓の先輩・後輩の力関係は絶対的であり、その1年の違いは決定的だったはずだ。にもかかわらず、賢治がここまで後輩に謙るまでしていたということだから、その無理が早晩たたるということは時間の問題であったであろうことが容易に想像できる。
 おそらく賢治はこれまでに後輩や年下の者に対してこのような気遣いをしたことは殆どなかったはずだ。例えば、下根子桜で賢治がしばし一緒に暮らした千葉恭(約10歳下)が、賢治に対して、
 話しぶりはむしろ詳細に過ぎるという具合なのでその点を忠告すると、”僕はそう思わないが”と言つておられた。
証言していて、歳下に対して賢治はけんもほろろなところがあったと思われるからだ。そのような賢治がこのような気遣いをしていたわけだから、当時の賢治には相当の葛藤が実はあったのではなかろうか。
 次に気になった二点目が、同書簡の差出人としての書き方、    
    花巻町 東北砕石工場出張所内 宮沢賢治拝
である。その頃の賢治の認識の仕方と立場がわかるからだ。つまり、昭和6年東北砕石工場の嘱託になった賢治であるが、
 賢治は当時、自分のことを東北砕石工場花巻出張所の所員であると認識し、公的にもそのように知らしめたかった。
ということなのであろう。自分は社会人としていっぱしの仕事をちゃんとしていますよと宣言しているのだということがこの差出人の書き方から読み取れる。それまでは身の置き所のなかった賢治だったはずだからその気持ちはよくわかるし、これから出張所(唯一の)所員として大いに仕事をして参りますよという決意も感じられる。
 またその三点目は
     技術上の問題は懇意とか何とかの情実で一点も左右されるべきでないこと
とは断りつつも
 土性並びに米質に及ぼす影響の優れる点等ありましたら、そのときこそ佐比内の苛性石灰と相呼応して良質廉価の品を多産し他県よりの移入品を完全に駆逐したいと存じます。
と気負っていることである。
 いくら賢治が「懇意とか何とかの情実で一点も左右されるべきでないこと」と前置きしていても、工藤に対して力になってくれと懇願していることは、必要以上とも思えるほどの謙り様から工藤だってそれぐらいのことは直ぐに読み取っていたはずだ。また、そのことは賢治自身が一番よくわかっていたはずだ。そしてもちろんそのような建て前と本音の違いや、使い分けは私たちにはよくあることだが、そのようなことがそれまでの賢治にどれほどの回数があったかだ。おそらくそのような気遣いをすることなく生きてきた賢治だったはずだからかなりの葛藤が生じたであろうし、それに伴う自家撞着に賢治がはたしてその後耐え続けられたかだ。それまではまさに不羈奔放に生きてきた賢治だから、それが極めて難しかったのではなかろうかということは当然考えられる。さぞかしこの時期の賢治には相当の気疲れがあったにちがいない。したがって自ずから、賢治は早晩また挫折をせざるを得なかったのではなかろうかということが危惧される。
 なお最後に四点目、やはり改めて気がかりなことがもちろん佐藤氏も言うところの「諦観さえ感じ取られる」である。しかも私からすれば、それは感じ取られることではなくてずばり「諦観した」としか判断できない。
 以前“「東北砕石工場技師」になる前の賢治”で少しく考えて見たように、例えば昭和5年4月4日付高橋武治(澤里武治)宛書簡に賢治は、
 こんどはけれども半人前しかない百姓でもありませんから、思ひ切って新らしい方面へ活路を拓きたいと思ひます。期して待って下さい。
とか
 もう一度新らしい進路を開いて幾分でもみなさんのご厚意に酬いたいとばかり考へます。
             <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)より>
と最愛の教え子の一人、澤里武治に語っていたいうことを思い返してみれば宜なるかなである。少なくともその時点で既に諦観していたと判断せざるを得ない。
 換言すれば、そして残念なことであるのだが、
 月給五十を確実に得れば、あとはこの美しい岩手県を自分の庭園のやうに考へて夜は少しくセロを弾きでたらめな詩を書き本を読んでゐれば文句はないのです
は当時の賢治の偽らざる本音であり、かつての賢治とは全く違ってしまっていたのだとやはり判断せざるを得ない。これは以前“賢治の著しい変化”で触れた賢治の一言「私も随分かわったでしょう、変節したでしょう――。」と時期的にも内容的にもほぼ一致していることに鑑みればなおさらにである。 

 続きへ
前へ 

『東北砕石工場技師時代』の目次”に戻る。

みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4042 秋田駒ヶ岳(男岳) | トップ | 4044 新発見胡四王のトモエソウ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東北砕石工場技師時代」カテゴリの最新記事