みちのくの山野草

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2780 賢治、家の光、犬田の相似性(#20)

2012-07-22 09:00:00 | 賢治・卯・家の光の相似性
『農民文芸十六講』
 ここでは『農民文芸十六講』について少し調べてみたい。
会の名称変更
 ただしその前に、前回
  「農民文芸研究会」はいつからか「農民文芸会」という名称となっていった。
ということであったが、その時期等がわかったのでそのことについて触れておきたい。『現代文学の底流』の中で南雲氏が次のように述べていた。
 その後この農民文学研究会は、佐伯郁郎・中山議秀(のちの中山義秀)、和田傳・足帆図南次など早大出身の気鋭のメンバーを加え活発な活動を展開、大正年一〇月に「農民文芸会」と名を改め、それまでの研究成果を『農民文芸十六講』として集成し、上梓する。
<『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン)348pより>
というわけで、残念ながら〝大正年一〇月に〟となっていて、肝心の何年かがこのままではわからないが、前後の文脈から〝大正一五年一〇月〟と判断できた。というのは、南雲氏は同書に続けて次のように書いているからである。
 この『農民文芸十六講』に加藤武雄の名は見えないが、これに先立って犬田卯・加藤武雄共著による『農民文芸の研究』(同一五年八月、春陽堂)が刊行されている。
ということは、会の名称変更はこの時期以降となるから、『十六講』の出版が大正15年であることを考えれば、会の名称変更も同年とならざるを得ず〝大正一五年一〇月〟と判断されるからである。
『農民文芸十六講』の中身
 さてでは『農民文芸十六講』であるが、このことに関して小田切秀雄は
 大正一五年一〇月に春陽堂から刊行された大冊『農民文芸十六講』という本は、その二年半ほど前から活動をはじめた〝農民文芸会〟が、日本にはじめて成立した農民文学組織としての責任と情熱と努力によってまとめ上げた本で、農民文学の原理論、現代社会との関係、それまでの日本の農民文学の歴史的なくわしい概念、英仏独露その他の国での近代農民文学作品の展望、農民文学運動理論、等々の全局面にわたって、当時として文学界での最高水準に属する創造的な仕事の一つとなっていった。この本は、いまでもその生命を失っておらず、詳細な農民文学史的叙述と理論的展開との包括的なものとして、まづついて見るべき本となっている。
<『日本近代文学の思想と状況』(小田切秀雄著、法政大学出版局)103pより>
という評価をしているから、この小田切の評価に従うならば『農民文芸十六講』の果たした役割はすこぶる大きかったと言えるだろう。実際、当時澎湃として起こっていた「農民文芸運動の最初の集大成である」と中村星湖は評価している<*1>ともいう。
 次に、『農民文芸十六講』の分担であるが、犬田卯自身が次のように記述している。
 さて分担項目であるが、これは大体、各員各自がこれまでの研究を進めた方面を各自受け持って貰ううことにし、吉江、中村、加藤等の諸先輩には顧問格になってもらい、言わば仕事がしたくてうずうずしている新人を動員することにした。その故か、早くも原稿は二ヵ月を要せずにしてまとまり、ここに『農民文芸十六講』は十月末に世に出たのである。項目と執筆者は次の如くである。
 序にかへて   吉江喬松
 第一講 「農民文芸の意義について」     犬田 卯
 第二講 「現代社会と農民文芸」       同  上
 第三講 「現代日本の農民文芸」       大槻憲二
 第四講 「自然主義時代及び以降の農民小説」 五十公野清一
 第五講 「フランスに於ける農民文芸」    和田 伝
 第六講 「ドイツに於ける郷土文学運動」   大槻憲二
 第七講 「露西亜農民文芸」         黒田辰夫
 第八講 「波蘭及びスカンジナビア農民文芸」 湯浅真生
 第九講 「英国の農民文芸」         大槻憲二
 第十講 「愛蘭農民文芸」          足帆図南次
 第十一講「代表的農民作家」
   (このうち「長塚節、エミイル・ギヨマン」を犬田卯執筆)  
 第十二講「農民小説名作梗概」
   (このうち「エミイル・ギヨマン「ある百姓の生涯」」を犬田卯執筆)
 第十三講「農民劇」             湯浅真生
 第十四講「農民詩」             佐伯郁郎
 第十五講「民謡」              佐伯郁郎
 第十六講「農民文芸の運動と其方向」     犬田 卯
<『日本農民文学史』(小田切秀雄編・犬田卯著、農文協)41pより>
とすれば、この600頁にも及ぶと聞く大冊『農民文芸十六講』の16講中、犬田卯は5講分を担当していることになる。
 さて、ここで再度確認してみると
 ・『農民文芸十六講』の発行は大正15年10月
 ・   〃     の原稿は2ヶ月を要せずまとまった
ということである。となれば、犬田卯は大正15年の夏頃はこの『農民文芸十六講』の出版準備のために大わらわであったであろうことは明らか。
 翻って、〝賢治、家の光、犬田の相似性(#2)〟における大正15年7月末の白鳥・犬田・佐伯の来県に関する佐伯郁郎の証言
 「折角の機会、殊にも、犬田氏は多忙中を、わざわざやって来てくれたのに対して、只一ヶ所の講演は実に残念ではあった
を思い起こせば、まさしくこのことと符合する。
 もちろん白鳥・犬田・佐伯は啄木会主催の『農民文会盛岡講演会』のために来県したのであろうが、とりわけ多忙だった犬田卯が来県したのはこの講演会のためだけではなかったのではなかろうか。犬田卯(あるいは佐伯郁郎を含む)は賢治を「農民詩」を書く人物だと見なしていたので是非とも会いたかったのではなかろうか。
ある妄想
 こうなってくると、賢治は当時、犬田卯等のその頃の動向をある程度把握していたのではなかろうかと私は推理したくなる。つまり、犬田が実質的に取り仕切っていた当時の「農民文芸会」の農民文芸運動に対する取組と実践、とりわけ近々発行予定の『農民文芸十六講』は農民文芸の理論も追求しているということを知っていたのではなかろうと。
 ではそれをどうやって賢治は知ったか? それは
  宮澤賢治―宮澤安太郎(賢治の従兄弟、明治35年生)―佐伯郁郎(明治34年生)―犬田卯
という繋がりからではなかろうか、と思うのである<*2>。
 まして、佐伯郁郎をよく知るある方から
 例の大正15年7月25日面会謝絶に関しては、賢治と白鳥達が会ったらいいのではなかろうかと周旋し、間を取り持ったのが宮澤安太郎であるようだ。実際この時安太郎も花巻に帰っていたという事実もある。そして一方で、宮澤安太郎と佐伯郁郎は在京県人会でお互いに交流があったようだ。
ということを私は以前に聞いていたことを思い出したからである。
 したがって、
 私は、賢治が面会を謝絶した理由はどちらかというと白鳥の方にではなくて、やはり犬田卯(あるいは佐伯郁郎も含む)の方によりあったのではなかろうかとここでますます強く思うようになった。その謝絶の理由は、直接的には『農民文芸十六講』を発行してその中で農民文芸の理論を構築して公にしようとしていた犬田卯(あるいは「農民文芸会」)に対して、同様に自身も農民芸術に関する理論を構築していた賢治としてはその影響を受けるのを嫌がったためであり、そこで面会を謝絶したのではなかろうかと妄想してしまうのである。
それも、このような犬田卯等の取組を賢治が知ったのは宮澤安太郎からその時聞いたからであり、そこで賢治は突如謝絶しようと思い立ったのではなかろうか(もちろん、それを7月25日以前より遙か前に知っておった賢治ならば会う約束はしなかったのではあろうが)と。
 同時に、『農民芸術概論綱要』が書かれたのがはたして巷間言われているように大正15年6月頃なのだろうかという疑問を抱き始めたり、一方では、やはり賢治は『家の光』や『早稲田文学』も当時結構よく読んでいたのではなかろうかと想像をめぐらしたりする私になってしまうのである。
 そしてまた私は、
 賢治はおそらくその後『農民文芸十六講』を読んでいたのではなかろうか。
とも妄想するのである。

 それでは次回は、農民文芸運動における農民劇に関して少し調べたみたい。

<*1:註> 中村星湖をして「単に農民文芸研究会の研究結果の集大成であるばかりでなく、わが国の農民文芸運動の最初の集大成として長く記念さるべきもの、云々」といわしめた『農民文芸十六講』。(『日本農民文学史』(小田切秀雄編・犬田卯著、農文協)41pより)
<*2:註> たまたま『宮沢賢治全集9』(ちくま文庫)の「受信人索引」を見てみたならば、
<阿部芳太郎(あべ よしたろう)>
 明25・12・5~昭和21・2・5
 画家を志して出京し、小川芋銭に師事したが、これは生計の資とはならないためい帰郷し…動植物を愛し、賢治との交際を持った。
とあった。この阿部がまさか小川芋銭につながっているとは思ってもみなかった。ついつい犬田卯と賢治のつながりは、
  賢治―宮澤安太郎―佐伯郁郎―犬田卯
かなと思っていたが、もしかすると
  賢治―阿部芳太郎―小川芋銭―犬田卯
ルートもあったのかもしれない。当たり前のことだが人と人は思わぬところでつながっているのだなと思った。

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