みちのくの山野草

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3613 signaless 様へのお願い

2013-11-06 07:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《『大正15年11月に賢治は上京した』とあくまでも言い張る「宮沢賢治賞」受賞者H氏》
signaless 様
 お早うございます。
 いやいやそんなことは心配ご無用です。お話ししておきましたように昨日はしばし留守にしておりましたゆえに。
 さて、力作の長編コメント(実際には、『-賢治昭和二年の上京-』(114~119p)のコメント欄にあります)ありがとうございました。そこで、まずは2つほどお願いがございます。
(1) URLについて
 相変わらず匿名の方からご批判を頂いておりますが、それはさておき、過日私のブログに他人の名前を騙って批判のコメントをしてきた人があります。騙られたその人はいい迷惑です。
 つきましては、signaless さんが今後コメントを下さる際にはあなたの〝URL〟を付してなさってください。もしそれがない場合にはお答えできないかもしれません。これが一つ目です。
(2) 他人は引き込まないでください
 そもそもこの度の私とsignaless さんとの間の論争は、signaless さんから私のかの推測に対して頂いた御批評
    稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然→
から始まったものです。私達以外の人には関係のないことです。
 まして入沢先生には全く関係のない論争です。なぜならば、私達は入沢先生達とは違い、例えば賢治の生原稿などを見ることは出来ません。したがって、今回の私達の論争においては入沢先生は別世界の人なのです。
 換言すれば、一般読者が知り得る客観的な資料に基づいて行った私のかの推測に、その『稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然』が当て嵌まるか否かということなのです。
 そこで二つ目のお願いです。signaless さんから入沢先生に
 鈴木守なる者が、『この論争に入沢先生を巻き込みたくありません。鈴木の「賢治昭和2年上京説」で入沢先生には絶対ご迷惑をお掛けしたくありません』と申していました。
とお伝え下さい。これは必ずなさって下さい、極めて大事なことですので。
 その上で、もし入沢先生が『巻き込まれることも止むを得えないことです』と仰ったのであれば、どうぞお知らせ下さい。

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20 コメント

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鈴木さんへ (入沢康夫)
2013-11-06 08:19:23
私の名前が出て来ましたので、一言申し上げます。私は貴兄と浜垣氏・マグノリア氏らとの論議に捲き込まれているとは思っていません。ただし、校本・新校本収録の賢治作品について誤った臆測や判断が公開の場で云々されている場合、どちらの味方をするというわけではなく、校訂校異の責任者として、その点についての正しい事実はこうであるということを、公然と、はっきりお伝えしようとしているだけです。その点、どうか誤解の無いように願います。今後も、必要と判断した場合は、そうするつもりです。
返信する
大変有り難うございました (鈴木 守)
2013-11-06 08:44:54
入沢 康夫 様
 お早うございます。
 この度はわざわざご丁寧に直接のコメントを頂きまして有り難うございました。
 また、入沢先生に仰っていただきましたことしかと承りました。
 これからもどうぞご指導よろしくお願いいたします。
                             鈴木 守
返信する
Unknown (signaless)
2013-11-06 12:09:07
鈴木さんからリクエストがありましたので一応URLを付けておきます。
しかしながら、ネットを使用している人がすべてブログやHPを持っていてURLがあるわけではありません。URLがないとコメントの返事をしない、というのはいかがなものでしょうか。
しかもどこの誰かもわかっていて面識までおありの浜垣さんの質問やコメントにさえ返事をしておられないのはどういうことなんでしょう。
返事をするしないは鈴木さんの気分でお決めになるのでしょうか。

あと、入沢さんを巻き込むなどとは滅相もありません。鈴木さんが批判なさっている校本・新校本全集において、あるいは賢治の生原稿の状態について、幸いにも正しい情報を教えていただけたので、説明の折に、もっとも確かな情報源であることを記す必要を感じてお伝えしたまでです。


「私達の論争においては別世界の人」と仰いますが、鈴木さんが著書やブログ上において、改竄や隠蔽などと言っておられるのはまさに校本・新校本の内容に関することではありませんか。
私や浜垣さんが、危惧し心底心を痛めているのは、それが入沢さん天沢さんをはじめとする編集委員の方々、関係者の方々に対する侮辱になるからです。
そのことはよく省みてご自分のなさっていることを自覚していただきたいです。
私は賢治愛好家としてはまだまだヒヨコみたいなもので、やっと賢治の世界の深さを知ったようなものですので偉そうなことは何も言えませんが、それでもそれくらいのことはよーくわかります。

私たち一般人が賢治の生原稿を簡単には見られないからこそ、また見たところであのような混沌とした状態では解読が困難だからこそ、研究家の方々がご苦労なさって実に長い長い時間をかえられて校本・新校本全集を編んでくださったのではありませんか。
返信する
Unknown (signaless)
2013-11-06 12:11:29
最終行、「長い長い時間をかえられて」は「長い長い時間をかけられて」の打ち間違いです、訂正します。
返信する
ドウイウ者ニ私ハナリタイ乎 (辛文則)
2013-11-06 12:45:26
  鈴木守様参ります。 
   グーテンモルゲン あるいは ボンジュール だなんて。盛岡辯に訛れば「おはよがんす」ですね。花巻辯ならどうなんでしょう。小生の母親は花巻近郊の石鳥谷新堀の農家で祖母は花巻矢沢の杉山家。胡四王山の旧地権者だったというエピは前にも書きましたね。
  〈ヒドリ〉が〈日雇い〉には無理がありますが、モーリオ辯なら〈独り〉も「無キニキニシモアラズ」でしょうか。尤も、『永訣の朝』は「オラオラデシトリエグモ」、しかしモーリオでは〈シトリ〉には違和感が。因みに、いきなり全国区になってしまった「ジェジェジェ」は久慈辯でさえなく小袖辯。昔は、山間地では「山ひとつ越えると辯が…」ということもあったげな。尚、盛岡辯では「ジャジャジャ…」で、いずれも〈謝々〉あるいは〈邪々〉の訛りか。「ビックリしたなぁもう!」なら、〈蛇々〉が尤もらしいかも。いずれ、語源論のアヤウサとも通じていて。
  因みに、「ヒデリかヒドリか問題」の最強の論拠は他ならない『雨ニモマケズ手帳』の中にあるのでは。尤も、肉筆の手帳のすべてのページをめくってみたわけでは、……。〈土偶の坊〉か〈木偶之坊〉かは論争にはならないでしょうけれど。
   それにしても、地方訛りことば、つまり方言という〈道(ことば)〉が孕む〈両価性両義性〉というのも慥(まこと)に〈難有い〉です。因みに、〈サンクス〉を〈有難い〉とではなく〈難有い〉と表記したのは、小生の識る限り夏目漱石と新渡戸稲造です。あるいは明治時代の〈流行而不易〉だったのでしょうか。何方にしても、「難ガ有ル」です。「難しさが有る」か「難点が有る」あたりなんでしょうけれど、「難しくて解り難いからこそサンクス」というのであれば、小生としては諒解です。「じっくり深く考えないと解り難いからこそアリガタイ」という感覚はそれほど異常ではないと思うんですね。〈M・メルロ=ポンティの両義性の哲学〉から出発した鷲田清一氏の道(い)う「ワカリヤスイはワカリニクイ」というテーゼは、ょく安易なイイネ〈〉へのアンチテーゼなんでしょうか。
  で、メルロ=ポンティが道う〈両義性(アンビギュイティ)〉とは、単なる多義性という意味ではなく、「テーゼとアンチテーゼとの相補協働的な思惟態度」、つまり、〈ディアレクティーフ(弁証法)〉的な自己内対話(セルフディアローグ)によって、自己創出(オートポイエーシス)的に自己矛盾点を乗り越えて行こうとする精神態度ということになりますね。
  かの大江健三郎氏の『あいまいな日本の私―ベイグではなくアンビギュアス(両義的)な―』が巻き起こした諍いは、まさに、〈ベイグ(愚癡無明なる滅茶苦茶としての曖昧)〉と言って、……。大江氏の道う〈アンビギュアス〉はメルロ=ポンティ流の両義性を踏まえて、漱石は両義性思索者だった」と述懐しているようですが、大江氏を〈非国民〉だとか〈売国奴〉だとかいうような忌まわしい誹謗中傷語を用いて、批判(クリティーク)ではなく非難(ブレイム)を加えたのは如何なる勢力だったのかは、……。ヒトラー勢力が抬頭の口実として用い、昭和10年代に一世を風靡した〈猶太人の陰謀〉説も言論の自由を封じる為に用いられた(ことばの暴力〉だったのですね。
  それと同時的に用いられたのが「欲しがりません勝つまでは」という標語で、そのシンボル語が「一日ニ玄米三合」と書き換えられた『雨ニモマケズ』だった訳ですね。それにしても「一日ニ玄米四合」どころか〈三合〉でも多いですよね。しかし、これが「白米四合」だと、クル病だか夜盲症だか忘れましたが栄養失調を引き起こしてしまう訳で〈ゼイタク〉の定義もなかなかに難有い次第ということに。尚、「賢治さんは自己犠牲の聖者だ」という神話もその頃に作られたという見解も。最も悲酸な戦場となった沖縄での賢治嫌悪は、そうした施政が七十年の長きに亘って……。
  で、メルロ=ポンティ流の両義的は単なる多義的としてのアンビギュアスではなく、〈両価性(アンビヴァレンス)〉つまり「自己の内なるジレンマを自覚も認容もしようとしない心の硬さ」としての〈心的複合性(コンプレックス)〉を示していると。因みに、「ベイグとしてのアイマイ」は、『白い鳥』の賢治も「ヴァーグな銀の錯覚」という譬喩表現として用いていますね。
   おっと、話が横径の〈道草〉に紛れ込んでしまいました。本道や如何と問うに、「如何なるかドウイウ者ニ私ハナリタカッタノ乎」 、でした。で、この問いへの着眼を知る早道の問いは、「『雨ニモマケズ』を英訳した時に、最初に来るアルファベットや如何?」、と。 
  閑話休題ということで、一先ず、ヒドリティーパーティを。

返信する
大変有り難うございます (鈴木 守)
2013-11-06 12:46:14
signaless 様
 私からのお願いの第一をかなえていただいて大変有り難うございます。
 なお、念のため改めて申し上げますが、
  『これは必ずなさって下さい、極めて大事なことですので』
とお願いしました第二のお願いについては、

  たしかにsignaless さんから入沢先生にお伝えしていただいた。

と認識してよろしいですか。

返信する
閑話休題有り難うございます (鈴木 守)
2013-11-06 13:09:28
辛 文則 様
 今日は。
 今回のコメントにつきましては、私のレベルに敢えて近づけてくださって有り難うございます。
 さて、「雨ニモマケズ」ですが、かつてと違ってこれは賢治の悔恨と懺悔だと最近思うようになってまいりました。どうも下根子桜時代の賢治の営為を知れば知るほどその確信が深まってしまいます。
 それから悲しいのが、これが時々時代から「利用」されるということです。三陸のボランティア活動に行った際の若者達のひたむきさを目の当たりにすればするほどにです。
返信する
Unknown (signaless)
2013-11-06 13:16:39
いいえ、私がこちらの記事を拝見してお伝えする前に、すでに入沢さんからコメントが入っていたので、私は何もつたえてはおりません。
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Unknown (signaless)
2013-11-06 14:20:03
「極めて大事なこと」と仰っていたので、念のため私からも御伝言をツイッターでお伝えして、お返事をいただきました。
返信する
不識という信号の内容や如何 (辛文則)
2013-11-06 14:34:38
  もう、〈洞が峠〉を託つ潔いとは言い難くなってきましたので、件の問いは、「誠を司る方」ではなく、「不知なる信号燈」さんにお願いできれば、……。拙者、不覚にして、「信号=不知」ではなく「H=不識」と誤認していましたので。因みに、不知と不識では意味合いが微妙に違ってしまいますね。
  念の為に書きますが、「洞が峠からは出る」とは書きましたが、「何れかに肩入れする「」と書いた訳ではありません。というのも、小生は、「議論・討論に勝利するを歓び美と為す」と云うを快しとは感じられず、なるへそ曲りの自意識過剰者だからです。固より、矜恃は厭というほど懐いていますが、それが虚栄心に変化することを厭うが故に。
  それを、『吾輩は猫である』での〈吾輩猫〉のアンビギュアスな科白に擬えるなら。
  「鏡はおの己惚の醸造器であるが如く、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念を以て之に対するときは是程ほど愚物を扇動するの道具はない。昔から増上慢を以て己を害し他をそこなった事蹟の三文の二は慥かに鏡の所作である。…… 中略 ……。然し自分に愛想の尽きかけた時、自我の委縮した折は鏡を見る程薬になる事はない。妍醜瞭然だ。こんな顔でよくまあ人で候と反り返って今日まで暮らされたものだと
気がつくにきまって居る。そこへ気がついた時が人間の生涯中尤も難有い期節である。自分で自分の馬鹿を承知して居るほど尊とく見える事はない。此自覚性馬鹿の前にはあらゆるえらがりが悉く頭を下げて恐れ入らねばならぬ。」、と。
   この文脈での〈鏡〉とは、当に、「自分ヲ勘定ニ入レズニ,好ク見聞キシ解リ勿忘」なるも「随処作主なる自我」。つまり、「慾(貪欲・強欲)ハナク」という〈不貪慾戒〉に並ぶ〈愚癡無明戒〉としての「ソウイウ者ニ私ハナリタイ」。尚。「決シテ瞋ラズ」は不瞋恚戒。合わせて、不三毒戒。仏道修行の出発地なそうです。念の為に、漱石も賢治も、「吾輩ハソウイウ者デアル」と述べている訳ではないですよね。「ソウイウ者デアル」という覚悟自覚が働いていたというのなら、「ナリタイ」という欲望表現を用いる必要はありません。
  で、漱石も賢治も最も苦心惨憺したのが、〈不忿怒戒〉ならぬ〈不瞋恚戒〉。忿怒と瞋恚との別異性は、時が和らげてくれるか否か、でしょう。嫉妬怨恨が絡んだイカリは時と共に自己増殖を始めて己が身心を疲弊させてしまいます。カウンセラーやサイコロジストの難有い仕事はもしかすると其処に向けられるのでは、…。
  因みに、〈鏡〉が〈自我の両義性〉の比喩に用いられるのは東西古今に通じています。童話でsy数名なのが、『白雪姫』の「鏡よ鏡よ鏡さん……」。その寓意性に気いて、自らの、「他人を馬鹿にした微笑(うすわらい)」を嫌悪し始めるのは幾時頃のことでしょうか。澤口たまみさんも、11月5日のブログに書いていましたね。彼女がそれをつよく自覚したのは高校生の頃だったようです。怪訝な表情で此方を窺っていた十六歳のたまみさんが想い出されます。
  因みに、他人様に対けて「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」などと講釈を垂れるが如き自我は、何方なんでしょうね。まさしく、「難有い期節」という次第。「真面目としての謙遜なる自己批判力としての自我」というのは〈送籍者漱石〉の分身は〈吾輩猫〉だと。で、〈珍野苦沙弥〉の分身や如何、と問うなら、「自分の癇癪発作を怖がる妻子を養い育てようとする苦労人としての世俗生活者なる夏目金之助」、と。で、メルロ=ポンティの道う、「〈両価性・アンビヴァレンス〉ならぬ〈両義性・アンビギュイティ)〉」や如何、と問うと。
   で、大いに、「」公私あらゆる立場より、満腔不満の一瞥を,最後にしばしおまえに与え、すみやかにすみやかに,この山頂を去ろうとする」、といった心境にいらっしゃるでセウネ。ウンッ!、でも此の台詞、何処かで、……。
   はい、復亦喫茶。まあ、御茶でも召し上がれ、と。 


  
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