みちのくの山野草

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3607 理不尽な「圧力」

2013-11-02 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
浜垣 誠司 様
 お早うございます。昨朝よりもさらに一段と朝寒の花巻ですが、御地は如何ですか。
 先程、またの貴コメント(その中身は後掲)を拝見いたしました。

 私がなぜこのようなことをブログ上で投稿し続けるか、それにはいくつかの理由がありますが、今回のことに即して言えばそれは理不尽な「圧力」です。
 かつて、賢治についての真実を語ったがために、その途端に周りから集中砲火を浴びた人(その構図は今の私の置かれた状況にも似ております)を私は何人か知っております。
 そして、彼等はその理不尽な「圧力」に対して無念さを抱きつつも、万止むを得ずその後は沈黙せざるを得ませんでした(したがって、これは「ヒドリ」問題を言っているわけではなく、その人は除いてのことです)。そうなってしまうと当時の彼等にはその真実を公にする手段や場がもはやなかったからです。当然そのような「真実」はこれまで知られることなく今に至りました。
 ところが今の時代は違います。このようなブログなるものがございます。浜垣様に言われて気付いたのですが、私はある意味彼等の無念さを代弁しているのかもしれません。今の時代は理不尽な「圧力」には対抗できる手段がある、それが私の場合の大きな理由です。

 なお、前回の繰り返しになりますが、私の常日頃の想いは《創られた賢治から愛すべき賢治に》であり、また願いでもあります。よって、賢治の真実を知り、真実の賢治を知ってもらうためには私も多少の犠牲、傷つくことぐらいは覚悟していますし、何者をも恐れておりません。つきましては、私のことなどにお気遣いなさらずにどうぞどうぞご自由にお書き下さい。
 したがいまして、かくの如きコメントを今後いただいても同じことの繰り返しになりますから、

   これを最後にどうぞお引き取り下さい。
                                               鈴木 守 
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*****************《↓ 2013-11-02 02:30:08付 浜垣誠司様 からのコメント》**************
Unknown (浜垣 誠司)
お返事をありがとうございます。

鈴木さんのお気持ちは、よくわかりました。
(が、どうか無理はなさらないで下さい。)

あと、私なりに文章を書いてみる上で、まだ二点ほど鈴木さんのお考えを理解しえていない点がございますので、失礼のなきようにあらかじめご教示いただければ幸いです。

一つは、私が「陰謀論」と呼ばせていただいている鈴木さんの文章が引き起こしうる悪影響についてですが、鈴木さんとして「「誤解やデマの元」とは全く考えていない」と明確におっしゃっる根拠は、いったい何なのでしょうか。
ネット上にアップされている文章というのは、将来において誰がどんな意図で引用するかもしれませんし、歪んだ形で一気に拡散してしまうおそれもあるということは、周知のとおりです。
例えば鈴木さんが、賢治研究者が「抹消した」とか「改竄した」とか書いている部分などは、その伝えられ方によっては、誤解やデマの元となる可能性を十分に孕んでいると私には思えてしょうがないのですが、なぜ「全く考えていない」と断定的に言うことができるのか、鈴木さんの考えをお教え下さい。


もう一つは、鈴木さんがこのような「陰謀論」の公開を続けられる意味や価値についてですが、上記のようにそれが引き起こしうる社会的悪影響については、私と鈴木さんの間には認識の相違があるようなので、それはここでは措いておきます。
ただ、これらの文章が現に法的に関係者の名誉を毀損している状態にあることは、上にも説明させていただきましたので、今や鈴木さんにもご理解いただいていると思います。
そして、関係者にそのような損害を与えてまで、鈴木さんがこれを公開し続けるというからには、その公開には関係者の損害以上の意味や価値があると、鈴木さんが考えておられるということだと拝察しますが、それはいったい何なのでしょうか。
私が思うには、誰かが恣意的に年譜の一部を抹消したり書籍を改竄したということが、一定の信頼性のある証拠に基づいて推定できるというのであれば、かなりの犠牲を払ってでもその証拠と推論は公開して、他の研究者の検証を待つ必要もあると思うのですが、鈴木さんの「思考実験」なるものには何の客観的根拠もなく、はたしてそれを公開することに何らかの意味や価値があるものなのか、私には疑問なのです。
このようなレベルの話は、例えば居酒屋の放談としてならばあることなのかもしれませんが、鈴木さんのように真面目な調査を続けておられる研究者が、はたしてわざわざ書籍やネット上の文章にして公開すべきことなのでしょうか。鈴木さんのお考えになるその意味や価値とは、何なのでしょうか。

以上、よろしくお願いします。


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Unknown (浜垣 誠司)
2013-11-03 12:23:10
鈴木さん、こんにちは。
再度のお返事、ありがとうございます。
しかし残念ながら、こちらでもこれ以上は、質問や意見のやりとりに応じていただけないということなのですね。

ただ、今回のお返事で、いま鈴木さんをこのように突き動かしている「力」の一端を、少しだけですが垣間見ることができたように思います。
その意味では、今回こういう内奥のことまで含めて鈴木さんがお答え下さったことに、感謝を申し上げます。


賢治について真実を語ったために、「理不尽な圧力」を受けて、沈黙せざるを得なかった方々…。
それがどういう経緯のことだったのか私にはわかりませんが、もしもそのようなことがあったのなら、その方々はさぞかし無念だったでしょうし、鈴木さんが「彼等の無念さを代弁」するためには、何者をも恐れぬ勇敢さをもって、ブログを書いたり、書籍を出版されたりしているということも、よく理解できます。

ただし、その際にやはり私は、鈴木さんが実践しておられるそのやり方について、非常に危惧を覚えるのです。
鈴木さんは、「賢治についての真実を語ったがために、その途端に周りから集中砲火を浴びた人(その構図は今の私の置かれた状況にも似ております)」とおっしゃっていますが、先日の私との議論や、こちらでの「テジマア」さんや「とおりすがり」さんとの質疑応答で行われたことを、鈴木さんは「集中砲火」と感じておられるのですか?
そこでは、鈴木さんが書かれた内容について、冷静な質問や指摘が行われたにすぎなかったはずです。

ひょっとしたら鈴木さんは、この間にご自身が質問されたり指摘を受けたことに対しても、「理不尽な圧力」と感じておられるのかもしれませんが、理不尽なことを一方的に述べていたのは鈴木さんの方であって、他の人々は、理性的に議論をしようとしただけではありませんか。
知り合いの方々の無念さを代弁しようとすると、多少は感情が入ってしまうのもやむをえないかもしれませんが、それにしても鈴木さんの論法は、あまりにも理屈が通っていなかったり感情に流されたりしすぎていたのではないでしょうか。

あるいは、傷ついた人の無念さを晴らすためには、多少は他の人々を傷つけても構わないと思っておられるのかどうか私にはわかりませんが、先に指摘させていただいたように、「陰謀論」によって社会に誤解を与えてしまう問題や、関係者の名誉を毀損している問題は、鈴木さんが抱いておられる「大義名分」によって、少しも相殺されるものではありません。
鈴木さんは、自分自身は「多少の犠牲、傷つくことぐらいは覚悟しています」と言っておられて、それはそれで勇敢なことだとは思いますが、同時にその行動によって、他の人々を傷つけかねない場合も多いということも、どうかご自覚下さい。
「私のことなどにお気遣いなさらずに」とおっしゃいますが、私が気遣っているのは、鈴木さんだけでなくて、他の賢治愛好者や関係者の方々なのです。

今のまま同じやり方で、鈴木さんが執筆を続けて行かれると、それは最初は「理不尽な圧力」に対する対抗活動だったのかもしれませんが、いつしか鈴木さんご自身の方が、各方面に対して「理不尽なペンの暴力」を振るっていることになってしまわないかと、私は危惧しているのです。
いわゆる「ミイラ取りがミイラになる」という現象ですね。
あるいは、映画『スター・ウォーズ』の言葉を使えば、正義のためと思って戦っていたつもりが、知らないうちに「フォースの暗黒面に堕ちていた」ということになりますが、これが私はとても心配なのです。


そうならないためにこそ、自分一人の殻に閉じこもらずに、他の人々とも意見を交換しながら執筆を続けて行かれることが、最善の方法だと思うのですが、私や他の方々がこのコメント欄に意見を書いたり質問をしても、やり取りが厄介になると鈴木さんはいつも一方的に打ち切ってしまわれます。今回もそうです。
そして、自分に反対意見を言わない方との会話だけを続けておられる現状に、これも大変に危惧を覚えます。

まあ、「これを最後にどうぞお引き取り下さい」とのことですので、これくらいにしておきますが、どうか努めて冷静に、怒りやルサンチマンなどの感情を統御しながら、執筆を続けて行かれることをお祈りしています。

May the Force be with you.
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