みちのくの山野草

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賢治の偶像化について(金子誠次郎)

2016-12-07 08:30:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 賢治から、『二人はよく同じ道を歩いて來たもんでがあすな』と言われたという金子誠次郎(賢治と同じく花城小学校、盛岡中学、盛岡高等農林でそれぞれ学んだという、賢治より約4歳年下の人物)が「賢治さんとその想ひ出」という追想の中で、次のようなことを述べていた。
 最近生前の賢治さんをよく知らない人達までが、たゞその作品を透うしてその人柄を硏究なされておる人もたくさんあるようです。このことはまことに賢治硏究としてうれしいことであります。しかし、やゝもすれば賢治を偶像化そう(ママ)とする人の見えないわけではありません。數多くの賢治ファンとでも云いましようか、賢治さんを知つてゐる人の中にさえ、たしかにそのような人も見えます。しかし、これは決して正しい賢治さんの見方ではないと思います。…(投稿者略)… 稀に見る天才でありました。類のない程縱横無盡とも言ひたい想像力をもつていました。感覺と表現力は何人も及ばないものがありました。…(投稿者略)…賢治さんを祭り上げて尊敬する人、神さんのような人というように象徴化し、偶像化して、わたくし達と一線を劃すような見方をするようなことがあつてはならないと思います。もしあつたとしたら、賢治さんは、自分の本當の氣持を解らない人達だといつて、このことだけは、かつて本氣になつて怒ったことない賢治が怒り出すに相違ないことを、わたくしは地下の賢治さんの身代りになつて、代辯してもよいような氣がします。
 宮澤賢治はどこまでもわたくし達の宮澤賢治であり、わたくし達の生活を直結してこそ、その光りはとこしへに放つものであることを斷言したいと思います。
             <『四次元 十一月號』第一巻第二號(佐藤寛編輯、十字屋書店、昭和24年10月)43p~> 
 いつ頃から賢治が偶像化され、それに対しての危惧がいつ頃から語られるようになったのか私にはよくわからないが、少なくとも昭和24年頃には既に偶像化を危惧する声が発せられていたのだということを私は知ることができた。それも、賢治のことをよく知っている地元の人からのそれをだ。
 もちろん賢治のずば抜けた天賦の才は私も大いに認めるところであるが、だからといって賢治が聖人・君子でもまして神様でもないことは、この約十年間に亘る「羅須地人協会時代」の賢治の検証作業を通じてほぼ私は明らかにできた。だがそんなことは、私が言うまでのことでもなく、地元のことも賢治のこともよく知っていた金子が既に言っていたことであったということだ。

 そして、金子が「最近生前の賢治さんをよく知らない人達までが、たゞその作品を透うしてその人柄を硏究なされておる」と指摘するように、作品を単純に還元して賢治の人柄等を研究することの危険性を私たちは重く受け止めねばならないようだ。 

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《鈴木 守著作案内》
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       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
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 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。

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