みちのくの山野草

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『賢治と<聖女>高瀬露』の目次 (訂正版)

2014-04-07 10:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
プロローグ
      ・歌人高瀬露          
      ・賢治らしからぬ賢治
第一章 新たにわかったことと『露伝説』への疑問
     高瀬露に関して新たにわかったこと
      ・〔同心町の夜あけがた〕の坂の下り口
      ・「坂の下り口」に高瀬露の家があった
      ・寶閑小時代の露の教え子に会えた
      ・寶閑小時代の露は下宿していた
      ・新、旧寶閑小学校の場所
      ・露が勤務していた旧寶閑小学校跡地特定
      ・露の下宿は自炊方式だった
     『露悪女伝説』に対する大いなる疑問
      ・露の生家・勤務校・下宿の地理的位置関係
      ・検証<1日に2回も3回も遠いところ>
      ・ある「寶閑小学校資料」より
      ・遠野時代の露は<聖女>
      ・伝説を見直すべき時期が来た
第二章 <仮説:露は聖女だった>定立
      ・高瀬露に関して明らかにできたこと
      ・検証不十分だったM
      ・ちょっと思考実験
      ・「「宮澤賢治伝」の再検証(二)」より
      ・早池峰登山封印と露伝説
      ・気がかりなこと
      ・<仮説:露は聖女だった>を定立する
第三章 <仮説>の検証(羅須地人協会時代)
    ロシア人のパン屋が来た頃
      ・宮澤清六のある証言
      ・女性Tは<聖女>
      ・清六の証言は<仮説:露は聖女だった>を裏付けている
      ・知らぬ顔の半兵衛
    佐藤隆房の「女人」よる検証
      ・佐藤隆房著『宮澤賢治』より
      ・<仮説:露は聖女だった>を裏付けている部分
      ・<仮説:露は聖女だった>の反例となるか
      ・「女人」は<仮説:露は聖女だった>を裏付けている
      ・宮澤賢治に関してのある傾向
    「ライスカレー事件」の真相
      ・実際にあった「ライスカレー事件」
      ・Kの証言内容の信憑性の低さ
      ・賢治が食べなかった理由
      ・浮かぶ瀬がない露
      ・仮説は検証に耐えたがまだ問題あり
      ・露のオルガン演奏
      ・賢治の「注意」の仕方
      ・賢治の「注意」の真相
      ・「ライスカレー事件」の真相
      ・<仮説:露は聖女だった>は検証に耐ている
    「昭和六年七月七日の日記」に対する疑問
      ・まるでゴシップ記事
      ・「一九二八年の秋の日」の疑問
      ・「文學の國いわて」◆57◆より
      ・Mはなぜ「一九二八年」としたのか
      ・やはり「一九二八年の秋の日」でよい
      ・「何人かの女性もあり」
      ・「昭和六年七月七日の日記」は「賢治伝記研究」の資料たり得ない
    どんな奇矯な言動が賢治にはあったのか
      ・賢治のあの行為は皆あった
      ・はたして奇矯な行為をしたのか
      ・『新校本年譜』によれば
      ・なぜ賢治は露に「癩病」ですと言ったのか
      ・「宮澤賢治先生を語る會」より
      ・Kの言動から見えてくること
      ・Kの証言の取扱方
      ・残っている証言は何か
    全てを物語る父政次郎の厳しい叱責
      ・まだ残っている証言から言えること
      ・父政次郎からの厳しい叱責
      ・政次郎の叱責の持つ意味
      ・高瀬露関連を含む図書等一覧
      ・検証に耐えている<仮説:露は聖女だった>
      ・〔うすく濁った浅葱の水が〕より
      ・賢治の猜疑心と自信のなさと
      ・賢治は露のことをかなり気にし続けていた 
第四章 <仮説>の検証(羅須地人協会時代後)
    昭和4年
     昭和4年高瀬露宛書簡下書群
      ・昭和4年高瀬露宛書簡下書発見について
      ・新たに発見されたという「露宛書簡下書」
      ・二つの下書は繋がる
      ・不確かさが増すばかり
     書簡下書〔252c〕は検証の資料たりえない
      ・“昭和4年”とする根拠
      ・“昭和4年”であることの不思議
      ・〔252a〕についての疑問
      ・〔252b〕についての疑問
      ・「法華をご信仰」とあることへの疑問
      ・賢治らしからに文体の〔252c〕
      ・「ただならぬ物言い」
      ・資料となるか否かの判断
      ・来簡が一通も存在しないという不思議
      ・露以外の女性である可能性
      ・〔252c〕は検証の資料たり得ない
     本名を公表・活字にしてしまったことの罪
      ・“一連の「書簡下書群」”な対する認識と判断
      ・判然としていない判然さ故に
      ・検証に耐えている<仮説:露は聖女だった>
      ・不可欠な“一連の「書簡下書群」”そのものの検証
      ・実は高瀬露の帰天するのを待っていた
      ・本名を公表した結果起こったこと
      ・安易に公表してしまったという罪
      ・露に事前に打診をしていたならば
    昭和5年
     関徳弥の『昭和五年 短歌日記』の不思議
      ・関徳弥の『昭和五年 短歌日記』発見報道
      ・消されていた曜日欄
      ・『昭和五年 短歌日記』の持主U氏
      ・一回目のU氏訪問
      ・二回目のU氏訪問
      ・『昭和五年 短歌日記』は昭和5年に書かれたものでない可能性
      ・『昭和五年 短歌日記』は何年に書かれたか
      ・『昭和五年 短歌日記』は昭和6年に書かれた
      ・検証に耐え続けている<仮説>
    昭和6年
     賢治と結びつけられることを拒絶するちゑ
      ・検討すべき残りの資料は何か
      ・〔聖女のさましてちかづけるもの〕
      ・〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕
      ・二つの詩の比較
      ・賢治自身のある証言(賢治とちゑの結婚話)
      ・様変わりしてしまった賢治
      ・ちゑ自身はどう思っていたか
      ・関係者の証言も裏付けている
      ・ちゑも露と同じく被害者
     思考実験<賢治三回目の「家出」等>
      ・伊藤ちゑとの結婚話が「伏線」
      ・ある一つの思考実験開始
      ・昭和6年上京当時ちゑは東京にいた
      ・「和とぢ」のほんはどこで菊池に渡したか
      ・吉祥寺行きは9月20日か同21日
      ・賢治三回の「家出」
      ・思考実験<ちゑに結婚を申し込んだ賢治>
      ・〔聖女のさまして…〕の「聖女」は露でなくてちゑ
     今回も検証に耐えた<仮説>
      ・<仮説:露は聖女だった>は今回も検証に耐えた
      ・詩は単独では伝記研究の資料たり得ない
      ・現時点での結論
    昭和7年
     曾て賢治氏にはなかつた事
      ・昭和15年の遠野「賢治の集ひ」
      ・賢治を中傷する女の人
      ・他の女性の可能性もある
      ・佐藤勝治の〔聖女のさまして…〕の詩の見方
      ・告げ口を信じやすいという賢治
      ・二つは同じエピソード
      ・曾て賢治氏にはなかつた事
      ・「面影」による検証結果 
     敢えてしたと言うOの「粗雑な推定」
      ・粗雑な推定の「取消」
      ・「粗雑な推定」の分析
      ・「粗雑な推定」の中身
      ・「露関連」証言のOの表現の曖昧さ
      ・曖昧な文章表現の微妙な変化
      ・現時点でのOの「露関連」証言による検証結果
     賢治と中舘武左衛門と書簡〔241a〕
      ・『年表作家読本 宮沢賢治』より
      ・中舘武左衛門とは
      ・七月三十日付中舘武左衛門宛書簡
      ・〔241a〕の日付は〔昭和三年〕七月三十日
      ・〔422a〕中舘武左衛門宛書簡下書
      ・中舘武左衛門と賢治との人間関係
      ・今回も検証に耐えた<仮説:露は聖女だった>
エピローグ
      ・YK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』について
      ・少しく分析してみれば
      ・せめて資料の精読を
      ・既に著名な宗教学者のYT氏が
      ・露を早く救い出してほしいという賢治からのメッセージ
      ・<仮説:露は聖女だった>はとうとう検証に耐えた抜いた
      ・あとがき
「高瀬露関連」著書及び資料等一覧
上記以外の参考図書等


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