《創られた賢治から愛すべき賢治に》
プロローグ・歌人高瀬露
・賢治らしからぬ賢治
第一章 新たにわかったことと『露伝説』への疑問
高瀬露に関して新たにわかったこと
・〔同心町の夜あけがた〕の坂の下り口
・「坂の下り口」に高瀬露の家があった
・寶閑小時代の露の教え子に会えた
・寶閑小時代の露は下宿していた
・新、旧寶閑小学校の場所
・露が勤務していた旧寶閑小学校跡地特定
・露の下宿は自炊方式だった
『露悪女伝説』に対する大いなる疑問
・露の生家・勤務校・下宿の地理的位置関係
・検証<1日に2回も3回も遠いところ>
・ある「寶閑小学校資料」より
・遠野時代の露は<聖女>
・伝説を見直すべき時期が来た
第二章 <仮説:露は聖女だった>定立
・高瀬露に関して明らかにできたこと
・検証不十分だったM
・ちょっと思考実験
・「「宮澤賢治伝」の再検証(二)」より
・早池峰登山封印と露伝説
・気がかりなこと
・<仮説:露は聖女だった>を定立する
第三章 <仮説>の検証(羅須地人協会時代)
ロシア人のパン屋が来た頃
・宮澤清六のある証言
・女性Tは<聖女>
・清六の証言は<仮説:露は聖女だった>を裏付けている
・知らぬ顔の半兵衛
佐藤隆房の「女人」よる検証
・佐藤隆房著『宮澤賢治』より
・<仮説:露は聖女だった>を裏付けている部分
・<仮説:露は聖女だった>の反例となるか
・「女人」は<仮説:露は聖女だった>を裏付けている
・宮澤賢治に関してのある傾向
「ライスカレー事件」の真相
・実際にあった「ライスカレー事件」
・Kの証言内容の信憑性の低さ
・賢治が食べなかった理由
・浮かぶ瀬がない露
・仮説は検証に耐えたがまだ問題あり
・露のオルガン演奏
・賢治の「注意」の仕方
・賢治の「注意」の真相
・「ライスカレー事件」の真相
・<仮説:露は聖女だった>は検証に耐ている
「昭和六年七月七日の日記」に対する疑問
・まるでゴシップ記事
・「一九二八年の秋の日」の疑問
・「文學の國いわて」◆57◆より
・Mはなぜ「一九二八年」としたのか
・やはり「一九二八年の秋の日」でよい
・「何人かの女性もあり」
・「昭和六年七月七日の日記」は「賢治伝記研究」の資料たり得ない
どんな奇矯な言動が賢治にはあったのか
・賢治のあの行為は皆あった
・はたして奇矯な行為をしたのか
・『新校本年譜』によれば
・なぜ賢治は露に「癩病」ですと言ったのか
・「宮澤賢治先生を語る會」より
・Kの言動から見えてくること
・Kの証言の取扱方
・残っている証言は何か
全てを物語る父政次郎の厳しい叱責
・まだ残っている証言から言えること
・父政次郎からの厳しい叱責
・政次郎の叱責の持つ意味
・高瀬露関連を含む図書等一覧
・検証に耐えている<仮説:露は聖女だった>
・〔うすく濁った浅葱の水が〕より
・賢治の猜疑心と自信のなさと
・賢治は露のことをかなり気にし続けていた
第四章 <仮説>の検証(羅須地人協会時代後)
昭和4年
昭和4年高瀬露宛書簡下書群
・昭和4年高瀬露宛書簡下書発見について
・新たに発見されたという「露宛書簡下書」
・二つの下書は繋がる
・不確かさが増すばかり
書簡下書〔252c〕は検証の資料たりえない
・“昭和4年”とする根拠
・“昭和4年”であることの不思議
・〔252a〕についての疑問
・〔252b〕についての疑問
・「法華をご信仰」とあることへの疑問
・賢治らしからに文体の〔252c〕
・「ただならぬ物言い」
・資料となるか否かの判断
・来簡が一通も存在しないという不思議
・露以外の女性である可能性
・〔252c〕は検証の資料たり得ない
本名を公表・活字にしてしまったことの罪
・“一連の「書簡下書群」”な対する認識と判断
・判然としていない判然さ故に
・検証に耐えている<仮説:露は聖女だった>
・不可欠な“一連の「書簡下書群」”そのものの検証
・実は高瀬露の帰天するのを待っていた
・本名を公表した結果起こったこと
・安易に公表してしまったという罪
・露に事前に打診をしていたならば
昭和5年
関徳弥の『昭和五年 短歌日記』の不思議
・関徳弥の『昭和五年 短歌日記』発見報道
・消されていた曜日欄
・『昭和五年 短歌日記』の持主U氏
・一回目のU氏訪問
・二回目のU氏訪問
・『昭和五年 短歌日記』は昭和5年に書かれたものでない可能性
・『昭和五年 短歌日記』は何年に書かれたか
・『昭和五年 短歌日記』は昭和6年に書かれた
・検証に耐え続けている<仮説>
昭和6年
賢治と結びつけられることを拒絶するちゑ
・検討すべき残りの資料は何か
・〔聖女のさましてちかづけるもの〕
・〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕
・二つの詩の比較
・賢治自身のある証言(賢治とちゑの結婚話)
・様変わりしてしまった賢治
・ちゑ自身はどう思っていたか
・関係者の証言も裏付けている
・ちゑも露と同じく被害者
思考実験<賢治三回目の「家出」等>
・伊藤ちゑとの結婚話が「伏線」
・ある一つの思考実験開始
・昭和6年上京当時ちゑは東京にいた
・「和とぢ」のほんはどこで菊池に渡したか
・吉祥寺行きは9月20日か同21日
・賢治三回の「家出」
・思考実験<ちゑに結婚を申し込んだ賢治>
・〔聖女のさまして…〕の「聖女」は露でなくてちゑ
今回も検証に耐えた<仮説>
・<仮説:露は聖女だった>は今回も検証に耐えた
・詩は単独では伝記研究の資料たり得ない
・現時点での結論
昭和7年
曾て賢治氏にはなかつた事
・昭和15年の遠野「賢治の集ひ」
・賢治を中傷する女の人
・他の女性の可能性もある
・佐藤勝治の〔聖女のさまして…〕の詩の見方
・告げ口を信じやすいという賢治
・二つは同じエピソード
・曾て賢治氏にはなかつた事
・「面影」による検証結果
敢えてしたと言うOの「粗雑な推定」
・粗雑な推定の「取消」
・「粗雑な推定」の分析
・「粗雑な推定」の中身
・「露関連」証言のOの表現の曖昧さ
・曖昧な文章表現の微妙な変化
・現時点でのOの「露関連」証言による検証結果
賢治と中舘武左衛門と書簡〔241a〕
・『年表作家読本 宮沢賢治』より
・中舘武左衛門とは
・七月三十日付中舘武左衛門宛書簡
・〔241a〕の日付は〔昭和三年〕七月三十日
・〔422a〕中舘武左衛門宛書簡下書
・中舘武左衛門と賢治との人間関係
・今回も検証に耐えた<仮説:露は聖女だった>
エピローグ
・YK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』について
・少しく分析してみれば
・せめて資料の精読を
・既に著名な宗教学者のYT氏が
・露を早く救い出してほしいという賢治からのメッセージ
・<仮説:露は聖女だった>はとうとう検証に耐えた抜いた
・あとがき
「高瀬露関連」著書及び資料等一覧
上記以外の参考図書等
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