みちのくの山野草

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3186 賢治昭和3年の病気(#7)

2013-04-06 09:00:00 | 羅須地人協会の終焉
《創られた賢治から愛される賢治に》
境忠一氏の場合
 さてでは今回は、宮澤賢治の研究書としては定評があると聞く境忠一氏の『評伝 宮澤賢治』には、この「賢治昭和3年の病気」についてはどのように論じられているのだろうかを見てみたい。
 六月十二日から伊豆大島の伊藤七雄、ちゑ兄妹を訪ね、「三原三部」を書いた。十五日、東京に帰り、二十四日帰花した。滞京中、歌舞伎座を見ている。花巻に帰ったのち…(略)…各村をまわって稲作指導をしてまわった。この年は気候不順で、風雨の中を奔走し、無理を重ねた。七月十日付の詩「停留所にスヰトンを喫す」には、農村指導の過労から賢治が心身の衰弱を感じている様子が出ている。…(略)…
 八月はじめ、ついに賢治は病に倒れ、豊沢町の実家に帰ったが、この頃から、彼のあまりにも早い晩年がはじまっていると考えたい。病名は両側肺浸潤であった。当時の主治医は、花巻共立病院の内科長佐藤長松であったが、重要な診断や助言については、以前から父政次郎と昵懇であった院長の佐藤隆房があたっていた。このころ賢治は農学校の教え子である高橋武治に、「八月十日から丁度四十日間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたままで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。」と述べている。
 十二月に入って、病室が防寒に不備であったために突然激しい風邪におそわれ、それを契機として急性肺炎になった。「経過から見ますと明らかに結核性肺炎」といわれる。
            <『評伝 宮澤賢治』(境忠一著、桜楓社)326P~より>
 そこには、上記のようなことが述べられていた。
賢治は「風雨」の中を奔走したか
 それにつけても思うのは、境忠一氏は
 この年は気候不順で、風雨の中を奔走し……①
と断定しているが、境氏のことだからもちろん裏付けをとった上での論考だとは思うが、一体何を典拠したのだろうか。それを私は知りたい。
 というのは、以前〝昭和3年夏の天候〟において掲げた「賢治下根子桜時代の花巻の天候について」を用いて、昭和2年と3年分の降水量を一部付け足してみたのが下表であるが、



   <天気は『阿部晁日記』より、降水量は「盛岡地方気象台」より
    また、降水量欄については〝記載なし〟=〝全く雨降らず〟、〝0.0〟=〝雨は降ったが降水量はゼロ〟
    なお、昭和2年の6月のデータは未入手>
こうして一覧表にして見てみると、『阿部晁日記』の天気の記載と降水量の相関が強いことは一目瞭然であり、この日記の天気の記載は信頼度が高いと判断できる(ただし、昭和2年8月19日の降水量は豪雨に近いと思うので、この日だけは極めて問題だが)。したがって、この表の天気及び降水量から推論すれば、〝①〟であったということは私の場合にはどうしても導き出せないからである。
 もしこれが、前年の昭和2年の場合であるならばまさしくその気象条件は合致すると思うが、昭和3年の場合にはとてもそうとは言えないのではなかろうか。この表によれば、昭和3年の場合、たしかに6月末~7月初めにかけては雨は降っているが、前年のそれのように「大雨」「大雷雨」「急雨」等ということはないし、それ以降はよい天気の日が続いている。それとも、約1ヶ月前の〝6月末~7月初めにかけて〟の雨が災いして、それが約1ヶ月の潜伏期間を経て8月10日に突如発病したのだろうか。とすれば、この発病の仕方はあの伊藤忠一の証言
 あの頃は私も年が若くて、どのくらい体が悪いんだか察しもつかないで、また良くなればもどってくるだろうぐらいに思って、そのまま別れてしまいあんしたが、それっきりあとは来ながんした。
               <『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)37pより>
にはそぐわない気がする。

 はたして、賢治は「風雨」の中を奔走したのだろうか。データに基づく限り少なくとも昭和3年にはそんなことはあり得なかったのではなかろうか(昭和2年ならばまさしくそのようなことはあり得たであろうが)。

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