sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

記録と祈り

2024-02-27 | Weblog
自分には記録癖のようなものがあり、若い頃は紙の日記を大量に書いてたけど
ここ10年はいろんなSNSにも日々のことをちまちまと記録してアップしてる。

20年くらいずっと毎日のように書いてるブログだけは、おこがましいけど
ここにある畠山さんの写真に対する言葉と同じような気持ちで書いているのかもしれない。
(↓下にある文章は5年前に書いたもの)
あまりアップしたりシェアしたり人と繋がったりしないブログは、
自分だけの記録という意味が9割、あとはここにある祈りのような気持ちも1割くらいあるかも。

「バハールの涙」の感想を書いてて畠山直哉さんの写真を思い出したのだけど、
その言葉も幾つか思い出した。
全然映画に関係ないけど、震災や悲劇を美しく撮ってしまうことについて、
震災後ずっともやもやしてたわたしの答えはこれに近いかなと。
岩手県出身の畠山さんはお母様を津波で亡くされ、震災直後から何度も被災後の街を撮影しているけど、
彼の写真にわかりやすい感傷は見られず、
個人的な記憶は目に見えないし写真に写らないというスタンスで丁寧で明瞭な写真を撮っている。
でも「誰かに見てもらいたいというよりも、誰かを超えた何者かに、
この出来事の全体を報告したくて撮っている」
という写真家の言葉は
わたしのもやもやの答えの一つになるように思う。
緻密で美しい写真なのですが、これを彼は自分のために撮っているのでは全然ないのですね。
誰かに見せるためでもない。誰のためでもなく、むしろ祈りに近いもののように思います。
祈りであれば磨いて美しくしていくのも納得できるのです。
でもそこまで全く私心や邪心のない写真家は実は滅多にいないのではないかとも思うけど。
「写真という場所は、一枚岩じゃありません。言葉のスピードを落として、
ボキャブラリーを増やして、慎重に話さないとうまく議論ができないことが世の中にはあると思うんです。」

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