滋賀県大津市の市立中学2年男子生徒が自殺したことを巡って行われた全校アンケートで、「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教育委員会が公表しなかった問題で、市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかったとのこと。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20120705-567-OYT1T01621.html?fr=rk
以下に引用
大津市の市立中学2年男子生徒が自殺したことを巡って行われた全校アンケートで「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教委が公表しなかった問題で、市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかった。
市教委はこれまで、非公表にした理由を「事実を確認できなかったため」と説明していた。
市教委によると、「自殺の練習」は、生徒16人が回答に記していた。うち実名で回答した4人には聞き取りをしたが、事実は確認できず、それ以上の調査もしなかったという。加害者とされる同級生らにも聞き取りを行う機会はあったが、「練習」については一切尋ねなかったとしている。
その理由について、市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
………。
出た、人権。
この場合「人権」の使い方がおかしくないですかね?
記事によると教育委員会は
「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」
とのことですが、これはどう考えても変です。
もちろん加害者にも人権はあるし、人として扱うべきだとは思います。
しかしこの場合は「加害者達によって男子生徒が自殺の練習をさせられていた」という証言があるわけで(しかも複数)、そこは加害者にきちんと問いただして真偽をはっきりさせるべきです。
人権を盾にしてうやむやにするのはおかしいと思います。
それと、何かあるとすぐ人権や差別という言葉を盾にするのは、なかなか特徴的なやり口なんですよね。
この教育委員会はどういう思想の人達なのかなと思います。
被害者が自殺に追い込まれた経緯の解明より加害者の人権を重視するというのは明らかにおかしいです。
ちなみにタレントのフィフィさんがこの問題についてツイッターで興味深いツイートをしていました。
この国の人権は被害者側では無く加害者の為にある。
まったくそのとおりで、加害者への間違った配慮が「男子生徒が自殺の練習をさせられていた」という核心部分の隠蔽を招いてしまいました。
後は教育委員会の人達の保身も少なからずあったでしょうね。
「自殺の練習」をさせていたとなればいじめどころか「自殺教唆」という犯罪になる可能性があり、その部分については触れたくないという思惑があったのかも知れません。
いずれにしても隠蔽していたことが露呈した以上、きちんと実態を明らかにしてほしいと思います。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20120705-567-OYT1T01621.html?fr=rk
以下に引用
大津市の市立中学2年男子生徒が自殺したことを巡って行われた全校アンケートで「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教委が公表しなかった問題で、市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかった。
市教委はこれまで、非公表にした理由を「事実を確認できなかったため」と説明していた。
市教委によると、「自殺の練習」は、生徒16人が回答に記していた。うち実名で回答した4人には聞き取りをしたが、事実は確認できず、それ以上の調査もしなかったという。加害者とされる同級生らにも聞き取りを行う機会はあったが、「練習」については一切尋ねなかったとしている。
その理由について、市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
………。
出た、人権。
この場合「人権」の使い方がおかしくないですかね?
記事によると教育委員会は
「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」
とのことですが、これはどう考えても変です。
もちろん加害者にも人権はあるし、人として扱うべきだとは思います。
しかしこの場合は「加害者達によって男子生徒が自殺の練習をさせられていた」という証言があるわけで(しかも複数)、そこは加害者にきちんと問いただして真偽をはっきりさせるべきです。
人権を盾にしてうやむやにするのはおかしいと思います。
それと、何かあるとすぐ人権や差別という言葉を盾にするのは、なかなか特徴的なやり口なんですよね。
この教育委員会はどういう思想の人達なのかなと思います。
被害者が自殺に追い込まれた経緯の解明より加害者の人権を重視するというのは明らかにおかしいです。
ちなみにタレントのフィフィさんがこの問題についてツイッターで興味深いツイートをしていました。
この国の人権は被害者側では無く加害者の為にある。
まったくそのとおりで、加害者への間違った配慮が「男子生徒が自殺の練習をさせられていた」という核心部分の隠蔽を招いてしまいました。
後は教育委員会の人達の保身も少なからずあったでしょうね。
「自殺の練習」をさせていたとなればいじめどころか「自殺教唆」という犯罪になる可能性があり、その部分については触れたくないという思惑があったのかも知れません。
いずれにしても隠蔽していたことが露呈した以上、きちんと実態を明らかにしてほしいと思います。
何の為のアンケートだったのかと思ってしまいます。実名で解答した生徒達は、勇気を持って、解明を願って、アンケートを書いたと思う。16人もの生徒が重要な解答をしているのに、何を考えているのか。
「自殺の練習」なんて、事実だとしたら、とんでもないことです。
実態を明らかにすべきです。
書いてくれた人達の勇気が無駄になってしまうところでした。
教育委員会の人は少なからず保身の意識が働いたのかも知れませんね。
人権云々で誤魔化すのではなくきちんと実態を解明してほしいと思います。