鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2006・9月の「観音崎・浦賀・久里浜」取材旅行 その3

2006-09-19 22:48:43 | Weblog
 コンビニの駐車場を出発し、最後の見学予定地(東浦賀は次回になったので)である久里浜のペリー公園に向かいました。朝、立ち寄った時は、公園内を清掃している人を除いてはほとんど人を見かけなかったのですが、午後二時半の公園には、長椅子に座って日向(ひなた)ぼっこをしている人や、リュックを背負って写真を撮っている人、散歩をしている人、ペリー記念館に入ろうとしている家族連れなど、大勢とは言えませんが、それなりに人の姿が見えました。
 早速私も、家族連れの人たちの跡について、記念館に入りました。入館料は無料。

 玄関を入って右手のカウンターの上には、横須賀市発行の「ペリー記念館」というパンフレットと「ペリーと横須賀」というパンフレット(きれいなパンフレットですが、ただ)が置いてあり、早速いただきました。特に「ペリーと横須賀」の方は、表表紙と裏表紙を除いて16ページもあるもので、これが「ただ」とは、とお得な気分になりました。


 このパンフレットによると、「ペリー上陸記念碑」の除幕式が行われたのは、明治34年(1901年)の7月14日。東京・横浜を中心とした政財界の有力者の集まりである米友協会が二万円の基金を集め、さらに宮内庁からも御下賜金を賜って、建設されたものだということです。
 7月14日というのは、ペリーが久里浜に上陸し、日本側にアメリカ大統領の親書を渡したのが1853年7月14日(旧暦で6月9日)であることにちなんでいます。
 「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」という碑文は、初代内閣総理大臣伊藤博文の筆にもとづいて刻まれたもの。横須賀市の市制80年を記念したものでもあるそうです。

 前にも言いましたが、私が初めてここに来た時には、ペリー上陸記念碑と公園だけがあって、海(浦賀水道)と砂浜、そして房総半島が見える静かではあるけれど、殺風景なところでしたが、昭和62年(1987年)の5月1日に、この公園の右奥に「ペリー記念館」が出来て、「歴史的現場」にふさわしいものになったようです。

 ということで、期待をもって中に入りました。

 入ってすぐに目に付いたのは、精巧なジオラマ模型。ペリー艦隊の旗艦サスケハナ号の南側から見たペリー艦隊、久里浜や浦賀港、その背後に丹沢山系や富士山などの山々が配置されていました。こういう視点はなかなか斬新で、思わず取材ノートにスケッチしてしまいました。

 1階でほかに目に付いたのは、「ペルリ時計」の写真。
 解説によると、この時計は、下田奉行組与力を勤めていた山本謙兵衛が、ペリーから贈られたとされる時計で、コネチカット州TerryvilleのS・B・テリー社が製造したもの。当時アメリカで量産されていた棚クロックの一つということです。

 それを見た後、階段を上って2階に上がりました。2階には、周囲と真ん中に展示ケースがありました。
 ペリーが、1843年9月6日、セント・ビンセント岬沖のサラトガ号の艦上において、娘イザベル宛てに書いた自筆手紙が展示されていました。この手紙からイザベルの姉がキャロラインであること、兄がウィリアム、甥がオリバであることがわかります。
 それには、特派大使・東インド艦隊司令長官のいかめしさはなく、一個の子煩悩な父親の姿が垣間見られます。自筆手紙の方は、紙が茶色っぽくて字が薄く、ちょっと判読しにくいものでした。
 ほかには、久里浜に上陸した海兵隊員の行軍の図や、黒船の概観を描いた絵、黒船の乗組員を描いた絵巻物など。
 中央の展示ケースの中には、久里浜周辺18ケ所の御台場、また陣屋の所在地がわかる地図(ペリー来航頃の三浦半島警備の様子)がありました。
 これを見ても、厳重な警戒の様子(実際の効果はわかりませんが)が伺えます。

 それらで展示は終わり。

 先月、下田で了仙寺の「宝物館」や「黒船美術館」、「下田開国博物館」などを見学した私としては、無料ではあるものの、正直言ってちょっぴり物足らなさを感じました。何より展示場の面積が狭い。

 新ペリー記念館を建設する構想があるらしい、とのことですが、入館料は取ってもいいから、より充実したものを作ってほしく思います。
 
 私なら、

・久里浜に設けられた「応接所」を再現したもの
・ビデオ(大型画面)やパソコンによる説明・案内
・ペリー来航に対する武士(幕府首脳・奉行所役人・諸藩の志士など)や庶民のさまざまな反応がわかる展示
・関係文献を集めた資料室(図書室・閲覧室〔調べ物が出来る〕)
・ペリー艦隊が持ってきて組み立て、走らせたミニチュアの蒸気機関車と同じものを作って走らせ、入館者を乗せる(子どもたちが喜ぶだろうな)〔実際にペリー艦隊が持参したミニSLが走ったのは、翌1854年、久里浜ではなく横浜村の海岸ですが〕

などがあったらいいな、と思います。

 記念館を出た後、久里浜海岸の石段に座って、ペリー上陸の様子を想像しながら、東京湾フェリーの「しらはま丸」がターミナルにゆっくりと入っていくのを見学。

 海の向こうに房総の山々の稜線がくっきりと見えました。

 午後3時半頃にペリー公園を出発。

 「くりはま花の国」に立ち寄りました。
100万本のコスモスが咲いているとのことで、それを見たかったのですが、車を停めた駐車場からそのコスモスのエリアまで遠く、時間が押してきているので見ることが出来ず。

 残念!
 
 午後4時ちょうどに「くりはま花の国」を出発して、横浜横須賀道に入り、途中で渋滞に巻き込まれながらも、R246に出て、厚木に着いたのは午後六時過ぎ。

 「ブック・オフ」に寄って、

  『ブラームスの交響曲第四番』のCD
  『坂本龍馬の魅力学』加来耕三(講談社α文庫)
  『ことばの歳時記』金田一春彦(新潮文庫)

 を買いました。

 帰りの車で聴いたのは、モーツァルトのクラリネット協奏曲。
これを聴いていると、今日一日充実していたなあ、よく頑張ったなあ、という気持ちを、後押ししてくれるような、ふんわりと包みこんでくれるような感じがします。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第21番も絶品ですが、これも絶品です。

 途中の「幸楽苑」というラーメン屋(いつも混んでいる)に入って、坦坦麺と餃子(食べると 口に淡い甘さが広がる)とお握り二個(鮭のお握りはとくにうまい)のセットを食べ、自宅に着いたのは午後7時40分。

 今回の取材旅行の走行距離は、200,3キロでした。

 では、また。

 ※文中(今までの全ての投稿文を含めて)で、もし間違いなどありましたら、遠慮なくご指摘頂けたらうれしく思います。すぐに確かめて訂正します。
                                  鮎川俊介       
  


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