鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.7月取材旅行「神崎~佐原~津宮」 その5

2011-07-21 06:25:02 | Weblog
 小野川は、利根川の「小野川水門」のところから佐原の市街へと延びています。

 江戸時代、この小野川の両岸とその周辺には、河岸問屋や醸造関係の商工業者が軒を並べていたという。

 この小野川が国道356号線と交わるところが「北賑橋(きたにぎわいばし)」ですが、この「北賑橋」までの界隈(利根川と国道356号線の間)がとくに液状化の被害の深刻なところでした。

 この「北賑橋」を越えた先の小野川の両岸は、川岸の大きな崩れもなく、また柵の傾きもなく、柳の木の涼やかな緑がずっと川沿いに伸びていて、「小江戸」の風情を醸し出しています。

 しかし両岸にある商店や人家をよく見てみると、屋根がブルーシートで覆われていたり、家が微妙に傾いていたり、鉄パイプによる足場が組み立てられて建物の補修工事が行われている最中であったりします。

 「田端義夫歌唱碑 大利根月夜」のある「入船橋緑地広場」のあたりで小野川は大きく左へとカーブし、JR成田線の鉄橋と開運橋を潜って、いよいよ「本川岸」に入ります。ここからが佐原の旧中心街。

 川岸の道路に沿った商店の入口を見ると、「負けるな佐原! がんばろう佐原の町並 東北関東大震災 心を重ね、今こそ示そう 江戸優り佐原の誇り」と書かれたポスターや、また「復興観光 佐原の町並みは復活します 佐原へおいでください 訪れていただくことが最高の復興観光支援です。訪れてくださった皆様の心が私たちの心に重なって 町並みも、私たちも癒されます」」と記されたポスターが貼られています。その後者のポスターを飾っている趣きのある商店は「植田屋荒物店」。

 「小野川 佐原本川岸  お江戸見たけりや 佐原へござれ 佐原本町 江戸まさり」と刻まれた石製の四角い標柱も立っています。

 共栄橋のたもとを過ぎてまもなく左手に現れた黒壁・白壁の土蔵と古い商店のある建物群が、「正上(しょうじょう)」醤油店。天保3年(1832年)に建築されたもので、建物のほとんどが建築当初のままだという。川岸の柵沿いには醤油を入れる茶色の大きな土瓶が積み重ねられています。この「正上」の商店の屋根瓦の部分も、大地震で損傷を受けたようで、ブルーシートで覆われていました。

 「忠敬(ちゅうけい)橋」付近の対岸には、「旧油惣商店」や「中村屋商店」、通りを入ったところには「正文堂」書店(黒塗り土蔵造り)や「小堀屋本店」(蕎麦屋)などがあり、手前には「植田屋荒物店」や「中村屋乾物店」(黒壁土蔵造り)などがあり、この「忠敬橋」周辺が、重要伝統的建造物が集まっているところであることがわかります。

 この「忠敬橋」の中央から小野川上流を眺めてみると、川岸に乗合船が浮かび、その先に木橋(樋橋)が架かり、正面に丘陵の緑の繁りがあります。石積みの上の通り沿いには柳樹が緑陰をつくり、コンクリート製ではあるものの格子状の濃茶色の柵も、川沿いに繁栄した商都の風情をつくりだしています。

 全体的に見ると、大震災の被害の影響をほとんど感じさせない美しい景観が、目の前に広がっていました。


 続く


○参考文献
・『新・利根川図志 下』山本鉱太郎(崙書房出版)


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