4月16日(火) 22/12℃
生き延びていてほしい
そんな人々の願いが「義経、モンゴルに逃れてジンギスカンに・・・」「秀頼も、信繁も鹿児島に・・・」説につながった?!
《第5夜 【大坂城】秀頼も信繁も生きていた!?鹿児島生存説の謎に迫る》 (2018年7月19日城びと)
「・・江戸時代に書かれた上田秋成(うえだあきなり)の随筆『胆大小心録(たんだいしょうしんろく)』には「嶋津より城内へ兵粮五百石を入んといふ。神君ゆるして入さしむ。米を納めて歩卒等かへる。此中に秀より・眞田・後藤・木村もつれてしのびやかに出たりとぞ」とある。島津の軍勢が秀頼・信繁らを救出したというのだ」
☟ この話も鹿児島です
《悲劇の武将、福島正則は鹿児島で最期を迎えた? 墓から大男の骨…伝承残る南さつまの石碑に歴史ファンは興味津々》 (4月15日南日本新聞社)
「・・・尚古集成館(鹿児島市)の松尾千歳館長は、島津義弘と福島正則は秀吉の朝鮮出兵でともに戦い、関ケ原後も交流があったと説明。「加世田に来たという話は信じがたいが、そう伝わっているのも一つの史実。伝承は伝承として地元で大切に受け継いでもらいたい」と語った」
え~~~っ
福島正則は転封の地である信濃国高井郡、高井野で亡くなり館近くで荼毘にふされて、そのお霊屋は領内菩提寺の小布施、岩松院
(上:高山村の荼毘の地、中・下:小布施町の岩松院のお霊屋)
こちらの方は、減封されたとはいえ藩主として定着した福島正則が、老いてわざわざ遠国の鹿児島にいったのか?その節の解せないところです
それより、なにより、正則の幕府の策謀に対する “ガードの弱さ” が心残りです
この時期の定番
春を告げるモノたちです
( ⇧ まだ色変わりしないアオガエル君・・・)
☟ ネームの募集や投票が定番となっている須坂市動物園・・・
貼られていたポスターは、この3月に実施された “代表動物選挙”
面白いですねその「党名」が・・・
「よっこらしょっ党」
「ピンク党」
「潤い浸党」
「里民党」・・・etc
スタッフの柔軟さを感じます
《須坂市動物園代表動物選挙2024結果発表》 (3月24日須坂市動物園日記)
「ベンガルトラ臥桜の任期満了に伴う須坂市動物園代表動物選挙は3月24日(日)に投開票され、よっこらしょっ党所属 トビの八兵衛が376票を獲得し、初当選を果たしました」
近くの桜も今がピーク
曹洞宗如法寺の一帯は、見上げると桜に埋もれています
ここまでよく整備されましたね
こちらは真言宗の古刹、蓮台寺・・・
参道途中の鐘楼が見えています
5月8日は「花まつり」で賑やかです
☟ 参道入口の仁王門です
かつての火災で焼失しました
再建された仁王様と、焼け残っている以前の仁王様が同じく収められています
痛々しいお姿・・・
が
貴重です
飯山の ”黒仁王様” みたいですね
身を呈して、九品の阿弥陀如来様をお守りされています
合掌!!