今更ではありますが、もう半年ほど前に読んだものです。
「宗教ビジネス」という批判もされていた、キリスト教、特に聖霊派の人達が絶賛していた伝道者のベニー・ヒン、離婚ですって・・・・・。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/praise_logos/59845718.html
彼のファンの方々、ごめんなさいね。
Twitter@黒沼一也をフォロー
「宗教ビジネス」という批判もされていた、キリスト教、特に聖霊派の人達が絶賛していた伝道者のベニー・ヒン、離婚ですって・・・・・。↓
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僕はベニー・ヒンの本も読んでないし、説教も聴いてませんが、いろいろ情報を総合すると、けっこうはったりがあるようですね。
また、宗教ビジネスと言われてもしかたがないでしょうね。
でも,福音派って,“家族愛”を大事にするプロテスタントや無かったんですかぁ!?
いや、良い意味でも悪い意味でも、僕自身それでいいと思ってます。
うん、分かりますね。
アーメンです。
僕も聖霊運動に関心もち始めた頃、確かにそんな感じもないではなかったです。
アナコンディアの集会で危険な体験をするなど、僕は良い経験をしましたね。
個人的に当事者の幾人かを知っていますが、いずれの姉妹も、教会に対する責任感に欠け、例えば転会先の牧師を振り回す(ペテンにかける)、その教会の存続危機に面しても、自らのペンテコステ信仰の存続を固守する方を選ぶ等、平気にやってしまう方々です。
私も一、二度ペンテコステ信仰に傾きかけたことがありましたが、この当事者の信仰上のイケズ(いじめとちょっと違う)に合い、それだけが理由ではありませんが、ペンテコステ信仰に入り込むことは許されませんでした。
大津の先生は有名ですね。何人かしか知りませんが、一般のペンテコステの牧師先生自体は、気さくなイイ人が多い様に思います。
なるほど、「カトリック 聖霊による刷新 四谷祈りの集い」↓
http://www.sol.dti.ne.jp/~hsro/
↑これなんかも教会レベルでの事ではないみたいですもね。
>「聖霊の第三の波運動」は、当初ピーター・ワグナー師が、福音派であるまま、聖霊の働きが顕著になると主張していたのに反し、聖霊の働きがあまり見られないようだし、ペンテコステ派的悪要素を取り入れるようになり、多くの「カルト化教会」を生んだと思います。この運動の信徒が多くなってきた教会がペンテコステ化すると言うのは、造反そのものでしょう。
分かる様な気がします。
前にも書いたように、札幌でのピーター・ワーグナーの公演に1997年の11月に行きましたが、今世紀中に日本のクリスチャン人口が一千万人になるなんて、馬鹿な事言ってましたけどね。
その録音テープ、実際僕は持ってますが・・・。
それって、日本バプテスト連盟の教会ですか?
連盟所属の教会で、幕屋に乗っ取られそうになり、裁判沙汰になった話は聞いた事ありますが、いわゆる一般的に言われる聖霊派の教会に乗っ取られたという話は、僕は聞いた事がありません。
ただ、日本のプロテスタントでは最大と言われている教会の、ある町の枝教会が閉鎖した時、そこの教会に通っていた人達が連盟所属の教会に流れてきて、乗っ取られるのではないかと、まぁ冗談半分かもしれませんが、そんな話ならありましたけどね。
その他、連盟のある教会が、聖霊運動の影響で教会がめちゃくちゃになって、立て直すまで大変だったという話は聞いた事あります。
その教会は今無牧ですが、無牧にも関わらず、しっかり教会運営がなされているほど、しっかり今は立ち直ってます。
今は聖霊派の影響はないらしいですけどね。
その他、連盟所属なら、大津バプテスト教会は聖霊派として、ペンテコステの人達にも知られているほどです。
あと連盟内では、教会そのものは聖霊派と見なされていなくても、牧師が個人的に聖霊運動の影響を受けていたりする事は、そう珍しくなさそうです。
と、話が反れましたが、ちょっと気になったので、書かせていただきました。
「聖霊の第三の波運動」は、当初ピーター・ワグナー師が、福音派であるまま、聖霊の働きが顕著になると主張していたのに反し、聖霊の働きがあまり見られないようだし、ペンテコステ派的悪要素を取り入れるようになり、多くの「カルト化教会」を生んだと思います。この運動の信徒が多くなってきた教会がペンテコステ化すると言うのは、造反そのものでしょう。
私も、現代における聖霊の働きを信じるものでありますが、それはある運動と言うものではなく、主の教会全体に働く聖霊の働きだと信じています。主の御業は、神の言葉が語られ、そして聞かれるところに起こると信じています。
http://pub.ne.jp/shinqroom/?entry_id=106741
↑大雑把ではありますが、ネット上で質問された時はこれを元に書いてます。
一応、それを貼り付けておきますね。
異言を強調する運動が19世紀の終わり頃から20世紀の初めにかけておこり、「ペンテコステ運動」と呼ばれます。
多くはホーリネス派から発生しました。
そのような教派をペンテコステ派と呼ばれています。
また、1960年代に異言を始めとする霊的賜物を強調する運動がおこり、それを「カリスマ運動」と呼ばれます。
このカリスマ運動は「ネオペンテコステ運動」とも呼ばれますが、ペンテコステ運動のように教派を創るのでは無く、様様な教派に広がり、カトリックにもその運動がおこりました。
リベラル(自由主義神学)な背景を持つ教派から発生した教会も存在した事から、この「カリスマ運動」を、しばしば「リベラル派から発生した聖霊運動」とも言われます。
また、80年代になり、「聖霊運動の第3の波」と呼ばれるように福音派のようなそれほど聖霊の賜物を強調しないような境界の中にもそのような運動の影響を受ける人たちが現れるようになりました。
ある意味私のようなものはこの「聖霊運動の第3の波」に入るのだと思います。
と思っていたのですが、私は年々リベラルな聖書解釈をするようになり、また、所属教会がどちらかと言えばリベラル派と見られがちですので、私の立場は微妙な位置にいます。
これら三つの運動は始まった年代は異なるものの、異言を始め病気の癒しなどの奇跡や預言などなど霊的賜物を強調する事が共通していますので、同列に見られる事があります。
しかし、微妙に違いがあります。
ですから、私はそれら三つの運動を総称して「聖霊運動」とか「聖霊派」と呼ぶようにしています。
まぁ、厳密には「ホーリネス運動」も広い意味では聖霊運動に含まれるのでしょうが、ここではホーリネス運動を含みませんので、その点をご理解の上お読みください。
以上以前書いたものです。
ベニー・ヒンは元々アッセンブリーですし、神学的な相違から、アメリカアッセンブリーから追い出されたと僕は聞いてます。
その意味では、ペンテコステ派の流れです。
ゴスペルの賛美の時 イエス様の声を聞きました
日曜の礼拝の時ではありません 聖研の時でもありません 礼拝の賛美は心からの賛美でしたら賛成です 自身の自慢や誇示はどうかと・・
上記の書き込みは誤解を招く恐れが生じる為私自身は嫌ですが 教会や牧師の事でイエス様の関係が離れている人を黒子になり手を差し伸べたいと思います あくまで教会と牧師の教会へ導く為ではありません 個人とイエス様の関係修復のためです
・・聖霊派が個人的に理想と思っています
両刃の剣の場合も
良い所もあります
好き嫌いもありますし
行く・・が
何を言いたいのか、なるべく読み手に理解出来る様に書いていただけたらと、思います。
「意味が理解出来ない」という事で済むなら、それほど問題にはなりません。
ただネット上だと文字のやり取りだけなので、相手に誤解を与えてトラブルなんて事になってしまっては、お互い後で嫌な思いをしてしまいます。
実際気をつけていても、残念ながら意に反しトラブルに巻き込まれる事も、しばしばある事です。
それだけに、これまでの様に自由に書き込みしていただいてかまいませんが、そのあたり少し意識して書き込みしていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
癒しを認めない 教会員以外礼拝後食事は認めない
それは教会の牧師の範疇です
一部の説に牧師は神の代弁者の意見もあり
牧師に逆らうと教会生活が送れない事もあります
それは難しい選択もあると思います
信徒側からの話題です
あくまでも個人の意見です
牧師も意見かありましたらお書きください
>食事は参加を拒否します
>癒しは病院が専門で教会は病院に任します
すいません、前者と後者の文章それぞれの関連が分かりません。
食事は参加を拒否します
癒しは病院が専門で教会は病院に任します
もしそうなら、僕の言わんとするところを、きちんと理解した上で書き込みしていただきませんか?
賛美を分けて
薄いぺらだから あ〇〇
それが証や説教や賛美でも
牧師ではありませんし
私は毎日が礼拝と考えています
信徒が困っていたら教会の垣根を超えて手をかします
私は信徒同士の交わりや聖研を大切にしています
礼拝は牧師の・・
もちろん、僕は聖霊派に対して危険な体験もしているし、聖霊派の悪い面も理解しています。
ただ、騒がしい礼拝を否定するとなると、アメリカの黒人教会も悪いという事にもなってしまいます。
初期のペンテコステ派は黒人教会の影響も少なかれあるだけに、それだけにペンテコステの礼拝スタイルが一般的に騒がしいという事もあるかと、僕は思ってます。
初めは若いエネルギーを力を感じますが
前にも書いたように、僕としてはやかましい礼拝を否定するつもりもないし、むしろ僕の好みではあります。
ただ、実際そのような雰囲気を悪用している事はそのとおりだと思うし、それだけに油公さんが言わんとする事は、理解しているつもりです。
僕も聖霊運動に関心を持ち始めた頃、自分の教会を離れはしませんでしたが、札幌市内の礼拝人数の多いペンテコステの教会がうらやましく思えました。
日本バプテスト連盟の聖霊派の牧師と、連絡を取ったりもしました。
最近聞いた事ですが、聖霊派の大きい教会の中には、長く定着している人もいるにはいても、けっこう出入りが多いという話もあります。
良くも悪くも、メンバーシップ制を取らない事も、それと関連しているのではと考えた事もあります。
金といえば、ベニー・ヒン氏について名前は出してはいませんが、村上密牧師が2006年9月19日にすでに書いてます。↓
http://maranatha.exblog.jp/4176610/
↑から引用します。
最近私が気になるのは外国から来日する講師たちへの報酬の高額なことです。自家用のジェット機で世界中を飛び回る講師もいてそのジェット機の維持費まで迎える側は払わされる結果になります。迎える側は、興行主のように多くの人々が集まれば成功と言っています。これは宗教ビジネスです。
お金だけです お金だけが全て
ネットの時代に闇の部分を世界に伝わります
道内の聖霊派は?目に見えない世界を演出し・・
あんまり書けません
その本の内容は知らないので、これまた違うかもしれませんが、おそらくは「五旬祭」の事なのでしょう。
ペンテコステや聖霊派のペテン師の話題が
頭から離れないから当然です
はげたかの様な・・
読み違いしてました。
考えてみれば、キリスト伝道隊がペンテコステ派であるはずないですよね。(笑)
伝導体の教会がこちらにないという事で、ナザレンに通っていました。
ペンテコステ派なのに異言派ではない、なんか不思議な気もしますが・・・・。(笑)
私流れが少し理解できました
> ですから、催眠術で倒す場合もあると思います。
先にも書いたように、「集団催眠」はよく言われますね。
「ペンサコーラのリバイバル集会」の時、メッセンジャーの一人が明らかに手に力を入れて倒そうとしていたので、僕は無理して倒れようとは思いませんでした。
すると彼は、
「Jesus touched him right now.(イエス様は今彼に触れて下さった)」
みたいな事を言って、僕を倒さずに次の人の所に行きました。
間もなくして、もう一人のメッセンジャーが僕の所に来て、無理して倒そうとします。
しかたがないので、わざと倒れてあげました。(笑)
そして、集会の終わりごろ、今度は日本人牧師に按手されました。
僕の背は高くなく、164センチほどですが、その日本人牧師は僕よりも背が低く、その牧師が一生懸命手に力を入れて倒そうとしました。
僕は彼の事が哀れに思えて、またもわざとに倒れてあげました。(笑)
確かに倒れたがっている人達がけっこういますね。
正直なところ、僕も一時ではありましたが、そんな思いもない訳でもなかったです。
> 日曜礼拝で、「現代に癒しなど起こらないから、あえて病気の為には祈りません」と、堂々と語った牧師がいましたが、この時ばかりは震えました。神学も色々。色んなキリスト教があります。
ファンダメンタルな立場の人達がリベラルを批判する際、この様な極端なリベラルを例にしたがる事も、けっこうある様に僕は思ってます。
僕も知りません。
> 倒れる人はたくさんいたけど、あれは、集団催眠じゃないのかなと思います。
当人達は「集団催眠」だと言われても、認めたがらないでしょうね。
僕も今でこそ、アナコンディア集会で倒れた時の事は集団催眠ではないかと思える様になってきたけど、当時はそうは思いたくありませんでした。
> 良く考えると倒れること自体聖書に書いてないし、倒れたところで何の意味もないからです。
ヨハネ18.6だと、あるペンテコステの人が言ってました。
イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
いくらこの箇所を言われても、倒れる事の意味を見出す事は出来ませんね。
> 本当に聖霊の働きかどうかは非常に疑問です。
倒れる意味が分からないだけに、そう思ってしまいますね。
僕もそう思います。
聖霊・聖霊と言う人達に限って、自分と違う意見に対して、お互いにサタン・悪霊呼ばわりですからね。
どちらの聖霊が本物で、どちらの聖霊が偽者なのかと言いたくなるけど、どちらも偽者なんでしょう。
「柘植不二人」、この人の事僕は知らないので、今ざっと検索してみましたが、詳しく書かれたサイトが見つかりませんでした。
管理人が忙しくなくても、書き込んでいるのでは・・・・???(笑)
全くですね。
マタイ7章
15: 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
16: あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
17: すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
18: すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
19: 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
20:マタイによる福音書 / 7章 20節
20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
教会に癒しを求めてもだもめです
牧師は教会の首を絞め
信徒が来なくなる
でも悩みがあって教会に行くのです
その後イエス様を信じるのです
牧師ももう少し社会性を身に付けてね
頭で考える聖書は如何かな
病気に成ってイエスの癒しを受ける恵みを体験できる特権付きです
牧師の私的解釈で 困ったものです
ただ癒しだけを強調するとカルト化になります
癒しはイエス様と個人の関係です 私は思います
教会と牧師は関係ありません
祈りは聞かれます
方向性が正反対です
ミカ書7聖書箇所ありがとうございます
神を賛美するフリをして自分を見れと手招きする人です
『自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。』
現代に癒しは起こらないというのは、超のつくリベラルですね。
この考え方には、私もついて行けません。
祈って、病気が癒された人は、私の周りにもいますので。
http://www3.ezbbs.net/cgi/bbsi?id=et1812&dd=34
http://www.eonet.ne.jp/~mount-zion/index.html
地に落ちて
ご利益信仰の宗教と似てきました
あんな本は買う価値ありません
私は古本屋でも買いません
倒す事が目的 信仰とは無関係
倒す事により名声とお金が付いて来る
繰り返し 生い立ちに・・・
知りませんでした
また教えて下さい
男性の場合倒れるのは音ががなりたれるので耳をフサギ腰を落とすと係りが介抱に来る
家庭を治められない人間が、監督や執事に相応しくないと、テモテにありましたね。
倒れる人はたくさんいたけど、あれは、集団催眠じゃないのかなと思います。
良く考えると倒れること自体聖書に書いてないし、倒れたところで何の意味もないからです。
本当に聖霊の働きかどうかは非常に疑問です。
http://www3.ezbbs.net/cgi/bbsi?id=et1812&dd=34
http://www.eonet.ne.jp/~mount-zion/index.html
本を出し 女の敵です
管理人が忙しいので勝手に書き込みをしています
奥さんとの生活は飽きたのでしょうか
愛が覚めたの
キリストの愛は奥さんには無い
捨てるなら最初からそのままにして
他の男性と結婚したのに
罪深い牧師