Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

現状を記録するだけで疲労する

2013-09-07 | Weblog
子どもたちが毒ガス攻撃を受け殺されるなど、多くの命が犠牲となっているシリア。オバマが軍事介入を行うなら、そこでもまた多くの命が失われるだろう。「実力行使しかない」という考え方じたいを否定するしかない。これ以上の命を失わせることが無駄であると、反戦・厭戦の空気を作り出していくしかない。世界世論は少しずつ努力している。

ところが日本という国は、「戦争のできる普通の国」でいたいという子供じみた姿勢でアメリカに擦り寄る。世界の趨勢を理解していない。

小野寺防衛相は米ネバタ州で8月26日に発生した海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの着陸失敗事故について米側から「砂漠で視界の悪い場所での着陸訓練中に起きた」と伝えられたのを鵜呑みにし、「事故後も運用されているとして安全性は問題ない」とした。鵜呑みというのは、事故原因に関する情報提供はないにも関わらず、だからである。「米ホワイトハウスで使用されている機体を含め、(事故後も)運用が継続されている」というのが、いったいなんの客観的な理由になるのか。
日米両政府が10月に滋賀、高知両県で普天間基地所属のオスプレイを使用した共同訓練を行うことも正式に発表された。山口県の岩国基地も使用するという。
滋賀県では高島市の陸上自衛隊饗庭野演習場で10月上旬から中旬に、海兵隊との戦時想定の定期訓練を実施、上空で停止しているオスプレイから隊員がロープで降下し、陸上に展開する「ヘリボーン」訓練などを予定しているという。高知県では南海トラフ巨大地震を想定した防災訓練の一環として、10月下旬に香南市内の自衛隊施設や同県沖で、海上自衛隊護衛艦も投入して、けが人の搬送や物資の輸送などの災害対応訓練を行う。あらゆる地形・条件で試すことができて、アメリカは大喜びだろう。

維新の会・橋下共同代表・大阪市長は、6月に八尾空港(大阪府八尾市)でのオスプレイ訓練を提案したことをもとに、「八尾空港での訓練という問題提起があったから、こういう流れになったと自負している」「非常に良いことだ」「今まではそういう動きがあれば、すぐに反対だと(地元)自治体の長は騒いでいたが、もうそういう雰囲気ではなくなってきているのではないか」と言う。
日本の植民地化を深化させることが、なぜそんなに嬉しいのだろう。

福島第一原発事故について、日本政府の提言する、摂氏マイナス40度の冷却材を入れた管を使って最深30メートルまでを凍らせるという異様な計画が、少なくとも数十年単位で維持されるというのは、怪しいであろう。
原子力エンジニアのジョン・ラージ氏は、「この技術は小規模な汚染を管理するためにしか使用されたことがない」「彼らは放射性物質を貯蔵する巨大なタンクの建設を計画しているが、この氷壁が崩壊してしまえば汚染水は自由に動き回ることになる。氷壁は脆弱であり、ましてこの規模のものは前例がない」と指摘しているという。冷凍案にリアリティを感じられずにいた私は、「やっぱり」と思う。停電が起きれば溶けてしまい、元の木阿弥なのだから、当然だろう。
世界の報道は「東電」と「日本政府」という2つの情報源だけに頼っていることが問題だと見ている。「騙され続けることを選んできた日本国民」について言及を控えているのは、たんに現状での配慮である。あれから2年半も経つのだ。世界は「東電+日本政府」と「日本国民」を区別して考えてはいないはずである。

原子力規制委員会は五日、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働審査を始めると決めた。定例会合で田中俊一委員長が判断の根拠にしたデータを示さぬまま、突然「(断層調査の)見解がまとまったと理解した」と持ち出し、「活動性のある断層ではないとなれば、審査に入ってはどうか」と提案したという。
同氏は会合後の記者会見で「活断層ではないという見解が一応まとまり、審査を進めた方がいいという私自身の判断で提案した」、一方で「突然で戸惑いがあるかもしれない」「今日の委員会に諮って、まだ早いと言われたら引っ込めようと思っていた」と述べた。矛盾だらけだ。
これはなんら判断をしない「日本国民」と、何かを進展させることで解決に向かっているような感覚を持ちたがっている現場の、無責任の交錯の結果である。

出先で『あまちゃん』をのぞく。全部見ているわけではないが、どうやら今週はあまり面白いところがない。

来週『屋根裏』がオープニングを飾る、ヤルタ・チェーホフ演劇祭の詳細。(写真)
ウクライナの言葉はほぼロシア語だが、自動翻訳機にかけると不思議な表現がいっぱい出てくる。
http://theatreyalta.com/typ/17/

『屋根裏』東京千秋楽を観ていて、物質文明・消費社会の澱みにまみれた日本の現状が表されていることに、自分でも意外なくらいに、ぞっとした。深い悲しみを伴って、そう感じた。十一年経って、悪夢が現実に近づいているのだ。
日本社会を説明するに当たって、私はかなり長い間「消費」をキーワードにしてきた。さいきんドキュメンタリー監督の想田氏も「消費」というコトバをよく使う。重なるところもあるが、ちょっと違いがある。どこかから対談の企画でも来ないかな、と思う。

このブログは「現状を記録する」ことも目的としているが、なんだか、ほんとうに疲労する。
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