Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

ドゥテルテ大統領にミサイル提供を申し出て「私は第三次世界大戦を見たくない」と断られた安倍首相

2017-01-16 | Weblog
フィリピンのドゥテルテ大統領は、フィリピンにミサイルを提供したいという日本の総理大臣安倍晋三による申し出を辞退し、「私は第三次世界戦争を見たくない」と言ったという。

フィリピン・スター紙の報道による。
https://sg.news.yahoo.com/duterte-rejected-japan-missile-offer-000000071.

ドゥテルテ大統領は、「もし私達が三度目の世界大戦を始めるならば、それは世界の終わりであるであろう」「実際、私は安倍総理大臣に、私にはミサイルが必要ではないと話した」と言った。「ロシアが、フィリピンに潜水艦を提供する申し出を始めた後に、日本の申し出が来たけれども、国防長官もそれを持つ余裕がないと言っている」。
ドゥテルテ大統領は、国がどのような外国とも軍隊同盟を持つことを拒否する自身の意思を繰り返した。
「私は外国の兵士がない国を望んでいる。今のままがいい。」
じっさい、フィリピンは、米軍基地を追い出したのだ。

安倍首相は、戦争をやりたがっている駄々っ子であるという印象を全世界に持たせていると同時に、戦争で儲けようとしていることを恥じない厚顔を晒している。本人はそれがどんなに醜悪なことであるかを知らないのである。

日本のマスコミはドゥテルテ大統領を「暴言」「野蛮な政策」でトランプと同列に扱おうとしているが、じっさい、九割近い国内支持率を誇るドゥテルテ大統領の人気は、彼の政策と外交能力に裏打ちされている。少なくとも安倍首相より遥かに賢明で大人だ。

私は最新作『天使も嘘をつく』の中で、南シナ海の「ドゥテルテ大統領が数ヶ国の交わる領土問題に於いて、、棚上げ」を選択している理知があることに言及した。

「中国の脅威」を言い募る人たちは、それを煽っているのが日本政府自身であることを知るべきだろう。
外交能力のない、努力さえしない国が、開き直って「戦争こそが解決法だ」と言い募っている姿である。

日本政府が南西諸島に自衛隊を配備しようとして、「中国の脅威」キャンペーンを張っている。
ドゥテルテ大統領同様に、私たちもきっぱりと拒否すればいいだけである。
まずは、自衛隊配備問題で揺れる選挙戦、宮古島市長・市議補選に於ける民意で、それが示されることに期待する。投票は22日である。

写真は、昨年九月に訪ねた、フィリピン・セブの障害者職業訓練学校内の、スロープ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

正月二之席の末廣亭

2017-01-15 | Weblog
作家の秋山真志さんのかねてからのお誘いに乗り、久しぶりに寄席に。新宿末廣亭。今はなき小劇場タイニイアリスが最初にあった場所のすぐそば。一步足を踏み入れるだけでタイムスリップする感覚は相変わらず。こんなに身近に江戸であり東京の文化のエッセンスに出会える場所があるのだ。
正月二之席。入れ替えなしなので、昼の部の終わり頃から入る。入れ替えなしだと正午から夜九時までぶっ通しでいられるわけだ。
昼の部は柳亭市馬師匠のトリ。夜の部は、前座と二つ目の関係のスリリングさも味わいつつスタート。三遊亭金馬現役七十七年めの口跡の鮮やかさに唸る。
トリは柳家小三治師匠。小三治師匠は四半世紀以上前に私がホンダの交通安全広報誌の仕事をしていたさい、何度かお世話になっている。当時小三治師匠はライダーズチーム「転倒虫」を率いていて、弟子筋は強制的に入っていたはずである。鈴鹿サーキットでも二回取材した(師匠がレースに出たわけではない。交通安全のイベントに出ていたのである)。
この日の師匠は、あえて古典じゃないところで毒を吐き、なんともアナーキー。本筋に入ってからはまた鬼気迫るものがあった。
終演後、秋山さんのお膳立てで、トリが今の小三治師匠になる前からヒザ(トリの前の芸)を担当する、紙切りの林家正楽師匠、秋山さん馴染みの皆さんと一献。
正楽師匠は芸の見事さは当然として、話も面白く、魅力的な方だ。夜も更け、芸や寄席社会についての蘊蓄も聞き、楽しい夜であった。
秋山さん、ありがとうございました。
昨年末は金原亭馬生師匠とご一緒する機会があった。私は古典芸能についてはまったく不勉強なのだが、今からでも少しずつ、とは思う。

それにしても、出られる人数が限られている寄席は、シビアな世界である。だが同時に、寄席が人を育てる。一人一人の芸でありながら、寄席という場が、学校であり擬制の劇団である要素を、豊かに持っている。こんな見事なお手本が身近にあることを、現代演劇は忘れている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高野病院と「やまゆり園」のあいだ

2017-01-14 | Weblog
年明けすぐに、福島県双葉郡広野町の高野病院に行った。高野英男院長が年末に亡くなられたお悔やみだった。「じむちょー」こと高野己保事務長の奮闘、支える人たちの献身に頭が下がる思いばかりだった。
3月末までの2カ月間、都立駒込病院の医師中山祐次郎氏が2月1日付で常勤医・院長に就任することになったという。当座のことは決まって、安堵した。
写真は常磐線広野駅。ここから歩いて十五分の位置の高野病院は、福島第一原発から二十二キロに在する。広野駅の次は、木戸駅。震災・原発事故から六年、常磐線はそこで止まっている。

かつて救急病院であったこともある高野病院院だが、「慢性期病院」「療養型病院」として、「動かせない患者たち」を抱えていた。そのことが、震災・原発事故後、患者たちを守って存続する判断に繋がった。
過去のブログでも触れている。

http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/46e12a0ae3ad91e4b2180581ccb94d2f
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/19e3be721a1a78a1e992b7c0aa467806

46人が殺傷された相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」事件の衝撃は、半年以上経過した今でも消えるものではない。神奈川県は津久井やまゆり園建て替え計画(津久井やまゆり園再建基本構想)を進めている。
1月10日、「津久井やまゆり園再建基本構想に関するヒアリング(公聴会)」が行われた。私も傍聴に行った。
この件について、県の側は、やまゆり園入所者への意向確認を行ったとしているが、そこには大きな問題点があるようだ。

思い出すのもつらくおぞましい事件があった場所に、そのまま住みたいと思うだろうか。事件後入所し続けている方は、三分の一くらいに減ったと聞いている。彼らは、本当に他に行き場のない人たちなのかもしれない。
そして、入所者の方はほんとうに今の計画の形を望まれているのか。家族が「本人の意思」を代弁してしまっている場合が多いらしいということがある。家族との緊張関係を持っている入所者もいるかもしれないときに、確実に本人とやりとりできているかどうかということが、疑わしい。
神奈川新聞によれば、回答は入所者約130人のうちの約70人とおよそ半数のみで、「やまゆり園のような施設を今後の住まい方の希望」と答えたのは、回答者の2割、すなわち入所者の15.7%ほどでしかないという。そもそも「やまゆり園のような施設」であって、「やまゆり園」そのものに戻りたいかどうかは、別な話のはずだ。
やまゆり園の再建は、入所者たちの多数意見ではなさそうなのだ。

にも関わらず、「3月に決定する」ということが前提で、アリバイ作りのような公聴会だった。
私は傍聴したが、当初は関係団体のみ対象とするとして、県は傍聴枠を設けていなかったという指摘もある。
そして、多くの問題を抱えているにもかかわらず、ヒアリングはこの一度のみで、もう行わないと、県関係者は断言した。
県庁内では、「入所当事者への意向確認作業を続けていく」という意見と「続けない」という意見が両方出ていて、対応の杜撰さを浮き彫りにしている。
なぜ3月までに決定することを、急がなければならないのか。その「お役所仕事」的進行に問題はないのか。
もっと時間をかけて丁寧に進められないのか。当事者や関係団体の皆さんも切実に考えておられるように思う。話し合いを続けるべきである。

この建て替え計画の件については納得できないことが山のようにあるが、またあらためて。

そして私は、「やまゆり園」の事件で犯行に及んだ一人以外の、他の職員の方々が、いかに苦しみ、悩んだかを考えると、そのこともいたたまれない思いがする。

高野病院は、原発事故後、広野町が避難指示を出したが、高野英男院長は「動かせない患者」三十七人と看護師十人らと共に、病院に残る選択をした。転院で患者を死なせずにすんだ、三十キロ圏内で唯一の病院となった。
高野病院は、大切にしなければならない人は誰なのか、それを忘れなかったということだ。
そして、現場の医療のみでなく、運営と存続の方法について、時に対立をおそれず、町や県、国とも、向き合っている。
他と比べるとか、そういうことではない。
人の命を預かる仕事のたいへんさに、あらためて思いを馳せている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『くじらの墓標 2017』読み合わせ開始

2017-01-13 | Weblog
『くじらの墓標 2017』の読み合わせを開始した。
上演は、3月18日(金)〜31日(金)。吉祥寺シアター。
本格的な稽古は2月から。
1月中は三回の読み合わせだけだ。あと一回。

『くじらの墓標 』は、1993年1月初演。
鴨川てんし、中山マリが初めて燐光群に出演した芝居である。
空間演技の鴨川てんし、スーパーカンパニーの中山マリが共演するだけで話題になったものだ。じっさい、二人の初共演はわくわくしたし、見ものだった。読み合わせしていると、その時のことを思い出す。お二人が劇団員になるより、だいぶ前のことだ。
その二人に加え、猪熊恒和、川中健次郎も、初演と同じ役になるはずだ。24年経っているというのに。
昨日は大西孝洋も久しぶりにけいこ場に来る。大西は、初演・再演とは違う役を演じることになるはずだ。
再演といっても初演翌年の1994年だ。全国公演もあり、名古屋ではロマン座という映画館で上演した。結構たいへんな仕込みだった。京都では京都大学西部講堂だった。「アングラ」の季節はまだ終わってはいなかった。
初めてこの劇に参加する若い俳優はどきどきしているようだが、彼らを羨ましいと思う先輩諸氏も多い。既に上演してしまった者たちは、この世界を初体験できる喜びは、味わえないのだから、ということだ。まあしかし、再演全国ツアーからいっても、22年経っている。それはそれで新鮮な手応えではあるだろう。

初演の稽古は、梅ヶ丘に稽古場ができたばかりの時だった。
年末年始を挟んで稽古したものだが、年末最後の通し稽古をしたときの高揚感は忘れられない。
興奮さめやらぬまま、皆、帰る気持ちになれず、稽古場に遅くまで残っていたことを思い出す。

写真は、劇のモデルになっている宮城県鮎川を今年久しぶりに訪れたときのもの。
この、青い、対になっている港のモニュメントは、平地の建物等は悉く流し去ってしまった津波に耐えて、残った。
再訪の旅のブログは、以下。

http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/86a2484a644abf742f41a0a4d388cdcc
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

山城博治さんらの釈放を求める参議院内集会

2017-01-12 | Weblog
山城博治さんらの釈放を求める参議院内集会。
集会前の別な会議室での記者会見も、講堂に移ってからの本集会も、大きい部屋なのに、補助椅子も座りきれず、溢れる、人、人。
山城博治さんらの釈放を求めるため、賛同者が、那覇地裁、那覇地検に要請書を提出する「山城博治さんらを救え!」キャンペーンによるもの。
不当逮捕、不当な長期拘留をされている山城博治さんを即刻釈放すべきとアクティヴに考えている人が、東京にも、これだけいるのだ。
今回のことは、戦後日本でも比べられる例の少ない、「政治犯」に対する露骨な弾圧だ。
「共謀罪」が適用されたら、多くの平和活動家に対する「逮捕・拘留」を正当化する理由は、次々に、より多く捏造されてしまうだろう。
発起人の鎌田慧さん、落合恵子さん、佐高信さんらが次々に発言。
そして、今は家族との面会も許されていない拘留中の山城博治さんと弁護士の立場で面会した福島みずほさんの報告。その中で、博治さんがガンを克服したとはいえども、白血球の増加のため、カミソリで髭を剃ることを医師に止められていることから(出血すると止まらなくなる可能性あり)、「(伸びたままの髭のある)こんな顔ですみません」とみずほさんに言ったというエピソードが、とくに胸を締めつけられる思いだった。
ここにいる誰もが、こんなひどい時代が来るとは思わなかったはずだが、そんな事態が到来してしまった。
私は、平日昼とはいえ、集会参加者の年齢層が高すぎる、つまり、それぞれが、若い世代や新しい層に広がる動きが足りない、運動を敬遠している人たちにも浸透させていけるよう努力する必要があると思った。加えて、会の中で南西諸島の状況について言及される方もいたにはいたが、具体的に今月行われる宮古島での市長選・市議補選についても、それぞれができる形で働き掛けていく必要があることなどを最後に発言した。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

石嶺かおり後援会 てぃだぬふぁネット 始動

2017-01-11 | Weblog
石嶺かおり と てぃだぬふぁネット 始動。

とにかくここまでこぎ着けたということです。
でもいよいよこれからがたいへん。

ホームページできました。たいへんな苦労の末。おつかれさまでした。
説明は抜き。見てください。



http://tokushirou.wixsite.com/kaori/blank-1
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ヒーロー」になれない年齢らしい

2017-01-11 | Weblog
「今年、2万人のヒーローが引退します。」というコピーが踊る、電車内の中吊り広告が、目にとまった。
久しぶりに東京の電車に乗っていたときだ。
「日本骨髄バンク」、ACジャパンの公共広告。骨髄を提供するドナーへの登録を呼び掛けるキャンペーンのキャッチコピーである。テレビやラジオでも流されている新しいCM。「骨髄バンク登録者」=匿名の「ヒーロー」ということだ。

で、「2万人が引退します」というのは、「18歳から54歳までという年齢制限などにより、年間2万人が引退しています」という事情からだが、「54歳まで」というのは、まさに「まもなく54歳でなくなる」当事者としては、うーむ、となってしまった。
ポスターの写真はイメージだから、「現役ヒーロー」として若い人の写真もいっぱいあしらわれている。骨髄バンクへの新たなドナー登録を促すために、「新しいヒーローが必要です」ということを訴えているのだから、もちろんもうすぐ引退する者は、あまり関係ないのだろう。
確かに骨髄バンクの登録ドナーは貴重な存在だ。私は今までなったことはない。たいへん申し訳ない気持ちになる。

思いがけず年齢のことを指摘されて驚いたが、私はそもそも年齢にも服装にもたいして気を使わない人間として生きてきた気がする。
そんな中、東北を巡る正月の短い旅の最中、一晩だけ郡山に立ち寄って「ユニット・ラビッツ」のリーダー佐藤茂紀と飯を食ったりしたのだが、そのとき、シゲに、なんと、革ジャンをもらってしまった。
私は冬場には比較的革ジャンパーを着用してきた傾向があると思うが、最近はそうでもなくなっていた。ユニクロのフード付き合皮ジャンパーがボロボロになったので着なくなってから、ほぼ着ていない。
郡山のライダー演劇人である佐藤茂紀は、東京に来てもバイク乗りらしい本格的な革ジャンパーをよく着ていたし、何しろ幾つも持っているということだった。それが似合うシゲは、かっこよいのだが、現役の高校英語教師としてその恰好で授業もしているようだ。
シゲがプレゼントしてくれたのは、なにしろ革ジャンパーといっても本格的なライダーズで、ずしりと重い。最近の軟弱軽薄なユニクロのウルトラライトダウンに馴れた身としては、「おっ」となる。
アメリカ製だから日本のものよりサイズも大きいが、「Mサイズ」である。着られるし、違和感はない。写真のように、中にウルトラライトダウンのベストを着るのは、なるべく避けた方がよさそうだが。
この写真は、ケータイで「自撮り」したものである。何しろガラパゴスなので、撮りながら自分の顔は見られない。当てずっぽうの撮影である。シゲと一緒の写真を彼がFacebookに挙げているが、肝心のシゲが革ジャンでないのでブログはこっちの写真にした。こんな写真もあえてアップして、今年は少しは身だしなみについて自戒したい、と言っているのも今のうちだけだろう。
ともあれ、シゲ、ありがとう。

Facebookといえば、巽孝之教授に紹介された Justine Wiesinger の文がいつも、英語できない私が読んでもどこかとぼけていて面白いのだが、たった今、コメント欄のところに彼女が珍しく日本語で「坂手さんのおかげで初めてイギリスへ行くことになった。オクスフォード大学の学会で『たった一人の戦争』の空間の使い方について話すつもりだ。興味深いセリフを読ませてありがとうございました!」という文が。
『たった一人の戦争』、今年、日本でも出版される予定があるので、未見の方、よろしく。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

香織さんと翁長知事 宮古島

2017-01-10 | Weblog
この写真に写っているのは、「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」の石嶺香織さんと、ご家族、そして翁長雄志沖縄県知事である。
昨1月9日、宮古島から届いた。

石嶺香織さんは、宮古島への陸上自衛隊ミサイル部隊等の新たな配備に反対する主張を掲げ、宮古島市議会補選に出馬する旨を公表している。彼女が11月に安慶田副知事に「先島諸島への自衛隊配備に反対する要請書」を手渡したことは記憶に新しい。
燐光群昨年の最新作『天使も嘘をつく』では、彼女や「てぃだぬふぁ」メンバーをモデルにした登場人物が、自衛隊配備反対を掲げて市長選に出ることを決意する、という場面が登場している。
なんだか本当に現実と演劇がクロスしている。
もっとも、市長選のほうは、奥平一夫さんが陸自配備反対を明瞭に掲げて出馬することが決まっている。「市長選」でこの主張を明確にしているのは彼だけである。
石嶺香織さんが出るのは、「市議会補選」のはずである。
二つの選挙を控える宮古島。
はっきりと「陸自配備反対」を掲げるのは、それぞれこの二人だけである。

宮古と石垣の自治会では、自衛隊配備への反対決議が採択されているにもかかわらず、市長は民意を全く無視して受入れを表明するという事態になっている。
安慶田副知事は「国防は国の専権事項、国が丁寧に住民に対応するよう要望している」と、判断を逃げていた。

翁長県知事体制は「オスプレイ配備」への反対を表明している。
南西諸島に自衛隊が来れば、間違いなくオスプレイが飛来することになる。訓練にはもってこいである、という意見もあるらしい。
「オスプレイ配備」に反対するなら「陸自配備反対」は当たり前である。

そして昨日、翁長県知事は、市長選では奥平一夫さん支持を表明した。
それが事実だ。
知事は会見では奥平さん支持の理由に、これまで「オール沖縄」で支えてくれたことを挙げている。
情勢を見ての判断ということでもあるだろう。
「自衛隊配備を進める勢力が地元にきちんと説明をしていないし、理解を得られていない」という認識も、知事は言葉にしたという。
「陸自配備反対」を、奥平さんは翁長知事の前で明確に言いきった。

その前の1月8日には、三上智恵監督新作『標的の島 風かたか』の上映会が、宮古島公民館大ホールで行われた。
宮古島への「陸自配備」の問題がいかに逼迫しているか、映画を観た人たちは理解しただろうと思う。
米軍基地建設反対のリーダー、山城博治さんは、今も拘留されている。
外にいる者たちは、山城さんの無念を少しでも晴らし、彼が不在の間にも少しでも駒を進めておくためにも、この宮古島での民意の勝利を確実なものにしたいはずだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『沖縄ミルクプラントの最后』東京演劇アンサンブルでの上演詳細発表

2017-01-09 | Weblog
『沖縄ミルクプラントの最后』東京演劇アンサンブルでの上演詳細が発表された。
私自身が演出した燐光群での初演は1998年。読売演劇大賞優秀作品賞の次点に入っていたと後で聞いた。
この戯曲は『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー (ハヤカワ演劇文庫 17) 』に収録されているので、すぐに読みたい方は、書店か通販でお求めください。

浦添のキャンプキンザーに実在した「沖縄ミルクプラント」については、石川真生さんの写真にものすごく刺激されて、多くの方にインタビュー取材し、また、当時具志川の全駐労にいた姻戚にあたる瀬長和夫さんから膨大な資料をいただいて、書いた。

東京演劇アンサンブル版はもう稽古が始まっているようだ。今週は数日間、宮城康博さんが琉球弁指導で東京に来る。
東京演劇アンサンブルは6月にその宮城康博さん作『浜下り外伝』や目取真俊作品リーディングも上演予定ということで、今年前半は沖縄に関わる演目が続くことになる。


『沖縄ミルクプラントの最后』詳細は以下の通り。
この劇団のホームページはちょっとこなれていなさすぎで、チラシ裏面の情報がアップされていないし、「あらすじ」はこれでいいのかどうか私が関知するものではないが、まあ、読まれたい方は読んでください、

http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/okinawamilk/okinawa-milk.html


     ※      ※      ※      ※      ※      ※


沖縄ミルクプラントの最后

作 坂手洋二

演出 松下重人



美術 香坂奈奈

音楽 菊池大成

音響 勝見友理(ステージオフィス)

照明 真壁知恵子

歌唱指導 菊池大成

方言指導 宮城康博

ピアノ演奏 菊池大成

衣裳 竹内陽子

宣伝美術 竹内陽子・奥秋圭

映像操作 永濱渉

舞台監督 入江龍太

制作 太田昭



◆公演日程
3/9〜3/19

◆会場
ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線・武蔵関駅より徒歩7分)


◆料金 
当日=4500円
前売一般=3800 円
前売学生=3000 円
★=Low Price Day 2500 円

全席自由
開場は開演の30 分前
入場は整理番号順。

◆チケット申込
東京演劇アンサンブル
TEL:03・3920-5232 FAX:03-3920,4433 ticket@tee.co.jp
カンフェティ

助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
協賛 ケンタウルスの会



キャスト

田端良顕(たばたりょうけん)・・・竹口範顕

与那嶺常政(よなみねつねまさ)・・雨宮大夢

仲村秀喜(なかむらひでき)・・・・三木元太

城間耕一(しろまこういち)・・・・和田響き

屋良直(やらただし)・・・・・・・熊谷宏平

平安年男(ひらやすとしお)・・・・坂本勇樹

砂川真栄(すながわしんえい)・・・小田勇輔

平良清信(たいらせいしん)・・・・伊藤克

伊佐寛徳(いさひろのり)・・・・・大橋隆一郎

国吉朋子(くによしともこ)・・・・洪美玉

下地末子(しもじすえこ)・・・・・原口久美子

久貝孝子(くがいたかこ)・・・・・冨山小枝

新川葉月(あらかわはづき)・・・・永野愛理

神山文枝(かみやまふみえ)・・・・町田聡子

与那嶺香織(よなみねかおり)・・・正木ひかり

松田(まつだ)・・・・・・・・・・上條珠理

佐久川(さくがわ)・・・・・・・・仙石貴久江



あらすじ

 1995年7月。沖縄米軍基地(浦添キャンプキンザー)内にあるミルクプラント工場。

 生産部監督の屋良直に引率されて工場見学を終えた新入社員仲村秀喜、城間耕一が冷凍庫の大扉から出てくる。そして締めくくりの、ミルクプラントで作られた還元牛乳と市販の生乳を飲み比べる。アメリカ国内でバターを絞ったあとの粉乳を加工してできたミルクと生乳。しかし、このミルクは米軍沖縄進駐から1996年まで基地内の軍人・家族を支え、ベトナム戦争に行く兵士を支えたのだった。

 このミルクプラントは日米安全保障条約、日米地位協定に基づくMLC(基本労務契約)とは異なり、米軍が入札によって決めるアメリカの民間業者に雇とわれており、契約が切れて業者が変わるたびに退職し、改めて雇用を確保しなければならなかった。そのために独自の組合を組織し、退職金の確保、契約改定を巡っての闘争をしてきたのだった。

 そのミルクプラントが閉鎖になるという。

 仲村秀喜は本土からのUターンで、彼の父、仲村秀意はかつてミルクプラントの冷凍室で働いていたが、秀喜が4歳の時、不慮の事故で亡くなっていた。その父の日記をもとに・・・

 1995年9月、米兵による少女暴行事件が起きる。
 1995年10月、組合はミルクプラントの操業継続、従業員のMLC移行、現行賃金労働条件の無条件保証を要求。
 1995年12月、ストライキに突入。

 ストの間にミルクを持って行かれないように残るという仲村に組合委員長の田端良顕が言う。

田端 あれは自殺じゃないさ。
仲村 ・・・・。
田端 確かにおかしな話さ。真っ昼間に、酒を飲んでいたわけでもないのにふらっと飛び出して、トレーラーの轢かれて死んだわけさ。だけど自殺ではないよ。俺の知っている仲村はそんなことはしない。
仲村 僕もそう思います。
田端、上着から赤鉢巻を取り出して、仲村に渡す。
仲村 ・・・・。

田端 最初の赤鉢巻闘争はベトナムの真っ最中だった。俺たちは24時間操業でミルクを作ったさ。タンクを洗う暇もなかったさ。牧港は補給基地だから、軍服に軍靴、トイレットペーパーからミサイルまで、新しいものと取り替えた。負傷兵も、砲弾が当たったトラックも戻された。職務外労働で、壊れた車両の修理もさせられた。吹き飛ばされた兵隊の肉の破片が残っていることもあった。血なまぐさい仕事さ。俺たちの作ったミルクのパックがダッシュボードの下に、ほとんど飲まれずに腐っていたこともあった。

   仲村、赤鉢巻を締める。

仲村 ・・・・。

田端 俺たちの戦争じゃない。だけどアメリカーと一緒に働いた。戦争もミルクもプロのする仕事やさ。それだけやんど。ヤーガニターリー(あんたの父さん)も俺も、ミルクを作りながら、戦場(イクサバ)にいたさ・・・・。

 1996年1月、外務省、防衛施設庁、アメリカ大使館、軍の4者協議によりミルクプラント閉鎖。従業員はMLCへ移行。現給保障は勤続年数24年以下はアップ、25年以上は大幅ダウン。

・・・・閉鎖された工場を仲村が訪ねてくる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ニュース女子」ってなんだ?

2017-01-08 | Weblog
三上智恵さんが「性根の腐った番組」という、東京メトロポリタンテレビ(TOKYO MX)の「ニュース女子」という番組があるのだという。
報道番組のはずが、高江のことに対する事実無根の誹謗中傷が並べられているのだという。
インターネットでネトウヨの出鱈目な内容の発信を信じてしまう人が出てしまうのと同じで、一部の層にでも、「ウソ」が罷り通ってしまう恐れがあるのは確かだ。
高江の米軍基地建設反対運動が、テロで過激派で、中国と韓国人が多い、報酬をもらって反対運動をしている云々という情報が出ているのだという。
きちんと取材もしないで、ネトウヨ情報をそのままテレビに上げてしまったに等しいらしい。
昨年10月から始まったこの番組、水曜深夜の放送から、4月4日より、月曜夜22時のプライムタイムへの移行が決定したばかりという。
スポンサー企業である「株式会社DHCシアター」の浜田麻記子社長が、都内で会見を開き、裏番組にあたる「報道ステーションを潰しにいきます」と過激な言い方で宣言もしているという。
化粧品やサプリで有名なDHCが携わっていることが「ニュース女子」の「女子」部分と関わりがあるのだろうか。
出演者は、「西川史子、脊山麻理子、杉原杏里、勝谷誠彦氏、上念司氏」といった人々らしい。彼らは、そういう番組に出ていると思われても平気な人々ということなのか。

この番組のキャッチフレーズは
「タテマエや綺麗ごとは一切なし!本音だらけのニュースショー!! 今話題のニュースを女性とともに考え、面白くわかりやすく解説する、 大人の社交界型ニューストーク番組。」
だそうである。
この「女性とともに考え」という言い方は、女性を重視しているという意味に、とるべきなのだろうか。
私には、かえってものすごく差別的に響くのだが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高野病院へ

2017-01-06 | Weblog
福島県双葉郡広野町の高野病院に来ている。
高野英男院長が年末に亡くなられて、一週間。
「じむちょー」の愛称で知られる高野己保事務長とは久しぶりの再会だが、お元気そうで安堵した。
心配している人が周囲に多いので、記します。

ただ一人の常勤医だった院長の死で、病院の存続について、行政もふくめたさまざまな意見が交わされているのは、報道されている通り。
今日の午前中は今後にかかわる重要な会議、続いて報道陣にも囲まれ、いろいろとたいへんなご様子だった。
己保さんは昨秋に「事務長」に加えて「理事」の肩書きも加わったばかりだったが、 院長の遺志を継いで、本当にご自分がリーダーとしてこの場を担っていこうという、腹の据わった感じで、頼もしい。もちろんいつものユーモアも忘れていない。

高野病院はJビレッジも近い。福島第一原発から二十キロ圏を僅かに出たところにある。
だが昨日、郡山で佐藤茂紀さんに案内され、郡山市中にむしろ広野町よりも放射線量の高いホットスポットが存在することを知らされ、茫然とした。
「復興」とは何か、あらためて考えさせられる。

高野病院は、美しい。そして穏やかだ。
以前にもそう思ったが、こんなにも清潔さが保たれていて落ち着いた病院も珍しいのではないかと思う。
この日も多くの医療関係者や医師の皆さんが、応援に、あるいは励ましに訪れている。
弁護士の馬奈木厳太郎氏も、もう年末から東京と高野病院を三往復して支えている。
実はここに関わる件で年末にちょっとした相談をもちかけた茂紀も、元旦に駆けつけてくれた。
さまざまな人々の思いがある。
私に何ができるのかわからないが、僅かでも「じむちょー」の心の支えになれれば幸いである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

捕鯨村、再々々々訪

2017-01-04 | Weblog
今年3月に『くじらの墓標』を23年ぶりに再演することもあって、日本の代表的な捕鯨村の一つ、宮城県牡鹿半島の鮎川を訪問。
執筆したのは1992年なので、初めて取材したときからは、かれこれ四半世紀経っている。
十五年前か、アメリカの演出家リアン・イングルスルードに『白鯨』を演出してもらったときにも、リアン夫妻と一緒に行き、鯨の解体を見てもらったりしたものだ。あの頃、私も彼に捕鯨の伝統の残るアラスカに連れて行ってもらった。

もちろん震災後に訪れるのは初めてである。
もともとあった、あの捕鯨の町が、平地部の建物はいったんまるごと根こそぎ流されて、その後、少しずつ再建が果たされてきている様子の、途中経過だ。
東日本大震災の震源地に、ほぼ一番近い陸地である。
津波の脅威を改めてまざまざと感じる。
震災直後、牡鹿半島の幹線道路が分断され、孤立したことも知っている。
陸の果ての町だけに、復興にはとくに時間がかかるはずだ。

「クジラ捕りたちはみんな無事だ」ということは、震災後すぐに聞いていた。
捕鯨に携わる仕事は存続していて、四半世紀前に「クジラ捕りの平均年齢は五十歳近い」ということで悩ましいことになっていたのだが、二つの捕鯨会社は施設を建て直し、操業は継続、確実に世代交代も果たせているようだ。
それは本当によかった。

復興にはいろいろ問題がある。
だが、とにかく捕鯨村としての観光をも含めた再興がのぞまれるところだ。
観光のメッカだった「ホエールランド」は来年に再建される予定となっているが、防潮堤の高さをやり直すということになっているらしく、そちらを優先するべきだろうから、もっと先になるような気がする。

写真の、街道沿いのバス停が、もともとのこの町のど真ん中、なのである。
津波が来て、港のモニュメントの青い二本柱(津波後にこれだけかろうじて残った)が最高部のみを露出する水位まで水位が上がってしまったというのも、現地で見ると、本当に驚かされる水位の高さだ。
スナックなどの店は、なくなっている。『くじらの墓標』に登場する「タツエおばさん」の店も同様であっただろう。
幾つかの店が「おしかのれん街」として、店の再建を睨みながら仮設で営業はしているが。
「捕鯨の衰退」よりも、震災による打撃の大きさが、人々の暮らしをすっかり変えたのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「陥没」はごまかせない

2017-01-03 | Weblog
福岡市のJR博多駅前の道路で12月8日早朝、大規模な陥没が発生。
市営地下鉄の延伸工事が原因らしい。天神駅止まりの地下鉄七隈線を博多駅まで延長しようという計画だった。
博多は空港も地下鉄で繁華街に数駅で繋がるアクセスのいい都市だが、さらに便利になることを目指していた。
日経新聞・共同通信等によれば、地下約25メートルの岩盤を掘削して鋼材を取り付け、コンクリートを吹き付けて補強する工法でトンネルを拡幅する作業をしていた。地表から地下16メートルまでは地下水が通る砂層で、その下の厚さ2メートルの粘土層がトンネルの上で水を遮る形になっていた。
博多湾に面した土地は地下水脈が広がっており、工事中の地下トンネルでに粘土層に亀裂が生じるなどして上部から水や土砂が流れ込み、引きずられるように地表が陥没したとみている。
事故は8日午前5時15分ごろに発生。
午前4時半ごろからトンネルの天井部分が崩れ始め、コンクリートを吹き付けても止まらなかったため作業員が避難。地上の道路を通行止めにした。その約5分後、陥没が始まったという。
博多駅から西に約300メートルの交差点付近で、長さ30メートル、幅27メートル、深さ15メートルにわたる陥没。埋設されていた電線やガス管なども破損し、一時、最大800戸が停電。近隣へのガス供給も止まった。銀行のオンラインシステムも一部で使えなくなった。停電した建物内で70代の女性1人が転倒し、軽傷を負った。
早朝なのでその被害で済んだとも言える。その後も近隣の商業ビルが停電で休業するなどの影響が出た。交通規制の間、現場周辺には計約350メートルにわたって規制線が張られた。
しかし、あっという間に復旧した。5車線道路をえぐった巨大な穴は、15日朝には跡形もなくなった。
ただし26日には、陥没事故の現場を埋め戻した復旧地点周辺の道路の路面が沈下していることが判明。7センチ程度と言われている。四時間ほど交通規制していたが、安全が確認されたとして解除された。

年末、たまたま博多を訪れたので、現地に行ってみた。
何ごともなかったかのように、街は、道は、そこにあった。
陥没面積は、そこに立ってみると、それほど大きくないという気はした。しかし、駅の真正面すぐ近くの、目抜き通りである。
この短い期間に「復旧」したことは、ある意味では、たいしたものだと言っていいのだろう。「日本の技術力」「スピード対応」を賞賛する諸外国の報道も多く紹介された。
しかし、地下鉄七隈線工事は完全にストップした。今後の工事の目途については報道されていない。
なんだか空疎である。
表面をとりつくろっただけではないか、その場しのぎに過ぎないのではないかというと、工事に携わった関係者に失礼になるだろう。
しかし、この現場は、いまの国の空気を見事に象徴している気がした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「御来光」は、場所を選ばなければ、「あり」である。

2017-01-02 | Weblog
基本的に、お仕着せの「初詣」を拒否している。
「初詣」に行きたがる人たちの足を引っ張る気もないし、同行すれば、手を合わせることもあるだろう。ただし心の中では、そこに祀られている対象の、「地域の守護神」としての部分への敬意と、社殿のさらに奥にたとえば裏の山上にもう一つの社殿があったりするが、そのさらに先にある「自然」「歴史」そのものへの敬意のみで行う次第。
こんな私でも、自然信仰は、おのずとある。
「御来光」は、場所を選ばなければ、ただ太陽と、自然と、出会いなおすという意味で、「あり」である。
捏造された「神様」は、関係ない。
私は「万世一系の国体」も「八紘一宇」もゴメンである。「神社本庁」が、明治維新期に確立され、戦後はGHQの「神道指令」によって解体された「国家神道」への回帰を目指し、「日本会議」と野合している現実は、拒否したい。

安倍晋三首相とオバマ米大統領がハワイの真珠湾を訪問し慰霊したことを受け、日本の「世間」はまんまと騙されて政権支持率上昇という。だが、首相が真珠湾の犠牲者を慰霊するなら、真珠湾攻撃の一時間前の日本陸軍によるマレー半島北東沿岸攻撃はもちろん、その日のうちにも続いたアジア太平洋地域への「侵攻」についてどう思っているかはっきりさせるべきだという、内外識者の意見に、大きく頷く。
平和憲法をねじ曲げ「集団的自衛権」を掲げ、「積極的平和」と称する好戦姿勢を明らかにする現政権に、自然と人間への敬意、真の歴史への尊重は、ない。
稲田朋美防衛相は年末、一個人と言いつつも記帳は「防衛大臣」の立場で靖国神社を参拝。公式参拝が憲法の保障する政教分離に反し、戦争による死についての「国家の責任」を正当化するものだということは事実だ。中韓等、諸外国からの批判は当然だが、稲田防相が安倍首相の真珠湾慰霊とのバランスを取ったと言われるのも、当然である。
自然と命への思いを、国家権力に回収しようとする装置は、見苦しいものだ。

夜、家ではない某所にいると「日本のジレンマ」というテレビ番組が聴こえてくる。
三十代の人たちの議論? ディベートのためのディベート? インテリ・エリートのひけらかし自慢?
自身のことを示して「思考停止」という言葉が出てくる。どうやらさほど否定的に言っているのでもないらしい。
そのくせ「中国脅威論」をしゃあしゃあと大前提のように話している。例外は二、三人くらいか。
「どうあるべきか」という話は皆無。意見や指摘をしあっているようで、そうでもない。「こんな考えの人もいる」とお互いに認めあって、終わる。互いの「話の仕方」について、ああだこうだ言っている堂々巡りも、多い。
印象として、問題の本質に入ることを避け、「外側にいる」。世代の特徴なのだろうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今年もよろしく。

2017-01-01 | Weblog
今年もよろしく、とは申し上げたいと思う。
もうちょっとは、がんばる。
そのつもりだ。

元旦に発表ということで、藤井ごうさん、千田是也賞、おめでとう。
そのうち御祝いさせてください。

やれやれ。
いろんなことが面倒にも思えてくるが、そんな余裕はない。



※     ※     ※     ※     ※


おめでたいことに今年も新春早々、我らが内閣総理大臣が、ありがたい年頭所感を披露してくださった。
さすがである。
まず、「わが国の たちなほり来し 年々に あけぼのすぎの 木はのびにけり」という30年前の新春、昭和62年の歌会始における昭和天皇の歌を引きながら、「戦後、見渡す限りの焼け野原の中から、我が国は見事に復興を遂げました。昭和天皇がその歩みに思いを馳せたこの年、日本は、そして世界は、既に大きな転換期に差し掛かっていました。」と、「この年(昭和62年)」と「現在」を比較しつつ、今という時代の悲惨が「昔から繰り越された」という印象をうみだすことに、腐心している。
「出生数が戦後最低を記録します。経済はバブル景気に沸きましたが、それは、長いデフレの序章となりました。世界では、米ソが中距離核戦力の全廃に合意し、冷戦が終わりを告げようとしていました。」と、「この年(昭和62年)」の過去の事象を並べて、「あれから四半世紀の時を経て、急速に進む少子高齢化、こびりついたデフレマインド、厳しさを増す安全保障環境。我が国が直面する、こうした課題」として、「原因は私の時代にはない」と弁解しつつ、「安倍内閣は、この4年間、全力を挙げて取り組んでまいりました。」と、あたかも自身の内閣が、自分のせいではない「過去からの課題」に立ち向かってきたかのような詐術にも、怠りない。
冷戦の終わりそれ自体は、全世界が歓迎した出来事である。日米安保の傘には入れなくなったことによって「厳しさを増す安全保障環境」になったというのが、首相の本音である。自分のことしか考えていないのだ。
その後の世界情勢の変化に対応して、何かしただろうか。「アメリカ追従が愛国心」という捻れに身を委ね、アメリカの言いなりになることで強気になり、まだしもバランス感覚を持っていた自民党内リベラル派を、ほぼ壊滅に追い込んだ。
「私たちが政権を奪還する前」と、自民党野党時代にすべての原因を押しつけ、「「日本はもはや成長できない」「日本は黄昏を迎えている」といった、未来への不安を煽る悲観論すらありました」と、民主党連立政権時代に「悲観論」とその根拠があったと、決めつけている。
「しかし、決して諦めてはならない。強い意志を持ち、努力を重ねれば、未来は、必ずや変えることができる。」「安倍内閣は、さらに未来への挑戦を続けてまいります。」と無内容な宣言だけをしている。
憲法を改悪しようと企てているくせに、「本年は、日本国憲法施行70年の節目の年にあたります。」と憲法を大切にしているふりをする。
「そもそもですね、我が党において、いままで結党以来ですね、強行採決をしようと考えたことはないわけであります」と、一昨年の安保法制強行採決以来、憲法無視の強行採決を繰り返していることを、自覚していないふりをする。
「現行憲法制定にあたり、芦田均元総理はこう訴えました。」の内容、「歴史未曽有の敗戦により、帝都の大半が焼け野原と化して、数万の寡婦と孤児の涙が乾く暇なき今日、如何にして『希望の光』を彼らに与えることができるか・・・」と「憲法制定」に「救世主」のイメージを立ち上げておきながら、自分はそれを平気で裏切っているのである。
「そして、先人たちは、廃墟と窮乏の中から、敢然と立ち上がり、世界第三位の経済大国、世界に誇る自由で民主的な国を、未来を生きる私たちのため、創り上げてくれました。」と、「経済」と「自由で民主的」のイメージを自分の都合で連結している。「豊かな国が自由で民主的とは限らない」こと、「自由で民主的でなければ豊かさは失われる」ことを証明してきた張本人には、その自覚がないのである。
「今を生きる私たちもまた、直面する諸課題に真正面から立ち向かい、未来に不安を感じている、私たちの子や孫、未来を生きる世代に「希望の光」を与えなければならない。未来への責任を果たさなければなりません。」というが、「直面する諸課題」に拙い対応ばかりを繰り返し、「未来に不安」を全く解消することもできず、「私たちの子や孫、未来を生きる世代」に「希望の光」どころか、絶望を押しつけていることには、素知らぬ顔を決め込んでいる。
本当に、いつも自分のことを棚に上げている論調は、見事なものだ。
「女性も男性も、お年寄りも若者も、障害や難病のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが、その能力を発揮できる一億総活躍社会を創り上げ、日本経済の新たな成長軌道を描く。」と喇叭を吹く。
だが、女性差別の政策を進め、強行採決の末に成立させた年金カット法案によって年金生活者の所得を減少し、幾多の方法によって障害者・患者の権利を剥奪し費用負担を増加させておいて、どうしてそんなことが言えるのだろう。
海外からの難民を受け入れることについて「わが国はそこまで労働力に困っていない」と頓珍漢な答弁をして世界中に呆れられたことも、自覚がないのだろう。「労働力」を国内で確保する策として、「締め付けておいて、働かせよ」という原則を採用しているつもりなのだろう。
何しろ昨年、首相は「日本はかなり裕福」と発言、「妻のパート月収25万円」とも言った。パート労働者の平均収入はどう工作しても月収十万以上にはならない。「ガリガリ君」さえ政治活動費で買っているような人は、その辺りの感覚が、OCDE統計で相対的貧困率はワースト6位の国で、「貧困」や「ブラック企業」の現実に直面している庶民とは、かけ離れているのだろう。
首相は6月、「「株価下落により、年金積立金に5兆円の損失が発生しており、年金額が減る」といった、選挙目当てのデマが流されています。しかし、年金額が減るなどということは、ありえません」と言っている。例年は前年度の運用成績の発表は7月上旬なのに、今年は参院選後の7月29日に、政府が約5兆3000万円の運用損を出したことを公表。「5兆円損失はデマだ!」と自らが選挙対策の保身で発言したことじたいがデマだったことがあからさまになったにもかかわらず、それを恥じない。
文字で記すだけで恥ずかしくなる「アベノミクス」なる政策の失敗は明らかなのに、それを恥じない。そのうえ伊勢志摩サミットで、G7首脳陣や海外メディアの面前で「世界経済はリーマンショック前に似ている」と言ってしまう。一般人や世界の常識とはかけ離れたあまりに深い洞察を示してくれた。「世界経済はそこそこ安定した成長を維持している」とするメルケル首相や、「安倍晋三の無根拠なお騒がせ発言がG7を仰天させた」と記す「ル・モンド」紙も、その直観には辿り着けていないのだろう。年末には「リーマンショック前」どころか「日本経済は明らかに向上している」と言わせたりしているが、奥深すぎて理解できない。
「激変する国際情勢の荒波の中にあって、積極的平和主義の旗をさらに高く掲げ、日本を、世界の真ん中で輝かせる。」
というが、国連の「核兵器禁止条約」に向けた交渉で「唯一の被爆国」である日本が反対しているのは、その「積極的」の向かう方向を端的にあらわしている。核兵器保有を肯定する発言を何度も繰り返しておきながら、オバマ大統領の広島訪問に乗っかって「我が国が核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない」と言ったことも、その場で忘れて行くのであろう。
「積極的平和」は決して「平和」の状態を求めるものでなく「自分に都合のよい戦争をすること」を意味するのだが、こんな言葉のまやかしに踊らされている国民自体も素晴らしすぎるのかもしれない。
首相は自分が嘘をついているという自覚はないのかもしれない。
「私が申し上げていることが真実であることはバッジをかけて申し上げます。私の言っていることが違っていたら、私は辞めますよ。国会議員を辞めますよ」と1月の衆院予算委員会で宣言したが、その発言が出てきた「北朝鮮拉致被害者家族会」の蓮池透氏の指摘については首相自身が嘘をついていたことが明白なのに、逃げている。
もちろん、その後のどんな嘘についても、責任をとって辞める姿勢を見せたことはない。
「そして、子どもたちこそ、我が国の未来そのもの。子どもたちの誰もが、家庭の事情に関わらず、未来に希望を持ち、それぞれの夢に向かって頑張ることができる。そういう日本を創り上げてまいります。」というが、「未来へのツケ」に充ち満ちた「TPP」を、アメリカさえ参加しないと表明したにもかかわらず、自分のメンツの問題で強行採決した。
野党時代は「TPP断固反対」としながら、与党になれば当時推進していたオバマ大統領の御機嫌うかがいと経済界の支援で正反対に鞍替え、「私自身は、TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから」と嘯いてきた。
「私たちの未来は、他人から与えられるものではありません。私たち日本人が、自らの手で、自らの未来を切り拓いていく。その気概が、今こそ、求められています。」
気概では駄目だろう。人口も減少の一途を辿り、エネルギーも食料も生産業の原料も外国に頼るしかないこの国は、自分一人では何もできない。国際協調と外交によって合理化していかなければ、このジリ貧の国の未来はないはずである。
「2020年、さらにその先の未来を見据えながら、本年、安倍内閣は、国民の皆様と共に、新たな国づくりを本格的に始動します。この国の未来を拓く一年とする。そのことを、この節目の年の年頭にあたり、強く決意しております。」
何の内容もない。空疎である。みごとだ。
締めくくりに、「最後に、本年が、国民の皆様一人ひとりにとって、実り多き、素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。」とのことだが、結局この年頭所感じたいが、「現行憲法制定」の「理想」を自らが潰し、「絶望」の時代を招こうとしていることを、隠蔽している。
首相は7月、「憲法改正は争点ではない」と言っていたはずの参院選の結果を受け、「国民の信任を得た」とし、「(自民党改憲案を)実現していくのは総裁としての責務」と発言している。
2月に総選挙があるとかないとかも、「首相の専権事項」であるわけだが、「自分が勝てるかどうか」だけを考えている。
彼が民主的な手続きによって現実に真摯に対応しているわけではないことだけは、確かである。
こんな首相でもやっていけるのだ。
国家というものがフィクションでしかないこと。愚かさも、これだけ続けてきて、周りが従ってしまうと、麻痺の感覚の中で存続してしまうことを、見事に証明してしまった。

日本国憲法の美点が失われた時代に立ち会っていた人たちの一員には、なりたくない。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加