忘れないように、頭の中を整理する為に書き残しておきます。
「物を売る」これが商売です。
「買っていただく」は接客。分けて考えねばなりません。
で「売る」には、広告宣伝が必要だと考えますが「誰に対して」が重要です。
「お客様」である事はもちろんですけど、では、誰がお客様なのか?
私にとっては、一般消費者ではなく、営業マンになります。
営業マンが仕事を獲ってきて、それを私がいただく。これが下請けです。
そう考えると「営業マンが獲りやすい仕事」をアピールする必要があります。
「買っていただく」という接客ができる営業マンを、言葉は悪いですが「私の手足となって使う」という考え。これが広告宣伝で求められる事です。
私が営業マンに宣伝をして、営業マンが「売りやすい」と感じ、一般消費者に売る。
ここまでが一連の作業になります。
私が、営業マンに「買っていただく」必要は無いのですが、気持ちの部分では「アナタのお陰」とする事は必要です。
それが金銭のやりとり(賄賂)なのか、接待なのか、気持ちだけで充分なのか、これはそれぞれに考え方ですが、私は「私のお陰で、アナタも契約が獲れる」というWin、Winで考えています。
昨年、はじめて「お金が掛かる方法」で営業マンに広告宣伝を行いました。
結果は出たと思いますが、100点ではありません。
また、お金を掛けた結果なのか、掛けずとも出た結果なのかは比較ができないし、今後続けるかどうかも分からないと考えたのですが、、、、
続ける必要がありそうです。
しかも「もっとお金を掛けて」です。
私が独立して10年を超え、独立直後の新鮮な気持ちは薄くなりつつあります。
「努力、工夫の結果、仕事を増やした」が、いつの間にか「当たり前のように仕事が来る」となっていて、努力、工夫の矛先が変わっている事から、目を背けていました。
独立直後、私は「競合他社から仕事を奪った」のです。
ゼロから生み出したのではなく、他社が持つ100から、1を奪い、2を奪い、最終的には100まで奪った相手もいるのです。
自由競争ですから、奪った事を後悔していませんし、申し訳ないとも思っていません。
ただ、逆の立場で考える事。これからは「奪われる側」なのです。
遮二無二走り、勝つ事だけを考えていた10年。
ここからは、走った後に肥料を与え、「収穫と防御の為」に樹木を植え、敵からの侵攻を阻みつつ、僅かでも蓄えをしていく時代になったのかもしれません。
その肥料が、お金をかけた広告宣伝です。
攻める為の武器ではありません。
木が育つには時間が掛かりますが、育ってしまえば、容易に倒れない丈夫な防御柵になります。
肥料はケチらず、潤沢に使います。
肥料の使い方は、今までの経験をフル活用しながら、実験的要素も含めて考えます。
さて、休日を利用して肥料を用意しますか。
「物を売る」これが商売です。
「買っていただく」は接客。分けて考えねばなりません。
で「売る」には、広告宣伝が必要だと考えますが「誰に対して」が重要です。
「お客様」である事はもちろんですけど、では、誰がお客様なのか?
私にとっては、一般消費者ではなく、営業マンになります。
営業マンが仕事を獲ってきて、それを私がいただく。これが下請けです。
そう考えると「営業マンが獲りやすい仕事」をアピールする必要があります。
「買っていただく」という接客ができる営業マンを、言葉は悪いですが「私の手足となって使う」という考え。これが広告宣伝で求められる事です。
私が営業マンに宣伝をして、営業マンが「売りやすい」と感じ、一般消費者に売る。
ここまでが一連の作業になります。
私が、営業マンに「買っていただく」必要は無いのですが、気持ちの部分では「アナタのお陰」とする事は必要です。
それが金銭のやりとり(賄賂)なのか、接待なのか、気持ちだけで充分なのか、これはそれぞれに考え方ですが、私は「私のお陰で、アナタも契約が獲れる」というWin、Winで考えています。
昨年、はじめて「お金が掛かる方法」で営業マンに広告宣伝を行いました。
結果は出たと思いますが、100点ではありません。
また、お金を掛けた結果なのか、掛けずとも出た結果なのかは比較ができないし、今後続けるかどうかも分からないと考えたのですが、、、、
続ける必要がありそうです。
しかも「もっとお金を掛けて」です。
私が独立して10年を超え、独立直後の新鮮な気持ちは薄くなりつつあります。
「努力、工夫の結果、仕事を増やした」が、いつの間にか「当たり前のように仕事が来る」となっていて、努力、工夫の矛先が変わっている事から、目を背けていました。
独立直後、私は「競合他社から仕事を奪った」のです。
ゼロから生み出したのではなく、他社が持つ100から、1を奪い、2を奪い、最終的には100まで奪った相手もいるのです。
自由競争ですから、奪った事を後悔していませんし、申し訳ないとも思っていません。
ただ、逆の立場で考える事。これからは「奪われる側」なのです。
遮二無二走り、勝つ事だけを考えていた10年。
ここからは、走った後に肥料を与え、「収穫と防御の為」に樹木を植え、敵からの侵攻を阻みつつ、僅かでも蓄えをしていく時代になったのかもしれません。
その肥料が、お金をかけた広告宣伝です。
攻める為の武器ではありません。
木が育つには時間が掛かりますが、育ってしまえば、容易に倒れない丈夫な防御柵になります。
肥料はケチらず、潤沢に使います。
肥料の使い方は、今までの経験をフル活用しながら、実験的要素も含めて考えます。
さて、休日を利用して肥料を用意しますか。