脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

何を学ぶのか

2020年10月28日 | 経営以外の話
予想通りというか、想定内というか、我が子の冬休みが短縮になるらしいと連絡がありました。
夏休みは40日から14日に短縮。
冬休みは例年では15日前後ですが、今年は8~10日程度になるだろうという事。
(決定ではありません)
若しくは、冬休みは例年通りだけど、3学期の授業数を増やす為、毎週土曜日も学校を開くという案があるそうです。

授業数を増やす事は否定しませんけど「何を学ぶのだろう?」という疑問は消えません。

「大人になって、元素記号の暗記が役になったのか?」「なんで必死に竹取物語を暗唱したんだ?」「漢文の読み方を知っていて・・・・」
そうなんですよ。「社会人として生きていく」という点に置いて、学校教育は半分も役に立ちません。これは皆さん知っていると思います。

だから、授業数が減って「この世代では竹取物語を暗唱できない」となったところで、何の差もありませんね。
むしろ、社会科見学、運動会、文化祭と言った「学校ならではの催事」が無い事のほうが問題だと思います。
(感染対策がありますから、致し方ない部分も大きいですけど)

なぜ授業数に固執するのか?
これは「みんな同じであらねばならない」という、ある種の強迫観念だと思うのです。
同じ授業数、同じ教育を受けたから「同じ土俵で評価できる=優劣をつけられる」という事です。

そう「優劣をつける為」の教育なんですよ。
これが学校教育だと思います。
正しいでしょうかね?

日本は、ここ20年間で大きな進歩、発展は無いそうです。
が、諸外国は大きな進歩、発展があり、気が付けば経済力、技術力で、日本は立ち遅れるようになっています。
日本人が劣っているのか? いや、横這いを善しとしている事が問題では無いでしょうか?
これが学校教育ですよ。
20年前、いや、私が子供の頃と同じ教育をしているのです。
(さすがに歴史年号は変わっていますけど)
変わる事、発展する事を否定しているのですよ。

国際競争を考えれば、英語教育を早く、多く取り入れ、日常でも使えるレベルに「大急ぎで」取り組む必要があります。
逆に、何かを削る必要もあります。効率の問題です。
竹取物語は要らないでしょ?
「翻訳アプリがあるから英会話が不要になる」という意見もありますが、それを言ったら算数も、漢字も要らないのです。教育そのものが不要です。
「日常レベルで競争する」という視点で、英会話は重要だし、算数も、漢字も重要です。
その上で、化学、科学、日本史、世界史などは「選択して浮ける」でも仕方ないでしょう。
今の時勢を見れば、という意味です。

私は、どちらかと言えば「古い技術を伝承していく」世界で生きています。
が、伝承する事と、活かしていく事は同じではありません。
敢えて古いまま残す部分と、今に合わせて活かす部分があるべきです。

それを、頑固に「昔からこうなんだ」と決めつけるから、若い人材が集まりにくいのです。
そして、育ちにくいのです。
これは、わざわざ「現在」を排除しているからなのですよ。

機械を使い、手作業よりも精密な仕上がりができるようになりました。
これで、手先の技術は失われると思います。
これが大きな問題なのか?
寂しいとは思いますが、問題とは思いません。
何十年かけて習得した技術は尊敬しますが、数十年かけねばできない仕事は有り難くないです。

学びは、生きていく術です。
だから、みんな同じである必要は無いし、代々受け継ぐ必要もありません。
必要な物は残し、必要な物は取り入れ、優先度が低いものは減らす。
そうやって考えると、必死に授業数を確保する今の学校教育が、とても情けなく、バカらしく見えてきます。
コメント
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