脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

裏切り

2018年04月25日 | 経営
最近取引を始めたR社の話。
と言っても知らぬ仲ではなく、数年前はH社として取引していました。

H社は、社員が横領と顧客の横流しをした結果、廃業。
金銭的には、横流しした社員(と、その保証人)から最低限の回収ができた為、取引先に迷惑が及ぶことはありませんでした。
が、金銭事情より、社長自身が人間不信に陥ってしまい、会社組織を運営する事が困難になった結果、廃業となりました。

その後、普通のサラリーマンを経て、新しくR社としてスタート。
(正確には義父さんの会社を引き継いだそうでが、実質休業状態だったので、名義上だけの引き継ぎ)

H社の廃業当時の事、ようやく人に話せるようになったそうです。
「もっとも信用していた社員に、まさか横領されるとは思わなかった」
結果だけ考えれば「なんで会社の金庫番をさせたのか?」「なぜチェックしなかったのか?」と言われるけど、「絶対的に信用していた」という事で、盲目になっていたそうです。

さらには顧客の横流し。
「ここまで裏切られるとは」と、とてもショックだったそうです。

追い打ちをかけたのが、その裏切り行為を社員数名が知っていたのに、知らんぷりしていた事。
もしかすると「口止め料」を貰っていた可能性もあるそうですが、証拠は無かったそうです。


私は自分ひとりで経営しているので、こういう裏切り行為には合わない・・・・という事はなく、私もR社ほどではないにせよ、裏切られた経験があります。

前に書いたことがあるかもしれませんが、陰で私の信用を落とす行為をして、私の仕事を横取りしたヤツがいました。
今、思い返せば、その程度で落ちる信用だった、私の力不足ですけどね。

サラリーマンでもありますよね。
人生には、当たり前のようにあり得る話なのかもしれませんが、悲しい事です。

R社には頑張ってほしいです。
(私にたくさん仕事を回してもらえるように)

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家造りから「大工」が消える? 効率化の光と影 ④

2018年04月22日 | 経営
私が引っかかっているのが「効率化の光と影」というところです。
まるで「機械に負けた大工」が「仕方なくリフォーム分野に活路を見出す」と読めてしまうからです。
機械化で伸びた分野もあります。工期が短くなり、高品質な住宅が安価で製造できるメリットもあります。
そこに「大工が不要になった」とか「大工の腕が悪くなった」を結び付けて欲しくないのです。

機械化は進んでいる現実。プレカットは当たり前という事実。
これが為に「大工が4割減って、これからも減少する」と書かれると「既存の大工が4割廃業した」「これからも、どんどん潰れていく」と読まれてしまうように感じます。

そうではない、単純に「新築住宅に大工が不要になった」という事。
仕事が無ければ人は要りません。
新人を雇いません。なり手が減っている現状もあります。
「減った」ではなく「増やせない」という事です。

「大工の腕が悪くなった」のは、単純に「腕が求められないから」です。
大工さんが手を抜いている訳でも、教育を放棄した訳でもありません。
これも効率化と結びつけるのではなく「単純に」です。

「リフォームに活路」ではなく「リフォーム分野には、大工が必要」です。
そして、ここに「リフォームに長けた技術」が求められると思います。
ここが活気づけば、大工が必要になり、新人を雇う必要も出てきます。

まとまりない文章でスイマセン。。。

私が言いたいのは「昔ながらの技術をもった大工がリフォーム分野に活路」ではなく「リフォーム分野に適した大工が求められる」という事です。
昔ながらの大工と、リフォームに適した大工が、完全にイコールとは言えないという意味です。

同じ「大工」という職種でも、今と昔では求められている「腕」が違う。そういう事です。
だから「大工が消える」ではなく「大工が変わる」が的確かと思います。

客観的に見た目(記者)と現場に身を置く私の、目線の違いかもしれませんね。

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家造りから「大工」が消える? 効率化の光と影 ③

2018年04月22日 | 経営
伝統的な技術や知識の伝承と、今回の話は分けて考えるべきと前置きますが、機械化と対応するのは「伝統的な、昔からの技術を持つ大工」という考えは、疑問符が付くと考えます。
確かに、本格的な和室の依頼など、今のプレカット中心の家しか扱ったことが無い大工では対応できません。
が、それは今も昔も大して変わらず、本格的なものには相応の人材が対応していましたから「大工が」と括る事はできないという事です。

リフォームの大多数が、そういった本格的なものではなく、壊れたから直す、使い方を変えるなどです。
大掛かりなリフォームと言っても、それは工事の規模が大きいだけで「専門的な技術が必要」という意味ではありません。

ここで、大工の(大工に限りませんが)教育のおさらい。
昔は丁稚奉公に近い形式で、一人前になるまで数年を要していました。
「弟子入り」「入門」という言葉があり、仕事ではない、親方の身の回りの世話もやって当然という世界です。

今は・・・・昔の方式も残っていると思いますが、ほとんどがサラリーマン化した業態です。
(が、一人前まで数年という考えだけは根強く残っていますね。不思議です)

さて、どちらが優秀な大工に育つでしょう?

大工の腕を競うコンテストなら、昔の教育のほうが優れているかもしれません。
技術と責任、根性、色々培われます。

「食べていける大工」を育てるならどうでしょう?
どちらが優れているとは言えないかもしれません。

続きます。

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家造りから「大工」が消える? 効率化の光と影 ②

2018年04月22日 | 経営
記事では「機械で対応できない分野に活路を見出す」と、大工の活躍の場がリフォーム市場であると書かれています。
これも、我々にすれば「何を今さら」ですね。分かり切っています。

ただ、この記事では「手仕事と機械のせめぎ合い」と結んでいます。
これは「随分視野の狭い話だなぁ」と感じてしまいます。

ほかの業種の方から見ると「職人の技術」というのは、少し神格化されているように感じる時があります。
「機械ではできない部分を担う」となると「やっぱり機械よりも職人の腕のほうが良い」「融通が利く」と考えてもらえているようです。
これを否定するつもりはありませんし、非常にありがたいと感じます。

が、我々が「機械よりも、自分の腕を必要としてくれる分野がある」と考えていたとすれば、これは疑問符が付きます。
これは、あくまで「機械化されていない分野」というだけであり「腕を必要としている」では無いからです。

私は、求められているのは「腕」ではなく「現場に合わせた応用力」だと考えます。
もし、リフォームで行う業務がパターン化すれば、その分野には機械が入り込んでくると思います。
機械化されずとも「技術が要らない部材」が出てきます。
これは仕方が無い事です。

ただ、リフォームは「パターン化されにくい市場」ですので、それに「順応する腕」を持った職人は重宝されます。
これが、私の言う「応用力」です。
技術や経験の高さを競う腕ではなく、お客様の要望に応える腕です。

続きます。
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家造りから「大工」が消える? 効率化の光と影 ①

2018年04月22日 | 経営
ヤフーニュースより
家造りから「大工」が消える? 効率化の光と影

リンクが消えたら内容が分からないので、ざっくり解説

●昨今の木造建築の95%以上はプレカット工法
●プレカット資材の工場は、完全機械化で無人
●プレカット工法による、大工技術の劣化
●新築物件は、分業制で大工不要
●大工の人数はピーク時より4割減。尚も減少。
●大工の減少とともに、工具メーカーも苦境に
●リフォーム分野は機械化されず、大工が活躍できる
●リフォームができる大工は貴重

だいたいこんな感じかなぁと。

現場にいる我々は、数字こそ的確ではないにせよ、これらを体感していますね。
「何を今さら」って感じです。

大工さんに限った事ではなく「機械化」という部分と、「化学化」という部分で、我々職人は仕事が奪われています。
しかし、これは被害者という意味ではなく、「それに合わせた経営が必要だ」と考えるべきだと思います。

ノミやカンナを使えずとも、しっかり仕事が獲得できて、相応の収入があれば良いと思います。
誰もが羨む技術を持っていても、仕事が無ければ意味を持ちません。

技術という部分に目を向ければ、今も昔も、腕の良い職人もいたし、悪い職人もいたハズです。
「昔は腕が悪くても仕事があった」というのは、半分正解で、半分違うかなぁと思います。

と言うのは、腕の良し悪し以上に、昔は「現場に出るまでが大変だった」からです。
丁稚奉公に近い形で、教育とは程遠い環境を、まさに「生き抜いて」現場を任されるようになります。
今でいう「パワハラ」に照らせば、当時のそれは100%アウトです。

「耐えた結果」現場を任されるようになります。
これが、家づくりの基本、根本だと感じます。
一度作り出せば途中で逃げ出すことはできない、責任を持った仕事を求められる仕事だという事です。
「嫌だから」「辛いから」といって辞めてしまう人間は、修行段階で淘汰されているという事です。
だから「腕が悪くても」ではなく「修行を生き抜けば仕事があった」と考えたいという意味です。

続きます。


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