一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
本当の強さ、優しさ
娘を見ると私が知らない間に成長しているようで頼もしく感じます。
それはもともと備わった素質なのかもしれません。まだ幼いですが基本的に優しくて、人を喜ばせることが好きで思いやりがあります。
まだオムツを履いていたころから泣いている子供がいると近寄っていき一生懸命慰めていました。むこうのお母さんにかえって迷惑がられることもありましたが、娘的にはどうしても何かをしなくてはという気持ちがおさえられないのでしょう。
今でもその傾向があって周りの友達のことを気にかけているみたいです。ただ優しいだけでは生きていけないのが世の中です。
強さがなくてはいけません。優しい=弱いではいけず、優しい=強いでなくては多くの人のお役にたてないのです。
私は高校時代までこのことを勘違いしていました。友達に頼まれればなるべく力にならなくてはと自分を犠牲にしても誰かのためみたいなところがありました。でもそんな無理がたたったのとすさんだ生活でゆえに精神がおかしくなってしまったのです。
どうにもなりませんでした。自分の力では治らなかったのである人に相談しました。
「お不動様をお参りしなさい。そしてやさしさだけでなく強さを身につけなさい」
それからの日々は不動明王様と二人三脚の日々です。お不動様には理屈抜きに優しさを突き抜けた強さがあります。その波動に導かれると自然と自分も安心して人に対せるのです。
いまだに不器用なところがあり、変なところで強く、変なところで弱い、そんなところがあります。しかしすべきこと、導くべきこと、優しくなるべきところは無の境地になりお不動様と対峙したとき答えが伝わってくるような気がします。
「また頭で考えずに胸の部分、心で考えろ」
とも教わりました。
なるべきは優しさを突き抜けた本当の強さです。娘にもいずれその意味を教えられたらと思います。
それはもともと備わった素質なのかもしれません。まだ幼いですが基本的に優しくて、人を喜ばせることが好きで思いやりがあります。
まだオムツを履いていたころから泣いている子供がいると近寄っていき一生懸命慰めていました。むこうのお母さんにかえって迷惑がられることもありましたが、娘的にはどうしても何かをしなくてはという気持ちがおさえられないのでしょう。
今でもその傾向があって周りの友達のことを気にかけているみたいです。ただ優しいだけでは生きていけないのが世の中です。
強さがなくてはいけません。優しい=弱いではいけず、優しい=強いでなくては多くの人のお役にたてないのです。
私は高校時代までこのことを勘違いしていました。友達に頼まれればなるべく力にならなくてはと自分を犠牲にしても誰かのためみたいなところがありました。でもそんな無理がたたったのとすさんだ生活でゆえに精神がおかしくなってしまったのです。
どうにもなりませんでした。自分の力では治らなかったのである人に相談しました。
「お不動様をお参りしなさい。そしてやさしさだけでなく強さを身につけなさい」
それからの日々は不動明王様と二人三脚の日々です。お不動様には理屈抜きに優しさを突き抜けた強さがあります。その波動に導かれると自然と自分も安心して人に対せるのです。
いまだに不器用なところがあり、変なところで強く、変なところで弱い、そんなところがあります。しかしすべきこと、導くべきこと、優しくなるべきところは無の境地になりお不動様と対峙したとき答えが伝わってくるような気がします。
「また頭で考えずに胸の部分、心で考えろ」
とも教わりました。
なるべきは優しさを突き抜けた本当の強さです。娘にもいずれその意味を教えられたらと思います。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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娘さんが泣いている子供を放って置けなかったのは、自分がそうしてもらって嬉しかったから、小さな子供は五感で物事の是非を判断しているのではないでしょうか?。
大人は言葉を覚え、知恵が良く悪くも働くようになると…五感はどんどん鈍くなってしまう。
大切なのは、きっといつも堂々と背中を見せていられることではないでしょうか。
地位や名誉等ではない、正直な背中…。
和尚様の背中は、私には和蝋燭のように見えました。(和蝋燭を消すのはとても大変だとか…)
後で知って妙に納得しました。
今は優しい気持ちを絶やさずにいつまでも純粋な心を持ち続けて頂きたいと思いました。
10/10分でございます。
本日も1日お疲れ様でございました。