怒りに震えていた。40年ぶり3度目の決勝で敗れ、悲願の夏Vを逃した広陵・中井哲之監督(45)は、8回の審判の判定に本心を隠さなかった。「ストライク・ボールで、あれはないだろうというのが何球もあった。もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないか。負けた気がしない。言っちゃいけないことは分かっている。でも今後の高校野球を考えたら…」。試合後のベンチで思いを吐き出した。
特に問題視したのは、4点リードの8回裏1死満塁。カウント1-3から、エース野村祐輔(3年)が投じた1球だ。佐賀北・井手に、外角低めにこん身の直球を投げた。しかし桂球審の判定はボール。押し出し四球で1点を与え、続く3番副島の逆転満塁弾につながった。ボール判定の時、普段はポーカーフェースの野村が驚きの表情を浮かべ、捕手の小林誠司(3年)はミットで3度地面を叩いた。この光景が中井監督の胸を打った。「あの1球は完ぺきにストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。その子が言ってくるんだから。キャッチャーは『どうしたらいいですか?』という顔をしていた」。
【甲子園】広陵が“疑惑の判定”に泣く…またも夏優勝お預け(サンスポ)
★高野連が中井監督を厳重注意へ「審判も人間だから」
中井監督の発言を受け、日本高野連の田名部和裕参事(61)は「審判も人間だから難しい。アマチュア野球の世界で言ってはいけないコメントだと断言します」と批判。23日、大阪市内で準優勝報告会が行われるが「そこで厳重注意をしようと思っています」と話した。
大相撲と並ぶ日本の国技と言えば高校野球でしょうか。高校世代での野球熱はアメリカを大きく凌駕するとも聞きますが、この大相撲と高校野球、「上にものが言えない」という点でよく似ているように思います。「上」が決めたことを「下」の人間が従順に受け容れ、決して反抗しない、それが日本を代表する2大スポーツ文化の特徴ですね。
「審判も人間だから」というのは分かります。ミスをしないのは難しいですよね。しかし日本一を決める決勝の舞台には審判にもトップレベルの技術が欲しいところです。プロの審判でも判定を誤ることはありますので何とも言えませんが・・・
問題なのは高野連の発言の後半部です。「アマチュア野球の世界で言ってはいけないコメントだと断言します」「そこで厳重注意をしようと思っています」と、高校や球界のタブーである審判への抗議を行った中井監督を批判しているようですが、全く良い御身分です。そうやって自分に批判的な意見を片っ端から突っぱねていけば人生は楽でしょうね。
あれが誤審であったか誤審でなかったかは、この際どうでも良いのですが、しかし誰しも疑問に思うこと、不満はあるでしょう。そうなったときに疑問を突きつける、不満を突きつける、その疑問や不満に向き合うことで少しずつ問題点を洗い出し、変化していくのが健全な社会ではないでしょうか?
しかるに高校野球界、ついでに言えば大相撲界は違います。疑問に思っても不満に思っても、それを口に出してはいけません。もし仮に「上」が疑問や不満をぶつけられても、それは常に「下」が悪い、禁忌を犯したと断罪するばかりで疑問や不満に応えようとしない、そういう社会です。疑問に思ったり、不満に思ったりすることが否定される社会、感じた疑問や不満を解消するために行動することが禁じられている社会、それが高校野球であり、大相撲なのです。
[朝青龍]モンゴル大統領が助言「もっと日本を勉強せよ」(毎日新聞)
モンゴルのエンフバヤル大統領は23日、日本相撲協会から2場所連続出場停止処分を受け、その後「解離性障害」と診断された横綱・朝青龍に対し「もっと日本の伝統、文化を勉強して真の意味で強い横綱になり、日本人の多くの人に愛されてほしい」と助言した。
一方的な関係はいつでも危ういものです。朝青龍が日本の「伝統」を学ぶのはよいとして、では日本あるいは相撲協会は朝青龍から何かを学ぶのでしょうか? 朝青龍に学ばせようとするだけで、朝青龍から学ぼうとしないのであれば、その関係は不健全です。朝青龍に「変わる」ことを求めるのであれば、同時に協会もまた「変わる」覚悟を持つべきなのです。
正直なところ、「上」が決定し「下」が従う、疑問を持たず従順に従うことが美徳とされ、現状を変革しようという動きを封じ込めようとする高野連・相撲協会的な考え方が日本の伝統であるならば、そんな「伝統」など学ばないで欲しいと思います。むしろ高野連・相撲協会などの「伝統」の担い手が、世界の文化や現代の異議申し立てから学ぶこと、真の意味で真っ当な協会になり、世界に恥じるところのないものになって欲しいくらいですね。
翻って日本の社会はどうでしょうか? 疑問を感じること、不満を表明することに対してどれだけ開かれているでしょうか?
たしかに教育的意義の方向性が最初から定まっている、外れることを許さないところが大きいですね。初めから「こういう風に育てたい」という意思があって、その鋳型にはめ込もうとするようなところもありそうです。むしろ広陵の部員たちには、たとえ相手が「偉い人々」であっても、臆することなく言うべきことは言うこと、「お上」に従うばかりではなく疑問があれば糺そうとする、そういう風に育って欲しい気がします。
記事中にあるように「アマチュアスポーツ」というものの意義として主張されるのかもしれませんが、そこでも疑問に思うのは、なぜ、非プロだから教育的意義が大きいと題目を掲げるのに、はっきりとレギュラーと補欠が存在してしまうのか、ということです。プロではないのだから試合の結果がすべてではなく、その過程を、経験を個々人の財産として残すうんぬん。というなら、上手い下手に関わらず試合に出るべきですよね? しかしそうではない。
ところで自分の経験として、中学サッカーでずっと補欠だったことを、まったく疑問には思っていません。結局のところスポーツとは結果を目指すものであって、そのための戦力でなかった自分に機会がないのは仕方ないと思うからです。しかし“あくまで個人的に振り返って”部活動の経験がなにがしかの財産であることは違いありません。ですがこれは、“教育的なものとしてのスポーツの指導”とはまったく無関係だと思うのです(自分はそのように指導を受けた記憶がありません)。
なんとなく、このふたつがごっちゃになってるんじゃないかと思うんです、高校野球なんかでは特に。たしかに高校野球で何かを得るかもしれませんが、始めからそれが意識されすぎているというか。そのために結果的に教育的意義を得るかもしれないというだけのものが、教育的異議を得なければならない、という圧力になり、意義の方向性も定められそこから外れることを許さない、という風になってるんじゃないか。
だって、ねえ、わからないじゃないですか。広陵の部員たちは監督の抗議から何かを学んだかもしれないのにさ。って思う次第です。
最初は威勢良く、最後は弱々しいのはツンデレだから・・・ではなく、日常生活の疲れからと言うことにしておいてください。社会に向かって「Fuck!」と叫ぶ一方で、人から認められたい思いもあって、それで最後に応援のクリックをお願いしてしまうのです。
>ありがとうさん
上が下を押さえつける、下にものを言わせないのが高校野球の正体ならば高校球児達にとっても望ましい環境ではないですよね。高野連には「伝統」を頑なに守る、守らせるばかりではなく、高校球児と共に歩く意識が望まれます。
>修一狼さん
高野連はただ「文句を言うな、逆らうな」とばかりに意見を突っぱねるばかりで批判に応えようとしない、実に不誠実ですよね。高野連の教育方針とは徹底した上下意識を教え込むこと、上のやることに疑問を持たない従順な子供を育てることなのかと問いたいくらいです。
>上から4番目のUnknownさん
相撲界が朝青龍を育てたと同時に、朝青龍が相撲界を支えても来たわけですから、やはり朝青龍が相撲界を学ぶと同時に相撲界も朝青龍から影響され、変わっていかねばならないと思うのです。スタルヒンもプロ野球黎明期を支えた大功労者ながら、日本名に改名させられたり放出されたりと不遇なところもありましたね、切ないものです。
>ELMの日記さん
おぉ、携帯からでございますか。私の携帯は通話の契約のみでネットに繋げないのでわからないのですが、こういう文字だけのサイトを携帯で見るとどうなんでしょう?
高校野球のジャッジですが、良くも悪くも人間味があると言いますか、それだけに間違いも多い、ブレも多いような気がしますね。それも味わいの一つなのでしょうけれど、機械のように精密なジャッジが望ましいこともありますし、いずれにせよ選手や監督の側に異論を差し挟む権利ぐらいはあるのではないかな、と。
>むさしねこさん
日本で働く身として日本のファンも大切にしなければなりませんが、モンゴル出身者として生まれ故郷のファンを大切にしたい気持ちも当然ありますよね。海外出身者もまた大相撲の一部である以上、国内出身力士の郷土色を大事にするのと同じように、外国出身力士のお国柄も尊重できるようであって欲しいものです。
>タクヤさん
上が決定し、下が実行する、下が実行し、上が裁くのが会社です。やっぱり下からはものが言えない、上から許された範囲でしか意見を出せない空気が色濃いと思います。理想的な指導者になれるような逸材はなかなか見つからないかも知れませんが、それならばもっと下からものを言える雰囲気を作らねばなりませんね。
この社会で部下や下の意見を聞いて、その意見をまとめて、みんなを牽引して行動できる能力がある人が、上に立つような仕組みが出来ていればよいのですが。
夏の甲子園、広陵ナインには残念な結果でした。監督の悔しい発言もよく分かります。ただ、これと似たケースは過去にもありますね。だいぶ前になりますが、太田幸司を擁する三沢高校と松山商業の決勝戦の際、松山の井上投手の投げた微妙なコースがストライクと判定され、押し気味の三沢が再試合で優勝を逸してしまいました。どうなんでしょうか、球審のジャッジに教育的配慮が働いてしまう雰囲気が甲子園にはある様な気がします。審判も人の子ですから。私も高校球児でしたけれども、審判員から親しく声を掛けられるなんてことがしばしばでしたから。これからも非国民通信さんの文章を、万三さんの掲示板に居候しながら拝見させていただきます。今後ともよろしく。
朝青龍から学ぶことはあるはずですし、昨今の朝青龍イジメに近い過剰な報道は不愉快でした。彼は大相撲を支え続けた功労者です。
どこか・・・スタルヒンの現役引退の時を思わせるようなところがありませんか?
モンゴルの大統領の発言は、とても重いですね。額面どおりに受け取るだけでいいのでしょうか?
・・・わたしゃ、素直に応援させていいただきます(笑)。素直に国を思うと何故か非国民扱いされちゃうご時勢なのだから皮肉だな~と思っています。
今月は戦争関係のいろんなテレビ番組があって、非国民って言葉も平常よりも多く飛び交ってましたけど、実にビミョーな言葉だなとシミジミ感じました。
やはり高野連は制裁のみで、事実確認及び当事者への説明は一切行わない「不誠実」な対応に終始しているのですね…
そんな不遜な態度が「教育」を目的とする組織の姿勢で良いのか?
高野連には教育を第一に掲げているならば「誠実」とはなんぞや?と自問欲しいですね。
「非国民通信」頑張ってください!