非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本の政治の最先端

2010-05-09 22:59:18 | ニュース

阿久根市長「専決処分」宣言、6月議会招集せず?(読売新聞)

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、今後の市政について「議会に(議案を)かけると予算を使えなくなる。専決処分で進める。前倒しでどんどんやっていく」と市幹部らに伝えていたことがわかった。

 この方針は、6日の課長会で示されたといい、市長はすでに、公共の場での花火を原則禁止とする「市花火規制条例」を議会に諮ることなく、4月27日に制定した。

 専決処分は、本来は議会の審議・議決を経なければならない案件について、首長が議会を通さずに決めること。地方自治法では、議会を招集する時間的余裕がない場合などに認められている。竹原市長は3月議会への出席を連日拒否するなど市議会と決裂状態にあり、市執行部だけで施策を進める方針とみられる。

 日本の最先端である阿久根市では、市長の独断によって公共の場での花火が禁止になったそうです。ガキは火遊びが好き、バカと高いところは煙が好きですから禁止したくなる気持ちはわからないでもありませんが、そんなものまで条例化しなくても、と思います。まぁ花火の禁止自体は阿久根限定ではなく他の自治体でも見られるようですけれど、その条例の決定手順の面では、まさしく「最先端」にふさわしいと言えるでしょう。議会を通さず、市長と側近だけで条例を定める、本来は非常事態向けの「抜け穴」みたいなものですが、これを恒常的に活用していく方針のようです。

 小泉政権の前後で何が決定的に変わったかといえば、政策の方向性ではなく、「政治の在り方」「政治手法」といったものが挙げられると以前に書きました(参考)。日本独自のスタイルに改変された新自由主義的な政策は小泉時代に顕在化したとは言え、それ以前からも着実に勢力を広げていただけに、最大の変化は「官邸主導」を筆頭とする政策決定のプロセスにあると考えられるわけです。根回しを駆使した合意形成の政策決定から、反対派を悪玉に見立てて断罪し、異論を切り捨ててトップが「リーダーシップ」を発揮してゆく――それが政治の在り方として定着したのではないでしょうか。

 この辺は「政治主導」と名を変えて民主党政権にも受け継がれ、自民党時代よりもエスカレートした官僚否定や議員立法の原則禁止などを通じて、よりトップが「リーダーシップ」を発揮しやすい環境作りが進められてきました。国民もまた、決定される政策そのものへは必ずしも肯定的ではないにもかかわらず首相あるいは首長の「リーダーシップ」には一貫して期待を寄せてきたと言えるでしょう。政治運営が独裁的であればあるほど、支持が全国的に広がっているのは紛れもないところです。そしてこの最先端に存在するのが、他ならぬ阿久根市であるように思われるのです。

 民主党だけではなく自民党も、諸々の新党(第二自民党と呼ぶ声もありますが、むしろ第二民主党と呼びたい気もします)も各地のポピュリズム系首長も、こぞって議員定数の削減を主張しています。民主も自民も支持率は下がり続けていますが、議員定数の削減という方向性に関しては有権者の広範な賛意を得ていると言っていいでしょう。議員なんていらない、議会なんていらない――それが多数派の声なのかも知れません。ならば議会は内閣の決定を追認するだけの役目で十分とするのが鳩山内閣(というより小沢)の政権運営でありますが、より究極の形は議会を通さずにトップと側近だけで即断即決することなのでしょうね。それを全国に先んじて実践して見せたのが阿久根市というわけです。

 時代を先取りしすぎているが故に否定的に見る人も少なくない阿久根の竹原市長ですが、氏を否定的に見ているからといって、氏の実践する独裁的な政治手法そのものにまで批判的な人が多いかといえば、決してそうは言えないと思います。自民党の総理が独裁的な手法を採ったときに批判の声を上げていた人が、民主党の幹部が同様の手法を採ったときにどう反応しているかを考えてください。

 こちらのリンク先の末尾では、小沢問題を受けて軍や警察は「党」に忠誠を誓うべきだと主張している人を取り上げました。きっと「党が所有する国家」が理想なのでしょう。しかしこれが自民党政権時代であったならば、決して同様の主張はしていなかったと思います。検察が追っているのが自民党議員であったならば、むしろ検察が政府の有力者を相手に「手心を加える」ことを懸念していたでしょう。気に入らない政権(=自民党政権)であれば検察が疑惑を追及するのを歓迎するけれど、共感している政権(=民主党政権)であれば検察を含む司法は党に刃向かうな、忠誠を誓えと、そういう論調を採るわけです。つまり、その時々の政権(首長)次第に批判的であれば独裁的な手法にも否定的な態度を取るけれど、逆に政権(首長)に共感していれば独裁的な手法にも肯定的な態度を取る、むしろ独裁的に振る舞うことを期待するところが多いのではないでしょうか。自分の好きな政治家(政党)が、議会なり官僚なり司法なりに縛られることなく、自由に何でも即座に決められる政治――端的に言えばそういうものを志向している人が多いと思います。その結晶の第一号が、たまたま阿久根市に生まれたというだけのことですね。

 

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6 コメント

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Unknown (伊東勉)
2010-05-10 03:06:15
 こんばんは。伊東です。
 とうとうここまで来たかって所です。感想語らせていただければ。
 ここまでくると「二元代表性の意味」とか「議会を置く意味」など語るのも…。もっと根本的に「独裁的な行動が、その行動に納得しきれない人の反発を生み、それがやがて『行動』の効果をもぶっ壊す」って事、気づいていただきたいのですが…“熱く”なっている今ではこの言葉すら“じゃま物”なのでしょう、ね。

 日曜日の毎日新聞で「首相公選制」に関して触れていた記事がありまして、その筆者いわく『独裁者を生む危険性があって』反対していたそうですが、近年『選挙で選ばれた首長がその意を受けて思い切りのいい行動をする』から『公選制がいいという“誘惑”にかられている』という記事を書いていました。

 与良さんがどう思おうが勝手ですが、私にはその行動『反対勢力をスケープゴートにした独走』にしか見えませんし、確かに沢山の立場の人をまとめるとなると手間隙かかってじれったい面もありますが、それでも後々の事考えたらな…と。

 「1+1=2」みたいに、答えをすぐに求めすぎている今の世相が気になります。それを早く求めようと思ったら、小さい(けど現実にある)意見何ざゴミ扱いにされやすいのだから。

 長くなってすみません。
 今日はここで失礼します。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-05-10 18:53:19
>伊東勉さん

 各地でポピュリズム系首長が続々と誕生しているのを見ると、首相公選制の弊害が見える一方で、有権者からは少なからず歓迎されてしまうのだろうという気がしますね。反対派を悪者に仕立てて独裁制を敷く、小泉路線、劇場型政治のさらなる進化であり、議会制民主主義の否定でもあるのですが、この流れはなかなか止まりそうにありません。
返信する
現代日本人が好きなものですね (コンポコ)
2010-05-10 20:59:43
二重基準や強者(と思われる者)と自己を同一化。
そういうのが顕著に現れている感じがします。

こういう政治の流れにはうんざりです。
日本の政治家が全員志位さんみたいであればいいのに‥
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-05-10 23:18:44
>コンポコさん

 全員はともかくとして、主流は筋の通った人間であってほしいですよね。今の主流は、独裁志向のポピュリストばかり、そうした政治家に反対している人の中にも、自分が支持する政治家/政党であれば実質的な独裁を願っているようなタイプが多いですから。
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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2010-06-20 11:47:03
この市長何でも専決処分で決めだしていますね。少なくともこういう前例を作っていくことがまずいことは確かですがどうやって止めればいいか分からないです。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2010-06-20 18:53:00
>ノエルザブレイヴさん

 全く酷いものですよね。口座の差し押さえや告訴などの動きもあるようですが、あれだけの無法を繰り返しておきながら、今なお市長の座に居座ることが許されているのですから驚きです。なんと言いますか、この手の政治家の登場を予防するための制度作りが必要なんじゃないかという気がしてきました。
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