非国民通信

ノーモア・コイズミ

就職難は、少なくともミスマッチの問題ではなさそう

2011-08-14 22:53:26 | 雇用・経済

 さて、ツッコミどころに事欠かない妄言といえば昨今では原発がらみが多いですけれど、トンデモの罷り通る元祖とも言うべきは雇用や経済分野でしょうか。とりわけ近年は、雇用の問題から何とかして雇用主を免罪すべく、「雇用主以外の何か」に原因を求める言説が盛んに称揚されてきました。超・買い手市場の元で主導権を握っているのは誰なのか、人事権を有しているのはどこなのか、最も影響力を行使しうる立場にいるのが誰なのかは考えるまでもなさそうですが、そこは何とかして守りたいものがあるのでしょう。自身が「雇われる側」の人間であっても、「雇う側」の目線で物事を語ることで、エグゼクティヴ気分に浸っている人も多いように見えますし。


「就活負け組」はコミュニケーション能力が欠如している(週刊プレイボーイ)

8月4日、今春に大学を卒業した約55万人のうち、およそ5人にひとりにあたる10万人以上が進学も就職もしていない「進路未定者」であることが、文部科学省が公表した学校基本調査でわかった。
 
人材コンサルタントの常見陽平氏によると、こうした状況のなか、今年は深刻なある傾向が見られるという。それが学生たちの“就活格差”。常見氏はこう説明する。
 
「内定をいくつも取る“内定長者”の学生と、まったく内定を取れない“無い内定”の学生、その2極化がますます進んでいるのです。環境の変化により、企業はますます厳選採用をしていて、実際、求めている人材のレベルも上がっています。でも、企業が欲しがる学生のパターンなんてどこも似たり寄ったり。だから、一部の学生に内定が集中してしまうのです」
 
その割合は、勝ち組が2~3割で、負け組が7~8割という。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏も、学生の格差拡大の傾向が年々強まっているとうなずく。
 
「結局、どんな業界も学生に求めるのは『机を並べて一緒に仕事ができそうか』とか『マジメに働いてくれそうか』といった点。ひと言で表すなら『コミュニケーション能力がある学生』ということ。でも、厳しいことを言わせてもらえば、今の学生の多くはこれがほとんど崩壊しています」

 雇用問題を巡る疑わしい主張の一つに「ミスマッチ」論があります。就職難の原因は、採用する側と就職する側のミスマッチが問題なのだと、まことしやかに語られているわけですが、果たして本当にそうなのでしょうか? もしブラック企業と「ホワイト」企業があって、学生側にもブラック企業に就職したい人もいればホワイト企業に就職したい人もいる、しかるにブラックを望みながらホワイトにしか出会えない学生や、反対にホワイトを望みながらブラックにしか出会えない学生が多数いるというのなら、それは確かにミスマッチの問題と言えます。一方で学生の大半が「ホワイト」企業を望んでいるのに求人を出しているのはブラック企業ばかりだとすれば、それをミスマッチと呼ぶことは出来ないはずです。

 非正規雇用を望む人もいる、と真顔で言い張る人もいます。それはまぁ人それぞれなのですけれど、実際の需要と供給の多寡を無視すべきではないでしょう。たとえば8割の就業希望者が「年金受給年齢まで働ける仕事」を必要とし、残る2割が「一時的な仕事」を必要としているとして、この場合は確かに非正規雇用を望む人もいるには違いありません。しかし求人がそれに釣り合うかどうかは別問題で、求人の6割が「一時的な仕事」で、「年金受給年齢まで働ける仕事」が4割しかなかったとすれば、必然的に「年金受給年齢まで働ける仕事」を巡る熾烈な争いが発生するわけです。その分だけ「一時的な仕事」には空きが出ますけれど、この「空き」に「年金受給年齢まで働ける仕事」を望む人を当てはめることを以て「ミスマッチの解消」などと考えているのなら、欺瞞もいいところですよね。

 あまり鵜呑みにすべきではない人々の語ることではありますが、「内定をいくつも取る“内定長者”の学生と、まったく内定を取れない“無い内定”の学生、その2極化がますます進んでいる」「企業が欲しがる学生のパターンなんてどこも似たり寄ったり。だから、一部の学生に内定が集中してしまう」「どんな業界も学生に求めるのは『机を並べて一緒に仕事ができそうか』とか『マジメに働いてくれそうか』といった点。ひと言で表すなら『コミュニケーション能力がある学生』ということ」だそうです。この辺は私も同意せざるを得ないところで、結局のところ採用側が欲しがる人材はどこも変わらないわけです。どこでも「コミュニケーション能力」の一言に集約されてしまう、同じタイプの人材しか必要とされていないのです。

 これがもし、企業側で「コミュニケーション能力の高い人」だけでなく「コミュニケーション能力の低い人」のニーズもあるのなら、ミスマッチ云々も成り立つのかも知れません。コミュ力の高い学生をコミュ力の高い学生を求める企業へ、コミュ力の低い学生をコミュ力の低い学生を求める企業に引き当てていけば、まぁミスマッチの解消と言えないことはないでしょう。しかるに、どこの企業もコミュニケーション能力の高さを追い求めているのなら、就職難の原因となっているのがミスマッチなどでないことは明らかです。主導権を握っている側が多様性を失っている以上、マッチングによって解決できる問題などたかが知れています。

 こちらは日経新聞からの切り抜きですが、新入社員の今と昔の姿が描かれています。企業側の選別基準が十数年で随分と変化してきたことが一目でわかります。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれたほんの十数年前は、日本でも多様性を認める形で採用が行われてきたはずなのに、今やスーツの色から髪型に靴まで、規格に合わせた人だけが採用される時代になってしまったようです。少しでも規格から外れた人には機会がない、コミュニケーション能力という統一規格の基準を満たさなければどの企業からも歓迎されない、そういう状況に拍車が掛かるばかりであるとしたら、いよいよ以てミスマッチ云々などと寝言を抜かしている場合ではないと思います。

 

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17 コメント

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長いですw、今日は (やすお)
2011-08-15 17:48:00
コミュニケーション能力は確かに耳の痛いところで、自分は10代の頃から2chなんかのオフ会に出てたから人見知りの面では、overcome出来たけどいまだに相手の求めるニーズが分からなくなったりはしますね。
企業を研究していていても抽象的な文言しか書いてなかったりとか・・・
「インターネット事業」とか「ケイタイ事業」とか言われてもそこの何をやってるのかが分からなくなったり。

とにかく面接官が一体何を求めてるのかがやっぱり分からなくなったりはしますね。難しく考えると。(下手なこと言えば「場を壊してしまう」など。
加えて、自分なんかはしばらく引きこもってたからなおさらマイナスになるでしょう。
だから名ばかりだけど職業訓練所に行くことになってるんですが、どうだか・・・。
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Unknown (北海のヒグマ)
2011-08-15 22:57:54
86年と言えば、浪人生の時代です。歳がばれちゃいますね。私鉄駅には、連絡用の黒板なんかあったりしていた時代です。
自分はバブル時代の就職ですが、1年半で退職し、その後30前までまともな職に就いていませんでしたが、今は百姓として生活しています。実家は農家ではありません。
金銭的には決して楽ではありませんが、物事考え方次第だと思いますけど。周りを気にしないで、自分はどうやって生きていきたいのか、それを考えないで周りばかり見ても、いずれ疲れちゃうと思いますけど。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-08-15 23:23:05
>やすおさん

 私も他人のことは言えませんけれど、「同好の士」とは話せても、面接官など何の接点もない人に調子を合わせるのが苦手な人は多いと思うんですよね。しかるに、その辺を上手く取り繕って気の利いた人間を装わないと就業機会は遠のくばかりですから厳しいところです。

>北海のヒグマさん

 まぁ考え方次第で乗り切れる人もいるのは認めるところですが、ただそれを周りに進めるのは酷かなとも思います。とかく道徳家は経済的な豊かさを追うなと説きますけれど、貧乏暮らしがイヤな人だっているのですから。清く貧しい生き方が幅を利かせるような時代であっては欲しくないです。
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Unknown ()
2011-08-16 01:19:01
そもそも昨今よく聞く「コミュニケーション能力」なるものが本当の意味で他者とのコミュニケーションを円滑に行える能力のことを指しているのか非常に疑わしいですよね。

「『机を並べて一緒に仕事ができそうか』とか『マジメに働いてくれそうか』」といった表現も、単に『既に出来上がっている空気を壊さないとか、『会社側の意図する通りに行動してくれる』ということを言い換えてるだけではないですかね。他者とのコミュニケーションの能力が著しく高かったりすると、その場の空気を自分で新たに作ってしまうこともできるでしょうが、そういう人材はむしろ求められてはいないでしょうし。

で、これで企業側がつねに新入社員に満足してるのであれば(企業側にとっては)ある意味では成功ではあるのでしょうが、結局のところ毎度毎度企業側からも「今の新入社員は・・・」と愚痴が出るのですよね。そしてその中には「自分で考えて動こうとしない」「個性がない」という自分達で摘んでしまった能力を求める声も少なくなかったりしますし。その結果として企業が採用基準を変えればいいのでしょうが、企業は企業で(就職コンサル関連も)その原因を学生だけに求めるので何も変わらない、そういう状態が続いている印象がありますね。
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Unknown (元大阪府民からの伝言)
2011-08-16 01:29:04
しばらくぶりです。

さて、86年入社というと、85年内定組。就職バブルがまだ始まっていない頃です。
なんせ85年秋にプラザ合意(のちのバブルの引き金になったと言われる)がなされたばかりですから。
男女雇用均等法も確か86年4月施行ですから、前年内定のこの世代にはあまり周知されていませんでした。
バブルでもなく氷河期でもなく、就職が「普通」だった頃の最後の世代がここなんです。
個性があったというよりは、当時は就職がまだ一大イベントにはならず、それに伴うグッズ(スーツ、ネクタイ、バッグなど)も大商戦を展開しなかったので、服装も人それぞれにならざるを得なかっただけなんだと思います。
「会社訪問にはこの髪形服装が定番」みたいな形で大騒ぎする風潮がなければ、右へならえをしようにも、やりようがありませんから。
特に女性は四年制大学卒業者がまだ今ほど多くなかった時期ですし、なおさらそうだったかと。
男の場合、スーツとネクタイ、靴まではまあ大体似たようなものですが、カバンなんかは結構みないい加減でしたね。
どんなのを持っていけばいいやらわからんのですから。

新入社員の服装や髪形にある種大きな変化がみられたのは、これより大体2~3年後位、就職バブルが到来した頃だったと記憶しています。
個性云々はともかく、一様にスーツの着こなしが良くなったなあなどと感じたものです。
今にして思えばこの頃からでしょうね、就職が一大イベントと化したのは。

就職バブルより前は、個性という積極性のある言葉よりむしろ、「素」といったほうが近いと感じます。
就職活動に関しては今よりのんびりしていた面もあったかもしれませんが、正社員全体としての待遇が良かったかというと決してそうでもない時代でしたね。
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買い手の暴走 (ヘタレ一代)
2011-08-16 09:02:08
はじめまして、就職活動中の院生です。駄文コメント失礼します。
コミュニケーション能力不足は私も痛感していますが、それを差し引いても昨今の学生に求めるものが異常な物になっているきがします。
どの就職本か忘れてしまったのですが、仕事のできるコミュニケーション能力のある人間の例として、書類作成が例に挙げられていましたが、そこでは書類の中身より上司にいわれなくてもどの会議その書類を使うかを調べることや、さらにその会議場にその書類を持っていって準備できることが優秀であるとされていました。、採用試験時に単純作業させたときにこういう事が出来る人間が通るんだとまでかかれ、ここまできたら奴隷力のある奴が通ると書いたほうが話が早いのではと思いました。
長文失礼しました。
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下手な大学よりも専門学校 (小市民)
2011-08-16 10:46:11
企業が画一的な人材を求めているなら、それに則したものを身につけるには、それに則した専門学校へ行く方が良いように思うが。
そこそこ有名な大学だと、少々企画に外れていても何とかなるのではないか。でもそうでなければ企業の求める人材になるためには、それを熟知した専門学校が一番かなと思ってしまうがね。
ま、これが「小市民」的発想なんですが。
ただ、根本的には今の「グローバル」化と市場主義的な社会構造を変革する様な運動を、学生や若い人たちが立ち上がらないと駄目だろうね。「雇用を保障せよ」「生活を保障せよ」とね。これ憲法で保障された権利なんだけど、くだらない権利は「立派」に主張するが、肝心要の権利は「自己責任」なんて言葉でごまかされているから、こんな事になってきたのじゃないか。
と思う今日この頃でした。
(すいません最後愚痴になりました。)
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Unknown (田沼意次)
2011-08-16 11:25:24
それでもミスマッチはあると思いますよ。大卒者、大学院卒業者が増えて、多くの学生が、トレンディドラマで出てくるようなオフィスでのきれいなホワイトカラー的な仕事を志望します。一方で、世の中にはそんな仕事は多くありません。
ブラックでもホワイトでもない企業があまたあり、正規とも非正規とも分類できないような、グレーな雇用形態もあまたあります。そういう多種多様な条件の中から、自分の労働力の価値として売れる範囲を見極め、譲れない自分の希望条件を考え抜き、高望みしたり妥協したりしながら、選択していくのだと思います。
そもそも「コミュ力」などというものは最低条件であって、企業が求めているのはそれ+αです。ところが近頃厄介なのは、最低条件さえクリアできない学生が多いから、せめてそれだけでもあれば、と企業の側が妥協した結果です。それを基準が画一的、と断罪するのは話が違うように感じます。
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Unknown (タッチ)
2011-08-16 11:57:09
興味深い内容でした。
私はバブル世代に就職したものです。当時は就職する側が何をしていてもほぼ採用できた、というとんでもない時代でしたね(恥ずかしながら私は1社落ちましたが)。だから相手(企業側)が何を求めているのかなんて、考える必要もなかった。だから入社式もそこそこ自由だったのでしょう。人事担当を含む私の周りも、今の若い子たちはみんな同じで、特徴がないんだよな、とよく耳にするのですが、そういうのをこの20年間大人や企業が求めていたのもまた事実なんだと思います。
最近になって、どうもそういうことではいけない、となってきているようで、当社も当社以外からも「コミュニケーション1本」だけで選択するようなことは徐々にですけど減ってきそうな雰囲気もあります。一般論ない件ですが、若い人には、周りの情報に踊らされずに自分をアピールすることをお願いしたいです。ちなみに今最も求められる人は、世界へ向けて後ろ向きにならない人です。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-08-16 14:51:46
>毛さん

 採用してからグダグダ文句が出てくるにも関わらず、採用する側やコンサルの類は学生側に難癖を付けるばかりですからね。そういう人を選んで採用した結果が今に至るのに、自分で選んだ相手に文句を付ける、この無反省ぶりが変わらないとどうしようもなさそうです。

>元大阪府民からの伝言さん

 私はいわゆる氷河期世代ですが、その当時でも昨今のようなスーツの色から髪型まで何もかも統一されてはいませんでしたね。その傾向は始まりつつありましたが。そもそも本来であれば「素」こそ人の個性のはずです。「素」ではなくアピールするものとして「個性」が捉えられているところに何かの誤りがあるような気がします。

>ヘタレ一代さん

 ある意味でコミュニケーション能力とは「気が利くか」というところに集約される気がしますね。相手に言われずとも、気を利かせて先に行動できるかどうか、こんな能力ばかり重視していけば「上」の人間は気持ちよく仕事が出来るのかも知れませんけれど……

>小市民さん

 その辺の思い違いを見越して、就職専門学校が乱立しているのではないでしょうか。企業が求めるコミュニケーション能力という名の「就職力」を身につけるための、仕事には全く役に立たない専門学校が、それこそ大学との提携まで始めているわけです。その辺の無意味さを、まず考えてみるべきでしょうね。

>田沼意次さん

 それはコンサルの類が言うミスマッチとは意味が違いますし、コミュ力は最低条件と言い放ちますが、その採用側が求めるコミュ力なるものを有した人間などそう多くありません。それこそ新卒者がホワイトカラーの仕事を望む以上に「コミュ力などというものは最低条件」と考えるのは現状を無視した高望みです。しかるに採用側の高望みに田沼意次さんは全く気づいていない、その傲慢さこそが改められるべきものです。

>タッチさん

 とはいえ、この就職難の中では学生側がリスクを犯すのは何かと厳しいと思うのですよね。失敗して新卒の時期を逃したら後がない、チャンスが少ない中で何とか採用されようとすると、どうしても「無難」に、減点されないように振る舞うことを心掛けてしまうわけです。強い立場にある採用側が動かないと、この状況を変えるのは難しそうです。
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