非国民通信

ノーモア・コイズミ

阿久根市は日本の未来を暗示していると思う

2010-01-06 11:17:52 | ニュース

「従わない職員 辞めろ」 阿久根市長が年頭の訓示(西日本新聞)

 障害者への差別的なブログ記載などで昨年物議を醸した鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は4日、仕事始め式で「今年は私のやり方を加速させる。命令に従わない職員は辞めてもらう」と述べ、対立する市職員労働組合をけん制した。1日付の自身のブログにも「市政に革命をおこします。これまでのものは児戯(じぎ)。血も涙も伴います」と記載。今年も市政運営上の問題は続きそうだ。

 竹原市長は昨年12月、市賞罰審査委員会のメンバー4人を市長派の市議などで固め、職員に重い処分を科す態勢を整えたばかり。

 関係者によると、市長は仕事始め式で、1日付の職員の定期昇給を今回凍結したことについても「不当として訴訟を起こすような職員はいらない」と発言。民主党がインターネットの選挙利用を解禁する方針との報道に触れて「国が私をまねする。私のやり方が全国に広がれば、自治体は助かる」と述べたという。

 竹原市長は、昨年末の仕事納め式に続いて仕事始め式もテレビ局には取材を許可し、新聞社の取材は拒否した。

 この人はテレビは好きだけれど新聞は嫌いなんでしょうか、ともあれ相変わらずツッコミどころが多すぎて、どこから手を付けて良いのやら迷う人です。ただこちらでも書いたことですけれど、冗談抜きにこの阿久根市は日本の最先端、政治主導の到達点を示しているようにも思います。曰く「国が私をまねする」とのことで、それは大言壮語に過ぎる部分はあるにせよ、小泉自民から鳩山民主へと引き継がれたカイカク路線を突き詰めていった結果がこの阿久根の無法者であり、ことによると日本の未来を示唆するもののような気がします。

 差別発言の方はそれほど急速には広まらないかも知れませんが(じわじわ拡大する可能性は否定できません)、その根底となる弱者切り捨ての発想は政治の常識とかして久しいですし、職員に対する態度となるやなおさらです。それは決して竹原市長のオリジナルではなく、日本の政治にありがちな傾向を徹底的に先鋭化していった先と言えるでしょう。「命令に従わない職員は辞めてもらう」云々は、命令通りに国歌を歌わない教員をクビにしたり、あるいは「政府が決めたことに役人が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ。」と言い放った小沢一郎の路線の延長線上にあるのですから。そうした方向性もまた小沢一郎にしてみれば「政治主導」ということですが、この政治主導すなわち「官僚(職員)は政治家に従え、異論は許さない」とする考え方と阿久根市で行われているものは全くの同質です。ただ「程度」が違うだけであり、不法にクビを切るなどの強硬手段に訴えるか、あるいは恫喝に止めるかの違いしかなく、向いている方向は一緒なのです。そうした面では将来的に国が竹原市長を「まね」する可能性は決して否定できるものではないでしょう。一歩アクセルを踏み込みさえすれば日本全体が阿久根化します。

 さて竹原市長、「市政に革命をおこします。これまでのものは児戯。血も涙も伴います」とのことで、これも「痛みを伴う構造改革」と方向性の面では大差ないと思います。ただ例によって「程度」が違うわけです。「改革」が「革命」に、「痛み」が「血」と「涙」に置き換えられました。根本的なところは改革を口実に「痛み」を正当化しようとしたのと同様で、革命と称して犠牲を当然のことに見せかけようとするのは二番煎じとすら言えませんけれど、用いられる用語が随分と過激になったようです。昨今の主流であるポピュリズム系の政治家の大半は、社会主義「国」を彷彿とさせる「革命」という言葉を肯定的な意味合いで使うことはないわけですが、阿久根市ではついに一線を越えてしまった印象を受けます。

 上述の通り竹原市長の路線は既存の流行の延長線上にあるわけで、今や彼のような存在は決して異端ではないでしょう。構造改革や政治主導をちょっとばかり過激にして見せただけであり、むしろ竹原市長が日本の政治の流行を真似ていると見ることも可能です。ただ市長という責任ある立場の人間がここまで急進的に振る舞うことは珍しいとも言えます。本来であれば行政の長が不法行為を働こうとすれば何らかのブレーキがかかるものですが、しかるにブレーキが壊れつつあるのが日本なのかも知れません。阿久根の場合は一度は議会がブレーキ役を果たして市長に不信任を突きつけたわけですが、その後の市長選で竹原市長が再選されてしまった、議会はブレーキを踏んだのに住民がアクセルを踏み込んだことで暴走が可能になってしまったのですから。

 小沢一郎の「政府が決めたことに役人が口を挟むべきではない。辞めてから言うべきだ。」云々はもっと問題視されなければならないもののはずですが、どうしても民主党閣僚の発言には世間も甘いところもあり、せいぜいが極右層からの的外れな非難があるくらいです。同様に世間からはスルーされた問題発言として千葉法相の「検察の行き過ぎがあれば指揮権の発動~」があり、これも本来であれば大いに危険視されてしかるべきです(参考)。「一元化」と称して立法府が蔑ろにされている今こそ三権分立の危機なのであり、司法までが行政の軍門に下るとなれば、いったい誰がブレーキ役を務めるのでしょうか? 阿久根市の場合も、最後に残された砦が司法です。議会は「民意」の前に粉砕され、民意を後ろ盾とした行政が暴走する中、最後の歯止めは機能するのでしょうか。ここで裁判所が竹原市長を止められないようであれば……

 

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10 コメント

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Unknown (ポール)
2010-01-06 20:33:50
他の方がすでに触れておられるでしょうが、ちょうどこんなニュースも出ていますね:

"阿久根市長、防災無線使いマスコミ批判"
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100106-OYT1T00125.htm

プリミティブな陰謀論にまみれた市長のこの奇行に関しては、普段は何かとアレなmixiのニュース欄などでも擁護する人はさすがにほとんどいないようですが、これにしても要はポピュリズムの匙加減があからさまに「急進的」すぎてそれが単にネタとして目立ってしまったから(ここがポイント)非難されているだけであって、必ずしもこの市長の根本にあるものが批判されている訳ではないのではないでしょうか。
今の日本なら、同じような事を別のポピュリストがもう少し「穏便に」行っていれば案外すんなりと受け入れられてしまっていたのかも知れません。

いくらなんでも誰かが待ったを掛けるだろうと思って眺めていたが実は誰もいなかった、ということは筆舌に尽くしがたい恐怖です。
今回市長が飛ばしたデムパにしても結局はお咎めはないようです:
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010010600795

翻って国レベルでも、最高裁がぶっ壊れて司法はもう既に死んでしまいましたし、となると一体誰が「待った」を掛けるのでしょうか。
個人に権力が集中する危険 (名古屋人)
2010-01-06 21:54:18
地方自治体の首長というのは国会議員よりも厄介な存在です。それは絶対的な権力が集中するからです。
橋下、河村、石原、森田などをみても、ポピュリズムで暴走した首長を止める者が誰もいない。

今までの国会議員なら、暴走政治家に制止をかけるお目付役がいたのですが、そうした存在を「守旧派」と斬って捨ててしまい、大衆迎合こそが民主主義という、まさに「衆愚政治」になだれをうつ現象が起き始めています。
実は民主党が今やろうとしていることもまさにこれに近く、議員立法や憲法判断など「民意」という名のブレーキの利かないアクセルだけを導入しようとしています。
まさに「政治家独裁」の恐怖政治といっていいでしょう。政治家無謬論をぶつつもりなんでしょうか?

実は私の地元、名古屋のお隣、岐阜市もトンデモ首長により大変な騒動が起きました。
岐阜市は現市長により、公立高校を潰して私立を誘致しようとしたり(未遂)、公共交通機関をを次々と廃止したりのデタラメ政治が進められています。
wikipediaなどにも書かれていますので、詳しくはそれを参考にして下さい。

阿久根市長のとげとげしいコメント読むと、まるで北朝鮮の報道のように思えてないりません。
Unknown (ヒイロ)
2010-01-06 22:19:56
「市民」という盾を手に入れても、やって良いこととそうでないことの区別ができていないですね。

「石原とか橋下に追いつけ追い越せを目指しているんですか(以下略)」ということは言いたいです。
言うべきではないのかもしれませんが、阿久根市民はネトウヨにバカにされる民主支持層と同類項と見なされると思います。「信じて疑わないこと」は美徳かもしれませんが、政治とかを考えるときには毒になることを忘れているとさえ思います。

竹原が政治の舞台から去るには国政選挙に出馬して既成政党の候補者に負けることが薬になるかもしれませんが、その前に政党政治が機能不全にならなければ、と危惧します。
Unknown (非国民通信管理人)
2010-01-06 22:59:48
>ポールさん

 方向性としては嫌われるものではないのでしょうけれど、防災無線の件は流石に急進的すぎると感じた人の方が多そうですね。でも「やり方」までは非難されても「方向性」にまでは批判が及ばないであろうだけに、この程度では足止めにもならないでしょうし。しかも総務省の通信局がお墨付きを与えてしまったわけですか……こうなるとなおさら止める人がいなくなりそうです。

>名古屋人さん

 守旧派だの抵抗勢力だの、あるいは族議員だのと言われてブレーキ役を務めてきたタイプが次々と放逐されていったわけですからね。その辺は民主党政権になっても変わらないどころか、再加速されつつあるくらいですし。さらには地方分権云々で自治体首長が中央政府から制止される事態も減ると考えると、この傾向は進むばかりということに……

>ヒイロさん

 どんなことであろうと「民意」や「有権者の支持」があれば正当化されてしまう昨今ですから。竹原が選挙で落ちるようであればそれが最良なのですけれど、既成政党を敵に回せばそれこそ「無党派」として人気が高まりそうですし。そうなる前に既成政党が竹原に擦り寄ることもあるかも知れません。自民と民主がこぞって橋下に擦り寄ったように!
Unknown (Motorradfahrer)
2010-01-07 00:27:41
いつも読ませていただいております。
役に立たないお役人(本当か?というのは別として)を粛清してくれるなら、差別発言等々問題があっても市長様として応援するという住民の感覚が怖いですね。
こんなやり方をしても実際には行政が混乱するばかりで、住民の生活は何一つ良くならない
気もしますが、ここの市民の皆様はどんな未来をお望みなんでしょう。
地方自治のデメリットですね (ふみたけ)
2010-01-07 01:10:21
個人的には、地方自治が誤った方向に突き進んだ一つの例として、阿久根の実態を捉えるべきかなと思うところです。
度の過ぎた権力者への個人崇拝が本来あるべきチェックアンドバランスを失わせ、迎合主義を助長するなら、その末路は古今東西歴史を問わず「悲惨」の一言しかありません。
本当の実態なり住民の意図はともかく、一番恐ろしいのはこの状況が「(形式上)民主的に選ばれている」点にある事は留意すべきでしょう。
あのナチスだって元は民主政権だった訳で。
ちなみに、阿久根のアレな実態があるからと言って検察に狙われている?感のある小沢はまだマシなんて書く気はありませんよ、念のため。(苦笑)
なんというか… (た~ん)
2010-01-07 02:17:59
第二次大戦前のドイツや日本を彷彿とさせる出来事というか現象だよね。

不景気ってのは、こうもファシズム的なものを呼び込む質のものなのかぁと改めて…。

リヴァイアサン化する政治家ってやつの見本市が、今まさに目の前で開かれてる感じ。

こんなんじゃ益々不景気になるわなぁ…。
(;´д`)


こういう時指導者ってのは、
下手に締め付けずに、どちらかというと寛容や許容の精神で開放的で開かれたムードを作る方が良いと思うんだけどな。

こういう閉鎖的な、内向きの独りよがり自己満足政治なんかやってたら、益々世の中冷えきってしまうだろうに…。

つか、こんなんじゃ公務員のなり手がいなくなるんじゃないのかな?
優秀な人材は全て民間に逃げちゃうんじゃ…。
こんな流れが続いてくと、公共サービスの質もどんどん低下していってしまいそうだよなぁ。

Unknown (非国民通信管理人)
2010-01-07 11:54:08
>Motorradfahrerさん

 今や公務員こそが絶対悪ですから、公務員叩きさえしっかりやっておけば「正義」の側として扱われてしまうんですよね。そんなことを続けても自分たちの首を絞めるだけなのですが、住民の生活が悪くなればなるほど「もっと改革が必要だ」という方向に進むものなのかも知れません。

>ふみたけさん

 なんといっても「住民の支持」を後ろ盾にしているからこそ強く出ていられるわけですからね。権力者への個人崇拝は小泉支持層から民主党支持層にも引き継がれているだけに、阿久根で行われていることが全国に波及する可能性も否定できないでしょう。

>た~んさん

 本当の意味で「普通の」国でしたら不況脱出を探るもののはずですが、日本は自助努力の国だからでしょうかね。スケープゴートを作って内向きの支持を固め、自分の地位だけは固守しようとする、そうした政治家が主流ですから。誰もが国民の不満(偏見)を煽るばかりで、問題解決とは逆の方向を取ってばかりです。
民主主義の成れの果て (さら)
2010-01-08 02:35:24
民主主義は、権力を託せば自動的に効果を発揮する夢の制度ではなく、それを享受する民衆の政治的成熟度と権力監視にかかる不断の努力が無ければ暴走するとものであることをリアルタイムで表しているわかりやすい例だと思います。

公務員を首長に絶対服従の家来と位置付け、人事管理を首長の示威的判断に委ねてしまうことは猟官制であり、天皇の臣下と位置づけていた前時代的公務員制度そのものです。その恣意的運用による暴走の危険性から「全体の奉仕者」として現在の公務員制度が生まれ、首長が暴走しても市民サービスに影響が出ないよう制度変更の手続きや管理に縛りをかけ、公務員の身分を保証しているわけですが、昨今の公務員叩きは、成熟度の低い市民自ら制度的、人的公共財の破壊そのものを行っているわけです。

大阪府知事などが主張する地域主権などについても、この阿久根市長の行動を見ればその危険性がよく判るでしょう。実際に府知事は給料明細公表の時点でこの市長の事は支持しており、政策手法や方針について親和性を表しています。そしてそんな彼らがうらやましいと明言する政治制度が中国等の体制だったりするわけです。

かつての絶対的封建制度化の江戸時代でも素行の悪い藩主に対する最終手段として家臣らが「押し込め」る制度が残されていました。然るに行政制度主旨も司法判断も議会も全て無視する権力者が現れた現在、どの様に暴走を抑制するのでしょうか。

武家社会では結果責任に対し切腹する精神性がありましたが、現在の権力者は横浜市長の例を挙げるまでもなく、平気でトンずらする事に何の呵責もありません。現に地方分権、地域主権を主張する一派にその権力の抑制と責任構造について言及した痕跡もありませんから。

支えた民衆も簡単に事実経過を忘れ、元権力者の戯言に引っかかって責任追及する対象をすり替えてしまいますから。
Unknown (非国民通信管理人)
2010-01-08 14:28:18
>さらさん

 非民主的なやり方であれば、それに対する否定的評価も高まって相応の抑止力になるのでしょうけれど、昨今では民主的な方法に則って暴政を奮おうとする権力が多いですからね。猟官制と言えば民主党の持論みたいなところもありますし、その手のやり方が完全に昨今の流行であり主流となってしまいましたが、どこかでストップがかかるのか、それとも行き着くところまで言ってしまうのか……

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