非国民通信

ノーモア・コイズミ

財務省が言うなら間違いない

2017-05-14 22:17:54 | 雇用・経済

高等教育は「個人利益」 財務省、公費での無償化に慎重姿勢(ロイター)

[東京 10日 ロイター] - 財務省は10日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で、高等教育の無償化案に関する論点を示した。高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的だ。

(中略)

高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。

 

 さて政府自民党や大阪維新村が高等教育の無償化を言い出しているわけでして、それがなぜか改憲論の一節だったりするので奇妙な話ですが(教育無償化になぜ憲法の改正が必要かを説明できる人はいないでしょう)、総論としてはさておき各論として高等教育の無償化は望ましい話と言えます。しかるに、この高等教育の無償化案に関して財務省は「個人の私的利益」に繋がるとの理由で否定的な見解を示しているとか。財務省の観点では森友学園に国有地をタダ同然で払い下げるのは公共性に適っている一方、高等教育を無償化するのは私的利益のようです。

 まぁ、常に誤った判断を下すのが財務省ですから、財務省の主張の逆を行けば概ね間違いはない、誤りを避けられるというものです。財務省が「個人の私的利益」に繋がると説くからには、高等教育の無償化の公益性は疑う余地がないでしょう。財務省が反対することだからこそ、自信を持って推し進めるべきです。的中率が50%の予報は判断材料として使い物になりませんが、的中率0%の予報には信頼が置けます。財務省のお墨付きとして、公共のために高等教育の無償化を早期実現させることが望まれます。

 実際のところ、普通の国では国民の教育水準の向上は国家の各分野での競争力向上に繋がるものと考えられているのではないでしょうか。教育水準の低い人間ばかりの国と、教育水準の高い人が大半を占める国、文化面でも経済面でも、どっちが強い国であるかは明白です。国家を繁栄させたいのであれば、国内居住者の教育水準を引き上げていくのは不可欠なプロセスと言えます。ところが、普通でない国もある、世界経済の発展から取り残された異形のデフレ国家である日本には世界の常識が通用しないわけです。日本は自国民の教育水準が向上することを望まない人が幅を利かせる、ガラパゴス列島ですから。

 日本人は愛国心が強いので、高等教育修了後もそのまま日本で働こうとする人が圧倒的多数を占めるのですが、一方で日本の会社が求めるのは馬鹿の一つ覚えのコミュニケーション能力だったり、若さや出身大学のネームバリュー、体育会系の部活動の経験だったりします。世界で通用する人材になるための教育ならば大学にも可能なのかも知れませんけれど、日本で通用する人材になるために大学が出来る事って、いったい何なのでしょうか? 日本社会で活躍できる人間を輩出するために日本の大学が選んだ道は、就職予備校への道だったりもするわけです。

 例えば「履歴書を手書きする能力」や「面接で架空のエピソードを披露する能力」に関しては、日本人が世界一だと思います。しかし、こうした「日本で就職するために必要な能力」を教育したところで、日本の経済発展には何ら寄与しないのは言うまでもありません。結局のところ日本の会社が求めるのは高度な教育を受けた人材ではなく、安く若く従順な人でしかない、そうした状況下では高等教育も「他人に差を付けるための手段」にしかならない、社会の発展に繋がらないものになってしまうのでしょう。猫に小判、豚に真珠、日本の会社に知性と教養です。

 「高卒者と大学・大学院卒者では『生涯所得が6000─7000万円異なる』」というのは紛れもない現実として、ではそこに正当性はあるのか。大卒者の方が所得が多いのは、それだけ会社に利益をもたらす人材であるから、と言うのなら話は分かります。そして高等教育を受けた人材が会社に利益をもたらすのなら、高等教育の無償化により国民の教育水準が上昇すれば、それは国家全体の生産性の向上に繋がるはずです。一方で単純に学歴によって差別的な取り扱いをしているだけであれば、高等教育は社会の生産性の向上ではなく、「個人の私的利益」にしか繋がらないものとなるのでしょう。

 まぁ、労働者の教育水準を生産性に結びつけられる社会であれば、国民の教育は国家のためにもなる、しかし教育水準の向上を生産性向上に結びつけられない愚かな経営者の支配する社会では、財務省的な世界観が成り立ってしまうのかも知れません。そして我が国は――大学で学んできたことを企業から問われない社会です。国それぞれに独自の文化や風習、評価基準はありますけれど、日本のそれはどうでしょうね。日本が世界経済を牽引し続けているのなら日本のやり方が正しいと言えますけれど、反対に日本の経済的地位が沈下を続けているのなら、間違っているのがどちらかは考えるまでもありません。


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