石原慎太郎・東京都知事は18日の記者会見で、「居酒屋タクシー」問題について「運転手が冷えたものを置いたら、オレだったら飲んじゃうね。ついうっかり」と発言。体調不良で選考を欠席した芥川賞の受賞作、中国人の楊逸さんの「時が滲む朝」については「一種の風俗小説にすぎない」と批評した。
居酒屋タクシー問題では、都職員29人が07年度に延べ約300回、缶ビール提供を受けていたことを自己申告し、都は処分を検討中だ。
どうしてこうも全く無関係な2つのネタが同じ記事に載ることになったのか、その経緯に興味が湧きますが、ともあれ慎太郎さんが何やら述べていたようです。まずは今年の芥川賞受賞作を「一種の風俗小説にすぎない」と批評したとか。それを言うなら慎太郎さんの芥川受賞作なんて留保無しの純粋な風俗小説だったはずです。風俗小説であること自体が批判の理由になるなら、慎太郎さんには我が身を総括してもらわなきゃいけませんね。
ちなみに居酒屋タクシー問題については「オレだったら飲んじゃうね」と。これはまぁ、同意しましょう。私はビールは嫌いですが、まぁ差し出されたサービスを断るほど野暮じゃありません。実状にそぐわない規定を遵守して窮屈に振る舞うよりも、もうちょっと柔軟に行動した方が何かとプラスです。
大阪府の橋下徹知事が14日午後、公用車で府庁から大阪市北区のフィットネスクラブに行ったことがわかった。知事日程では「庁内執務」となっていたが、プライベートの行動だった。橋下知事は事実関係を認めたうえで「府民の判断に任せる」と話した。庁内からは「公私混同」(府幹部)との批判も出ている。
橋下知事によると、フィットネスクラブに行ったのは14日午後2時ごろ。午後5時にタクシーで府庁に戻ったという。この日は、人件費や私学助成の削減を盛り込んだ08年度予算案の審議が府議会委員会で始まったばかり。
で、西の人気者は執務時間中に公用車でフィットネスクラブに出かけたとか。これはよくありませんね、組織の私物化です。まぁ、下っ端が汗水垂らして働いている最中に会社の車で遊びに出かけるトップの姿は「民間では当たり前」なのかも知れませんが、やはり人の上に立つ人間としては無責任であり、恥じるべき行為です。
仕事がベルトコンベアで運ばれてくる職場ならいざ知らず、往々にして忙しい時期でも手の空く時間というのは発生するわけです。例えば営業で外回りの最中、次のアポイントまで時間が空いてしまったりとか、あるいは内勤でも、仕事が順調に滞りなく進むことで予想よりも早く仕事が片付くことがあります。そう言うときは空いた時間をどう過ごすべきでしょうか? 働いているフリをしてもイイですが、その時点でやるべきことはやっているのなら、まぁ自由に使っても文句は言いません、私はね。
しかし、仮に「空き時間」であったとしても、机にかじりついていること、汗水垂らして仕事に縛り付けられていることを、我々の社会は要求してきたはずです。どんな些細な気の緩みも許さない、身を粉にして働くことを当然と説き、僅かな役得ですらも見逃さず、国を挙げてのバッシングに走ってきたわけです。とりわけ、公務員に対しては。このロジックを一貫して適用するのならこの橋下知事の振る舞いもまた、国家レベルで審議されるべき大問題として扱われねばなりません(そもそも、会議開催中は「空き時間」とは言えないでしょう)。
参考、
神妙な顔をしないとね
ところが、ポータルのブログ検索やニュースサイトのコメント欄では橋下擁護一色です。同じことを公務員が行ったときには、どんな小さな瑕疵も許さないと息巻いていた連中が、「その程度のことで問題視するのはおかしい」と、いつもとは正反対の寛容さを披露しています。どうやら、我々の社会が嫌っているのは怠惰や公私混同ではなさそうです。そうであるならば、公務員と同様に橋下知事も非難されなくてはなりませんから。そうはならない理由は、我々の社会が嫌っているのは「公務員」そのものだからでしょうか。そして似たような咎を抱えていても「悪い公務員をやっつける正義のヒーロー」は無罪と。
似たような問題や不正、何らかのネガティヴな行為を犯した場合でも、非難される人と、そうでない人がいます。例えば給食費の未納者は道徳的に非難されますが、従業員の給与から天引きした厚生年金保険料を着服して納付を拒んだ経営者が人格的な非難を受けることはありません。給食費未納者は「経済的に貧しい親もいるが、高級車に乗っている人も~」と主観に基づいて語られますが、一方でネコババ経営者がこのように語られることはないのです(詳細はこちら)。同様に勤務時間中に仕事以外の行動をとったり、会社(自治体)の設備を私的に流用したり、こうした行為を咎められる人もいれば、擁護される人もいます。我々の社会が誰を嫌っており、誰に対して限りない優しさを発揮しているか、橋下知事を巡る論調はそれを浮き彫りにしているようです。
橋下氏の場合は研修先の先輩と「あんだけ職員の事言っておいて自分がそうするのはまずいだろう」と話し合ったりもしましたが、その一方で私は心の中で(でも今回は「日本の誇る道徳家」たちは彼のことを見逃すだろうな…)と思いました。事態はどうやらその通りになったようです。
でもそれは本来とは逆の姿のように思われます。普段であれば我々のような非国民(橋下氏には懐疑的)が「ちょっとサボるくらいいいではないか」と言い、一方で「日本の誇る道徳家」(橋下氏を支持)が「サボりを許すな!減棒だ!いやクビだ!」と言うように思われます。その差は一体どこに?
同じ職務怠慢でも、末端の公務員なら「クビにしろ!」人気のある知事なら「その程度のことで何が悪いの?」
――もういい加減にしていただきたい、と言うほかありません。
一見矛盾しているようですが、彼らにとっては極めて筋の通った姿勢――つまり「力の強い者は正義」ということなのでしょう。
一体日本人はいつからこんな情けない民族になってしまったのやら。ネオリベ政権になるまではココまでひどくなかった気がするのですが――まぁ昔からこんなものだったのかも知れませんが。
「孫子」と並び称される天才兵法家として「呉氏」という昔のえらく頭の良い天才軍師が居りました。
「呉氏」は将軍に任じられ、各戦場で次々と名策略を駆使してその名は天下に轟きました。
ある日、とある人が農村を歩いていると、老婆が泣き崩れておりました。
理由を尋ねると「一兵卒の弟の膿を呉将軍が口で吸いだしてくれたので泣いている」との事でした。
「天下に轟く大将軍がたかが一兵卒の膿を吸い出してくれたのだから、お前さんは感謝感激しこそすれ、悲しんで泣く事もあるまいに」と尋ねると、老婆はこういいました。
「同じ一兵卒である兄がかつて足が膿んだ時、将軍に膿を吸ってもらいました。兄はその事に感激し、戦場で将軍の為に喜んで死にました。今度は弟がまた将軍に膿を吸ってもらったのです。弟も将軍のために喜んで命を投げ出すでしょう。それが悲しくて仕方が無いのです」
海音寺潮五郎の小説「孫子」の話からですが、これらのエピソードを見るに明らかに器では無いようで>橋下知事
石原都知事の発言に関しては、「都のタクシーチケットを使ってなければ」一寸した人情話でほろりとさせる事もあるでしょうが、何せ非常にダークなネタもある程度思いつくワタクシと致しましてはウルセエこの馬鹿となってしまうのですが…
自身が風俗小説で受賞した身でありながら、風俗小説であることを批判材料にする、これでは通りませんよね、やはり受賞者が中国籍であることに苛立っているとしか。また一方ではサボりを許すなと息巻いている人々が橋下のサボりを擁護している、これも矛盾した態度ですが、嫌いな奴は許さないが、自分が認めた人間ならば許す、完全な好き嫌いによる評価ですね。
>ニュースコープさん
まぁ日本社会のダブルスタンダード(ダブルじゃ足りないかも?)が如実に表れる一件でもあります。そんな世論に一貫性を見出すとしたら(立場や社会的地位の)強いものは批判されるべきではない、社会的弱者はもっと縮こまって生きろと、そんな考えになのですよね。いつからこうなったのか、昔はどれほどだったのか、その辺は探ってみたいところでもあります。
>おさふねさん
呉氏のエピソード自体が美談の裏で犠牲を強いる指導者の姿を暗示しているように感じますが、橋下の場合はその美談の部分すらないですからね。まぁ虚飾がないとも言えますが、美談で覆い隠さず見にくい面を見せたとしても府民の支持が変わらない、エピソード中の老婆と違って先を見る目がないようです。う~ん。
まったく、石原知事は今回の小説といいコミックマーケットといい(後者の場合はそうでない場合もありますよとフォローしておきますが。)なぜ、自分はいかがわしい小説を書いておきながら、同じようなことをする人々を批難するのでしょうか。普通なら、理解を示すものだと思うのですがね。これも「○○を嫌っている割には言動が○○に近い」に入るんでしょうか。もし、石原知事が(風俗としか思えないような小説を書いていた)過去をなかったことにしたいとおっしゃるのでしたら、申し訳ありませんけど。
橋下知事のほうは、総合的にはかなりの問題行動ですが、「仕事に暇ができたら、後は何しようが勝手。」という考えだけは大切にしたいです。せめて、橋下知事を支持する人々が「偉大なる知事がやっているのだから、こうした発想や行動は問題はない。」と主張して欲しいのですが、こういう人たちに限って自分から、このようなことをやりたがらないですし、まして我々が「橋下知事のやることだから・・・」と宣言しても批難するでしょうね。橋下知事が批難されないなら、我々がやっても批難されない。そうであって欲しいです。
が、正直橋下のスポーツクラブの話などかわいいくらいで、最近でこそひところよりはおとなしくなりましたが、石原の問題発言などもひどいけど、それを許す世間の態度というのはもっとひどいと思います。「三国人発言」その他、とても通用するようなものではありませんが、結局これも、石原が国民的人気があるから許されているわけで。お話にもならないダブスタです。
日本の社会なんてそんなもんだという話になりますが、それにしてもね。恥を知れのレベルです。
社長がゴルフをするのとはレベルが違います。
是非はおくとして、民間企業での意志決定は、ゴルフ場や料亭など、
議事録を残さない会議で決まります。
民間の悪癖の1つかも知れません。
少なくとも、官はそれを良しとしないと言っていますから。
ただ、そういう目に見えないルールの中で仕事する以上、
とくに仕事をもらう立場には、選択の余地がありません。
(ゴルフや酒食は、気のおけない相手と行くからいいのであって、
そのフォーマットに従ったからそうなるわけでも無いのですが…)
今回の場合は、同じことを下っ端がやったらどうなるか、ということです。
橋下氏は、選挙による支持を請けていますから、彼を支持することは理解できます。
ただ、自分が支持している相手だからといって、そういうことまで擁護するのはどうかな?と。
結局、何をしたかではなく、誰がしたか、で判断する人が多いということです。
内容や行為でなく人物が判断の材料になる。
裏を返せば『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』と同じなのですが。
そういうことの積み重ねが、権力を持ったものの特権意識にもつながるし、
酒食の接待が力を持つ原因になっているのでしょう。
中国人が嫌いだから、ということも勿論ありえないと言っていました。
合わせて中国大使に会って「私は中国文化は好き!でも共産主義は嫌い!」と話したことをのべていました。
マスメディアが抽出した石原会見は、彼らの真実を捻じ曲げる体質が見事にあらわれています。
(クチが悪い、というのは当たっていますが)
橋下氏に関しても、一般の府職員と知事の立場を同列に扱うのは話が乱暴すぎると思います。
公務員と言っても性格がまったく異なりますから
これをダブルスタンダードとは呼ばないでしょう。
また彼に関する美談も様々に漏れ伝わってきています。
えらい人の足をひっぱればいいと思っているだけの大手メディアが紹介していないというだけのことです。
「このベースは貰ったんだけど、金持ちになればなるほど色々貰えるようになるんだ。不思議だよね。」
と語っていました。
橋本の頭もそういう社会と同じ仕組みで出来てるんでしょう。
選挙には必ず自民党から出るプロレスラーの皆さんも同じなのかと思うと残念でなりませんが。
あ、慎太郎さんはもう天然というか何というかコメントする気が起きませんでしたw。
府知事自らモラルハザードに貢献しているご時世じゃ、道徳心教育はやはり必要でしょう。小中学生じゃなくて府知事に。
大阪府の教育関係者には橋下知事がどんな環境で育ったのか、親御さんからどういう教育をされてきたのか、なんでこんなのになっちゃったのかをよく調べ、橋下知事を反面教師として活用していただきたいと思います。