『アンクル・トムの小屋』という小説があります。(まぁ、そればっかりでもないみたいですが)黒人奴隷の人生の一幕と殺されるまでを活写して、結果的に奴隷解放の流れを大いに盛り立てたとされる作品です。その一方で現在ですが、この主人公であるアンクル・トムの名は「白人に媚を売る黒人」という意味合いでも用いられます。作品の解釈には色々と意見があるにせよ、アンクル・トム自身が奴隷制に反旗を翻すことはなかったわけですから。
ここでスポットを当てたいのは作品そのものではなく、作品がいかに受容されてきたかです。『アンクル・トムの小屋』を読んで、そこに描かれた黒人奴隷の境遇に同情して、結果として奴隷解放を支持するに至った人もいれば、一方で奴隷制に対してあくまで従順なアンクル・トムへの苛立ちを感じる人もいます。黒人奴隷が自ら奴隷制を容認してどうする、と。アンクル・トムの死語、別の人物(白人)が奴隷解放のために立ち上がることで、作品そのものとしては奴隷制度への反対色を見せています。しかしアンクル・トムだけを見ると、黒人の口を借りて奴隷制を支持させているかにも見えるのでしょう。
さて、アンクル・トムと同様に評価の分かれる人がいます。フリーライダーの赤木智弘氏がそうですね。赤木智弘と言えば、かの残業代不払いを改めるよう勧告を受けたのに対し、残業代を支払う代わりに管理職手当を廃止したマクドナルドの非道を「当然」と言い切ってしまうような、そんなバリバリの財界視点に立つ方ですが、その一方では一部の左派から不思議な共感を勝ち得てもいます。より主張の重なる新自由主義の信奉者からではなく、主張の真っ向から対立する左派から?
そんな不思議な赤木さんの受容状況を考えていて、思い至ったのが冒頭の「アンクル・トム」です。あぁそうか、Uncle Tom's Cabinならぬ、Akagi Tomo's Cabinなんだろうな、と。アンクル・トムが奴隷制に反旗を翻すことがないのと同様に、赤木智弘も決して主人たる雇用主や権力に抗ったりはしません。作中人物なり著者なりは現行の主従関係を肯定するわけです。しかるに読者も同じ思いに至るかと言えばそうでもない、そこがおもしろいところでもあります。
『アンクル・トムの小屋』を読んだ一部の心優しい読者が黒人奴隷の境遇に悲憤を感じ、それをどうにかしなければならないと思ったように、赤木智弘の主張を読んだ読者の一部には、この手の若者を取り巻く社会環境に衝撃を受け、それをどうにかしなければならないと感じた人もいるはずです。それが氏の歓迎される理由の片面であり、その部分においては期待していても良いのかも知れません。
一方、「白人に媚を売る黒人」としてアンクル・トムを嫌う人もいます。聞くところによると黒人の間でそれは根強いとか。そりゃそうでしょうね、アンクル・トムが黒人の代表として祭り上げられる、黒人奴隷とは皆アンクル・トムのような人間である、すなわち奴隷として従順に主人に仕えるものであると、そう思われては堪ったものじゃありません。
私が赤木智弘を嫌いなのも、それと同じ理由です。私が憂慮するまでもなく、赤木氏をいわゆるロストジェネレーションの代表格のように扱うメディアや個人ブログその他も目立ってきました。同じ世代の非正規雇用従事者として、我々の世代が皆、赤木智弘のような人間だと思われたら堪ったものじゃないなぁ、と。それが多数派であるかも知れないにせよ、増大を続ける経営側の取り分(よほど頭の悪い人でもない限りは混同しないと思いますが、雇われ社長の個人所得の意味じゃありませんよ、念のため)をアンタッチャブルなものとして確保させた上で、その経営側が労働者に下賜した「おこぼれ」だけを原資に分配を説く、そんなアホらしい主張を我々の世代の共通の願いであるかのように勘違いされるとしたら、それこそ手に負えない自体なのです。黒人とはアンクル・トムのように奴隷の境遇に甘んじるものだと、そう思われたら当の黒人にとっては最悪でしょう?
奴隷制に反対する、その点では一致する人々が、アンクル・トムの受容を巡っては相反する意見を持つことがあったように、左派の間でも赤木智弘を巡っては全く反対の方向に評価が別れるのではないかな、と。
私は、労働者が一致団結して、経営陣に対して十分な生活を保証するように運動できることを望んでいるのですが、
あなたのような、貧困労働層に対する悪意をあらわにして、「貧困労働層は戦わないのだから自己責任」なんてことを単純に言う人間がいるかぎり、共闘は不可能ですね。残念です。
大変興味のある論題に考えたことを少しでも多くコメントさせていただきたいのですが、あいにく現在モバイル中で簡単にします。
国家のの役目の一つは所有の問題でしょう。しかし、ここではたと考えがストップします。
そもそも労働の賃金は労働者が労働市場で自らの労働力商品を
資本家に売り渡して彼の指揮下で働いて得たものという考えもあります。この労働賃金として労働者自身と彼の家族の再生産
(次に再び労働市場に商品として提供するための過程)に要する
個人所有を本当に所有と言い得るのかを疑問とする考えもあります。
ましてやそのような過程でささやかな量であろうとしても労働者が得た再生産費用を、前記のような過程を経ることもなくして資本家の支援を受けてまたまた再配分を要求されると言うことがあり得るのかということなんですね。
私はどうしてもこの労働者の再生産費用を資本性社会においての一般的な意味での所有財産やらの範疇としてとらえるのにはためらいみたいな意識があります。
ある意味では社会的なファシズム運動の存立基盤にはこのような問題が複雑に絡み合っているのではないでしょうか。
では。
彼の主張する「安定労働者」が「既得権益」を手放すことでワープア層が正規労働に就けたとしても新たなワープア層が生まれるだけで何の問題解決にもなりませんね(自分さえ良ければと言う身勝手なヤツなら論外ですが)、また正規労働に就けた彼らも何年か後には同じ運命を辿ることには思いが至らないんでしょうかね。
それ以前に経営側が一部新卒を除いて殆ど新たな正規労働者を雇用していない現実をどう見ているんでしょうか。既存の安定雇用者が既得権益を手放したとしてもワープア層が正規雇用される保証なんてどこにもありませんね。単に非正規雇用者の割合が増えるだけです。
ワークシェアリング制にして正規雇用を希望する労働者を全員雇用させるとか、せめて派遣と正規の同一労働同一賃金とかを訴えるのならまだしも、あまりに考え方が貧困ですわな。(それを訴えているかどうかは知りませんが、あくまでもこのブログでのやり取りを読む限りの話で)
社会保障費負担の増額も含めて法的規制をもってでも経営側の利潤追求姿勢を改めさせない限り何も変わらないでしょうね。
でないと仮に彼が彼の論法をもって正規雇用に就けたとしてもサビ残含めた過重な労働とリストラの恐怖に怯える毎日が待っているだけですね
にしても彼は己の置かれている状況の元凶も解らずに近視眼的にバイト先で知ったエラソーで幸せそうに見える正社員を恨みと嫉みで叩いているのか、解っているけど権力を叩くのはサヨクみたいでカッコ悪いから正社員を叩いているのか、はたまたネオリベが送り込んだ工作員なのか、何なんでしょうか。
件の方のブログ見てみましたが、論理破綻もはなはだしいですね。マグドナルドの店長の給料はフリーターからの搾取?意味不明。
しかもコメント承認どころかコメント欄がない。ほんとズルくて卑怯なヤツですねえ。
以前働いていた職場の労働組合は、賞与を上げることばかり必死で、正規雇用を増やす要望はかなりおざなりでした。そういう中で非正規で働いていると、やっぱり歪みますね、感情が。
正規が搾取をしてるなんて考えてはいませんが。でも、正規労働者ってわかりやすい敵としては設定しやすいんでしょうね。
待遇差別は人件費を抑えるだけじゃなくて、対立を煽って本当の敵を見えなくする作戦なんだと思います。私自身の感情を思えば、なかなか有効な作戦かなと。
もっと広い目で世界を見れるようになりたいです。
>少なくとも私では無いようです。
そうですか、トラックバックをくれた方の赤木さんを本物と仮定すると、ここでコメントされてる赤木さんは偽物でしょうかね。ご本人も見ているかと思われますので、なりすましは控えた方がよろしいですよ。
>私は、労働者が一致団結して、経営陣に対して十分な生活を保証するように運動できることを望んでいる
結構なことです、赤木さんが今までの主張を翻してこれを実践されれば、なおさら結構なことかと。
>貧困労働層は戦わないのだから自己責任
残念ながら、私の言っていないことに反論されても回答できません。上記の主張をされた誰か別の方
に直接、御意見された方がよろしいでしょう。
>単純な者さん
まぁ雇用側がどう言おうと理論上がどうあろうと、それでも労働側が自分の取り分を主張して、所有を増やしていかないと話にならないわけです。それが放棄されて国家なり体制なりの所有と自分の所有が曖昧になり、前者に収斂されていく、それが受け容れていくとファシズムにも繋がるのではないでしょうかね。
>kamaさん
一部で大人気の御方ですが、読解力の方は大いに疑問ですね。私は労使の問題で考える(雇う側と雇われる側で考える)わけですが、赤木氏はこれを自分と自分より恵まれている(と思われる)人にむりやり置き換えてしまう、それでは意味がまるっきり変わってしまうのですが、どうもこの錯誤を押し通そうとしているようです。派遣と正規の同一労働同一賃金を訴えるにしても、私であれば当然「高い方に合わせろ」と主張するわけですが、これが赤木氏となると「正規は既得権益者だ(だからそれを没収せよ)」になり、労使間の問題のはずが労働者間だけで完結した問題にされてしまう、それでは御用学者と一緒だろうに、と常々思うわけですね。
>ルナアさん
そんな君のために、コメント欄すら閉じているブログを探してきてあげたよ。きっとズルくて卑怯でかっこわるいよ!
つ http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/
>ぼんさん
まぁ彼は私と違って売れっ子で多忙でしょうから、コメント欄の件は理解してあげましょう。論理破綻の件は……まぁ読む人が読めばわかるので放っておきますか。
>contackさん
そもそも「既得権益」という言葉が広まった時点で政財界なり御用学者の勝利なんだと思います。「当然の取り分をまだ奪われていない人」と「当然の取り分を奪われた人」ぐらいに見た方がフェアだと思うのですが、何かもっと端的な言葉はないですかね?
私が赤木さんと怒りを共有しているとしたら、みんながみんな「か弱い庶民」であるかのような顔をすることです(億単位で稼いでいるはずのテレビ司会者まで「庶民」面しているわけです)。しかし、夫婦共働きで一千万の収入がある人と、一人暮らしで150万の年収しかない人が、同じ「か弱い庶民」であるはずがありません。収入だけではなく、世間の評価や視線となると、さらになおさらです。
そして加藤智大容疑者がそうであったように、後者に属している人たちが憎悪しているのは、そのような「か弱い庶民」の顔をしている中間層の人々なのです。なぜか?簡単です。彼らを差別する当事者だからです。実際、職場で非正規層に対して指導・命令するのはそうした中間層です。さらに非正規層に対して、「俺はああなりたくないな」という侮蔑的な視線を日々送っているのも、そうした中間層です。給料日になれば、その格差はさらにはっきりとしたものとなります。
みんながそうだとは言いませんが、そうした環境が広く存在していることは確かだと思います。おそらく、こうした「弱者のふりをしながら、実際はその下を差別・排除する」人々に対して赤木さんは憤っているのです。過剰なサービス残業で会社を訴える人が、時給700円代で30歳代男性をアルバイトで使って平気な顔でいるとしたら、それはやはり偽善だと思います。こうした偽善が偽善だとも認識されないような社会の仕組みを問題にしているのだと思います。
赤木さんの具体的な手法・結論に関しては全面的に反対です。ただあれは(特に左派ジャーナリズム向けの)挑発だと思っているので・・・。そういうと赤木は怒るでしょうが。
親方が兄弟子に命じて新弟子をリンチに掛けたとき、新弟子が親方を無視して兄弟子を恨むわけですね。近視眼的に見ればそうでしょう。そこで本当に自分に接している中間層に直に文句を言うのなら分かります、しかし、そうはせずに自分とは無関係な第三者である中間層を罵っているだけだとしたら八つ当たりでしかありません。
自分よりも恵まれている(と思う)のであれば「か弱い庶民」ではないと断ずる姿勢は疑問です。dobunekoさんの収入がどれほどかは知りませんが、dobunekoさんや加藤智大容疑者よりも酷い環境に置かれた人などいくらでもいます。そうした人を持ち出して「お前がか弱い庶民だなどというのは偽善だ」と言えばそれは愚かしいことですが、赤木さんの論理はそういうものです。「自分が一番かわいそう」じゃないと当然の権利を主張しちゃいけないのですかね?
その一方で経営者に対しては「経営者の置かれた状況も苦しく、余裕などない」と言って一切の批判を受け付けないダブルスタンダードを平然と振りかざすとしたら、それは呆れるほかないでしょう?
キリがないのでコメントは公開しません
目は通しましたので返答だけいたします
>赤木智弘さん
赤木さんが何かを理解することは期待しておりませんので、赤木さんを納得させるつもりは毛頭ございません。ただ私は赤木さんに乗せられてしまう人が増えることを懸念しているだけです。
小泉純一郎の口から、あるいは御用学者の口から、そして赤木さんの口から語られようと、経営側を免責して労働側にのみ一方的に犠牲を迫る主張に私が賛同することはありません。しかし経団連の誰かさんが言うなら疑うが、それと同じことを赤木さんが言った場合はそれに靡いてしまう、そんな傾向を危惧しているのです。それだけ知っておいてください。
>dobunekoさん
絶対に来ると確信しておりました。1回目のコメントへの返答が、2回目のコメントへの回答としてそのまま通用しますので、ご理解されないようでしたらあと5回くらい繰り返しお読み下さい。