非国民通信

ノーモア・コイズミ

往々にして天罰とは無辜の民を巻き込むものだけれど

2011-03-15 23:42:02 | ニュース

 さて東京周辺の被害は軽微であって、本来なら速やかに支援する側へ回るべきものと思われるのですが、どうにも震災当日より事態が悪化している部分も少なくないようです。東電の「実施してみなければどこが該当区域かわからない」という「計画」停電の杜撰さも混乱に余計な拍車をかけた一因ですし、加えて石橋を叩いて叩いて叩き続けるが如きJRのおかげで月曜日は「乗務員が出勤できない」ために私鉄や地下鉄の運行にまで支障が出る始末、いかに安全重視と言っても取り立てて地震を原因とする事故が起こっているわけでもない状況でこの対応は、少々バランスを欠いているような気がします。東京周辺など被災地ではない安全なところにいる住民の第一の責務は余計な混乱を広げないことにあるはずですが、相変わらずデマが飛び交ったり食料品などの買い占めが続く等々、必要以上に不安が煽られているところもあるでしょう。


松沢氏、東京都知事選の立候補を撤回(朝日新聞)

 東京都知事選に立候補を表明している松沢成文・神奈川県知事(52)は14日、都庁で会見を開き、出馬を撤回すると発表した。松沢氏は、引退の意向だった石原慎太郎都知事(78)の後継含みとされていたが、石原氏が4選出馬を決めたことで引いた形だ。

 会見には、石原氏と上田清司・埼玉県知事(62)も同席。冒頭、上田氏は首都圏の知事同士の争いを避けるため、石原、松沢両氏の調整を進めたと説明。松沢氏は「苦渋の決断だが、受け入れることにした」と述べた。

 首都圏連合の強化や受動喫煙防止条例制定など、松沢氏の公約は石原氏が引き継ぐという。松沢氏は「石原知事から協力してほしいと言われた。一歩下がって全面的に協力する」と話した。神奈川県知事選に立候補することは「できないと思う」と否定した。

 さて、それどころではない震災の影響で脇に追いやられた感もありますが、石原が東京都知事選に出馬を表明しました。それを受けて、石原路線の正当な後継者であった松沢が立候補を撤回したそうです。形式的には無所属を装ってきたとはいえ民主党出身の松沢が石原都政を継ぐとしたら、それはそれで長年にわたって石原都政を支えてきた民主党の行動からすればある意味で妥当な結果に思えないでもありませんでしたが、結果はこのようなことになったわけです。まぁ政策的に根本的な対立のない者同士が啀み合うとしたら、それこそ停滞する国政の再現です。もっともダメな連中同士がつぶし合ってくれた方が好ましかったような気もしますが――当面は推移を見守るほかありません。


「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事(朝日新聞)

 石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。

 発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

 石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している。

 さて、次期都知事最有力候補はこのように宣っているそうです。まぁ、この人の暴言はいつものことであって今さら驚くには値しません。ただ暴言をものともせず、石原に投票した人が東京の有権者の間で多数を占めているだけのことです。石原の暴言に憤る人は元から石原に投票する気などない人々であって、その反発が強まろうと票の数には影響がない、それが実態なのでしょう。自分に票を投じる人たちの怒りさえ買わなければ票は減らないわけです。枝野が「悪しき隣人」と罵った国ですら、この未曾有の大災害を前に神妙さと同情を示す中で、日本の首都で選び抜かれた行政の長はこの有様、日本に反省すべき点があるとしたら、こういう人の当選を許してしまうところであるように思います。

 日本人のアイデンティティーが「我欲」であるかどうかにも、大いに疑問があります。むしろ私には「禁欲」こそ日本のアイデンティティーであるような気がします。そしてこの「禁欲」は自らにではなく、隣人へと課してきたものであるように思われるのです。つまり誰もが抱くはずの自然な欲望を抑え込む、そして私欲を捨てて「公」のために尽くせと迫るのが日本のアイデンティティではないでしょうか。楽をしたい、自分の権利を守りたい、そういう隣人の「欲」を徹底的に否定してきたのが日本社会だったはずです。楽をしたいと願う従業員や職員もしくは同僚を悪罵し、自らの権利を守ろうとする人を既得権益と呼んで社会の敵に仕立て上げてきた、それが日本の姿であって、決して「我欲」とやらにまみれたものではなかった、反対に隣人の抱く「我欲」に対して異常なほど不寛容であり、隣人に対して無欲であることを強要してきたのが我々の社会であるように思います。これを「日本人の心のあか」と呼ぶことは可能かも知れませんが、それは断じて一部地域の人が被災することで洗い落とされるようなものではありません!

 

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6 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2011-03-15 23:59:31
正直「人面獣心」という言葉が頭をよぎりましたがそれは動物に失礼というものでしょう。

さて、
>石原の暴言に憤る人は元から石原に投票する気などない人々であって、その反発が強まろうと票の数には影響がない、それが実態なのでしょう。自分に票を投じる人たちの怒りさえ買わなければ票は減らないわけです。
この部分については前々から管理人さんが主張されてきた部分ではあるわけですけど、今回ばかりはもう少し希望的観測を抱きたい(支持票数の低下につながるということ)ものですね。

それから、別のブロガー氏がこの発言について「災害を自説のオカズにした」と非難していましたが私には非常に分かりやすく映る言葉でした。
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Unknown (紅葉修)
2011-03-16 06:09:34
作家なら『悪い奴ほどよく眠る』のは常識だと思っていたのですが。

「我欲」の強い方はこういう災害(や戦争)などを機にさらに焼け太るのが歴史の通例。
また、「我欲」の強い方は災害時などに最初から、あるいはすぐに安全を確保するものです。

そういうことは悪質な災害ビジネスや奴隷商法を取り締まってから言って下さいな。
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この件に関しては (凡人69号)
2011-03-16 22:08:19
やはりこの一言しかないでしょう。
「お前がいうな、慎太郎!」
我欲が服を着て、「裕次郎の兄」という立場を利用したマッチョポピュリズムによって国会議員と都知事を務めた石原慎太郎ですが、本人は自分の力だと思っているからタチが悪い。(まあ、何を言ってもムダなんでしょうが 呆)
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-03-16 23:44:43
>ノエルザブレイヴさん

 今回ばかりは石原を見限る人が増える、そう願いたいところです。もっとも石原を擁護する声も少なくないですし、投票日にはとっくに忘れている人も多い気がしてなりません。加えて、石原と同様に「我欲にまみれている、それは良くないことだ」という世界観は幅広く共有されているようにも思えますし。

>紅葉修さん >凡人69号さん

 ただ厳しいことを言うようですが、「アイツこそ我欲にまみれている、我欲は良くない」という点では石原と同じ土俵にいるように思います。しかし「○○したい」という自身の欲求は、日本人全般にしろ、当の石原にせよ、そう強くはないような気がします。そうではなく本文でも書きましたように、他人の欲を抑えつけようという意思が勝ってはいないでしょうか。「○○したい」ではなく「○○させたくない」――他人の欲を尊重できず、他人の欲を断罪したがる、こうした風潮こそ懸念されるべきものです。
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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2011-03-17 22:44:14
今回は「災害をネタにした」ことに怒っている人は多そうですが日本人に道徳的非難を加えたい人もまた少なくとも潜在的には多そうですよね。

あと、紅葉修さんや凡人69号さんへのコメントを見て思ったのですが例えば「被災地では多くの人が暴動も起こさず懸命に耐えていて(海外のメディアが驚くほどに)、被災を免れた人々もその人たちの苦しみ悲しみに応えるべく行動を起こそうとし現に行動している人も大勢いる。その人たちを捕まえて我欲とは何事か!」といった反論は管理人さんの考え方では「この反撃は無効です」ということになるのでしょうか。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-03-17 23:50:25
>ノエルザブレイヴさん

 被災地の人々だって、別に聖人君子でも何でもない普通の人々ですから。普通に欲もあるでしょう。

 とかく日本では「被害者(とりわけ犯罪被害者)」に無欲な道徳家であることを期待し、それに沿っている限り被害者感情に寄り添おうとする一方、「被害者」が不道徳で欲得ずくの存在と見なされれば、今度は被害者へバッシングが向かうわけです。被災者が無欲に見えているからと、その無欲な懸命さを賞賛することは、逆に被災者側が声高に何かを要求したときに「ごね得だ」とばかりにバッシングする動きへと連なるものです。

 いずれにせよ、被災者が「無欲」であると反論することは「(私の)欲望=悪」とする石原の土俵に乗るばかりであり、仮に「我欲」にまみれているのであれば天罰も致し方ないと言うことにもなるでしょう。むしろ反論は「無効」ではなく、石原への同意を示すものであるように思います。
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