非国民通信

ノーモア・コイズミ

だって私は学校が嫌いだから

2008-03-08 23:08:54 | 編集雑記・小ネタ

 文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室、という誤植なんだか早口言葉なんだかよく分からないところで、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案等に関する意見」を受け付けているそうです。なにやら色々なものが長いですね、しかし受付期間は3月16日まで、来週の日曜日までです。短いですね。

 国民の意見にも耳を傾けましたよ、と言うアリバイづくりにも見えますが、妙に息巻いているのは日本教育再生機構、「お手本?」を公表して支持者に似たような代物を投稿するよう呼びかけているようです。そんなことしなくても、政府与党だって十分アンタらと似たようなものですけれど……

 さて最もシンプルな方法は、廃止してしまうことでしょうか、学習指導要領を。あんなものは何の役にも立ちません。あれは現場の教員のためでも生徒のためでもなく、教育行政のためのものですから。とは言え存続に賛成か反対か、それを問われている段階ではなく、存続を前提にして何か意見を出すとなると難しいですね、どこから突っ込んでいいものやら。教育再生機構のようにいつも同じ仮想敵と戦っている人には、そうでもないのかも知れませんが。

 大学は好きなんですが、小中学校は嫌いだったわけです。会社が嫌いなのも、会社とは中学校じみたところだから、そんな気がします。小中学校は嫌いで、塾が好きでした。私にとって「母校」とは○○中学ではなく○○塾、そんな意識です。ですから、学校に関してはその存在が希薄であればあるほど好ましい、学校は可能な限り塾の邪魔にならないべきであると、私的な経験からすればそうなります。学校とは強いられた義務、勉強は塾でするもの、と。

 この辺は人それぞれの学校体験によって印象は異なるでしょうけれど、私の場合、塾に通うようになって初めて勉強する習慣が身についた、初めて勉強を教えてもらえるようになった、初めて勉強することのおもしろさが理解できた、そういう記憶が強いわけです。で、学校とは勉強する時間や塾に通う時間を奪う邪魔者でしかありませんでした。

 もちろん、地域によっては学校が教育の主役を務めているケースもあると思いますが、それでも自分の実体験から来る印象からは逃れられないところもあります。学校、とりわけ公立の小中学校に対して、どうしても肯定的な印象を持てないわけです。そうであるからには当然、何かを期待することも出来ない、公教育の役割を頭では理解できるけれども、それは心の奥底ではいまだに邪魔者のままです。

 そんなわけで、直感的な思いつきを言うなら、学校なんて廃止してしまえ、勉強は全て塾でやればいい、塾なら学校の半分の時間で倍のことが学べる、塾なら学校で起きる様々な問題とは無縁、教育の公平性を考えるなら、塾通いを公的予算で支援すべきだ、そんな風になるわけです。自分自身、頭ではあまり好ましくない意見だと思うのですが、さりとてこれ以外に本心があるわけでもないのです。

 塾には「勉強を教える」という明確な目標があり、シンプルにそれが追求されている一方で、学校教育は色々と余計なモノを強要する、むしろそこに重点が置かれているわけです。価値観とかモノの考え方とか、望ましい生き方とか道徳とか、問い続けなければいけないものに対して結論を押しつける、「社会」が要望する好ましい人間(産業兵卒)を作り上げるために創設され、維持され続けているのが学校教育制度だとしたら、それは打倒されるべきものとなります。

 正直なところ、学校教育に対して何か「建設的な」提案を仕様という気には、なかなかなれません。元よりそこに希望はないわけですから。教育再生会議―教育再生機構の路線に基づいてさらなる改悪が加えられるとなると、もちろん反対ですが、この際、学校に期待するのはもう止めよう、学校から逃げだそう、学校をボイコットしよう、そう呼びかけたい気もします。

 以上、パブリックコメントを考えながら思いついたことでした。

 

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10 コメント

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学校て結局なに? (往楽斎)
2008-03-09 03:37:11
私自身と致しましてはロクな思い出も無ければ、カスにもゴミにも引っかからない輩と過ごした謂わば塵の三年間が所謂、中学生生活でしたので大筋で管理人さんの意見に賛同出来ます。

かつて、私が中学生であった頃は学校には独りも友人と呼べる輩は居らず、塾に来て始めて友人が出来ました。

恥ずかしながら愚痴みたくなってしまいましたが、私の中学生生活に於ける最大の思い出それこそが所謂、塾で出来た友人との繋がりでありました。

教育機関としての機能だけでなく、友人が出来る。だからこそ、学校は必要なのだ。また中学で出来る友人は生涯に渡る友人だ。

現在、私の近辺にはこう述べる事で公立学校の必要性を訴える方がいらっしゃいますが、本当にそう思ってるんでしょうか?

教育機関に対し他の事を求めると言うこと自体、私自身矛盾を感じざるを得ないのですが実際はどうなんでしょうか。社会性を植え付けるにしても何十人も同じ格好をさせた上で、同じ飼育小屋に押し込んでおけば、少し変わった輩を吊るし挙げる事は分かる事だと思います。

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Unknown (Bill McCreary)
2008-03-09 18:12:52
学校とは何かという認識を、全国民が考えていかなければならないですよね。

例えば、教科書検定制度はあまりに時代錯誤じゃないか(時代錯誤です)とか、文部科学省という中央官庁が、義務教育から大学教育以上にいたるまでの教育を頭括していくのは無理じゃないかとか(無理です)いろいろ考えるべきことがあります。

米国その他の連邦国家の中には、「教育省」の類がないところもあるみたいですし、少なくとも義務教育、高校教育については、都道府県で全てまかなうくらいにしなければなりません。

学校の問題も、要は教育全体の問題の一環として考えていかなければならないと思います。ところが、安倍とかの馬鹿は、任期制とかそんな馬鹿なことばかりしたがっているわけで、救いのない頭の悪さにうんざりさせられます。

すいません、学校の是非から少し外れてしまいました。
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Unknown (案の運)
2008-03-09 19:34:11
教師のアタリハズレがある。
これは、学校が組織として機能していないということ。
結局、個々の教員が自己流でやっているだけ。

露骨な言い方をすれば、
公立学校は全国チェーンの教育サービス。
しかも大卒ばかりを集めた。

しかも統轄する機関は、問題があったとき、
問題の内容ではなく、問題の存在を問題視するところ。
民間企業のマネジャだったら、ダメ上司の典型だし。

その辺の組織のあり方を見直さないと、
どんなパブリックコメントも無駄。
無駄、無駄、無駄ぁ。

まぁ、元々無策だから、
コメントのうち官僚の権限を強化拡大し、責任を軽減する、
官僚好みの『国民の意見』を汲み上げる姿勢は示せるだろうけど。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-03-09 23:31:53
>往楽斎さん

 地域によっては良い塾に恵まれないところもあるとは思いますが、良い塾に恵まれた身としては、学校こそが無駄なのだと、そんな思いは拭えません。実は学校こそが学力を否定する源泉であり、学力よりも怪しげな人間性を重視する場所、学校が押しつける集団生活の論理から外れた人間を異端者として排除する機能を果たしているような気がしますね。

>Bill McCrearyさん

 ある程度の目安はあっても良いのでしょうけれど、日本の場合は教育行政の介入が強すぎますからね。それが時代錯誤であることに気付かず、何の疑問もなく教育行政による支配を強めようとするわけで、何が問題なのかをさっぱり分かっていないようです。中央が一元管理すればどうこうなるとか、そういうものではないのですけれど……

>案の運さん

 まぁ結局はそう、「国民の意見」を聞きましたよと、そういう姿勢を見せるためのパブリックコメントではあるでしょうね。
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頷けますが、でも・・ (una)
2008-03-10 13:15:17
>社会が要望する好ましい人間(産業兵卒)を作り上げる為・・・
 
・・だとしたならば、子どもにとって、
公教育が百害あって一利なしですよね。
(いじめ問題や日の丸・君が代問題含めても)

ただ、塾だけで問題が解決するとも思えません。
やはり、塾は、営利を追求するところなので、
真の教育(兵卒を作るのでなく、分かることの魅力など)が可能なのかと、疑問を持ちます。

教育の概念を、”問題がスラスラ解ける”事だけに
限るならば、塾は効率の良いシステムでしょう。

ですが、人間形成に必要なのは、学力のみでしょうか?
塾の講師は、問題を解くテクニック伝授には優れているかもしれませんが、
他の面は、どうなのでしょう?
(貴方がとても良い塾講師に出会ったことは、素晴らしい事ですが、それはとても稀な事だと思います)

コメントに集まる方々は、学校の無価値に賛成が多いようですね。
私は、あえて、疑問を投げかけてみましたが、
皆さんは、軽いノリで、応えたのかもしれませんね、
真面目くさく、コメントしている私は滑稽ですか?
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2008-03-10 22:53:59
>unaさん

 どうでしょうか、少なくとも私の場合、分かることの魅力を教えてくれたのは塾であって学校ではありませんでした。その後も勉強に打ち込めたのは塾で勉強もおもしろさを知ったからで、あのまま学校での授業だけだったら、今の私はなかったと思います。この辺りは私的な経験に左右されるところですが。

 unaさんは塾は学力のみを身につけさせる、教えるから、それだけではいけないと考える、そういう解釈でよろしいでしょうか? しかし私が思うに、勉強しか教えないから、他のことを教えないからこそ、塾の方が優れていると言いたいのです。

 学校では学力よりも人間形成を重視しますが、それは人から教えられるべきものなのかどうか、学校で行われようとする人間形成が本当にその人にとって好ましいのかどうか、そこが大いに疑わしいと思います。むしろ、こうした人間形成に手を付けないからこそ、塾の方が望ましい、と。

 学校のように、社会が要求する人間性を押しつけるのではなく、塾のように、教えなければ身につかないことだけを教える、その方が間違いなく害は少ないはずです。人格など精神的、内面的なものは、集団教育の中で教え込まれるものではなく、自ら気付いていくもの、そう考えるのであれば、余計なことを教えない塾の方が教育機関として理想に近いと、そうは考えられないでしょうか?
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お返事ありがとう^^ (una)
2008-03-11 16:20:08
>余計なことを教えない塾の方が教育機関として理想に近い・・
 
東京都教育委員会や、教育法改悪などを見ていると、
確かに、公教育の危機を感じます。
それなら、余計な事を押し付けられないトコロを
選択すべきかなと・・

ただ、昭和40年前後に典型的な公教育を受けてきた私には、貴方のように塾が最高だった・という実感も持てないのです。
いっその事、”学校教育など弊害そのものだからいらない”と言い切るには、
なかなか頭の切り替えが難しいのも事実です。

>人格など精神的、内面的なものは・・・自ら気付いていくもの・・
 
確かに、一理ありますね・・
でも、それだけで事は済むのでしょうか?
またそのような見方で、押し進めていくと、
将来の学校は、塾形態なものになるのかな・・
例えば、杉並の和田中・夜スペの進化版のような?
(塾費が回せない人も受講可能でしょうか?)
それにしても、生徒のレベルは千差万別なので、
自分で考える事のできる頭脳の持ち主ばかりではないので、その辺りのフォローなどは・・等々、
(わが子含め)明晰な頭脳経験がないもので
つい、落ちこぼれた周辺を考えてしまいます。

パッと割り切れない部分がまだ多い私からすると、
イイナ~何もかもザッパリと割り切れて思考できるのは^^;(試行錯誤の人生を送る者より)
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-03-11 23:18:52
>unaさん

 塾、と言うと抵抗があるかも知れませんが、そうであるならば「大学」と言ってもいいと思うのです。大学も塾と同様に、勉強を教えるだけであって、子供を躾けたりはしませんから(まぁ、最近は中学校じみた大学も増えつつありますが)。学校が「人間を作る」などという大それた(同時に傲慢な)代物であることを抜けだし、「勉強をするところ」というシンプルな基本に立ち返ってくれればな、と。

 学校は「学力よりも大切なことがある」と主張することで勉強が苦手な子供にも居場所を与えることはあるかもしれません。しかし同時に学校が至上の価値をおく(怪しげな)人間性の面で、その枠から外れた子供を排除する場所でもあったはずです。私は「勉強だけ出来てもダメ」と否定されて育ちましたので。この辺はまぁ、学校に拠るところも多いと思いますが、しかし教え方の悪い教師のせいで「勉強が苦手」と思いこんだまま育ってしまう子供も少なくありませんし、やっぱり学校教育よりも塾の方が方向性としては望ましいような、そういうイメージがどうしても強いのです。
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Unknown (くろ)
2008-03-11 23:26:32
文科省のHPを見てきました。学校教育によって「正しい態度」「正しい考え方」を「見につけさせる」学校とは怖い所ですね。その上家庭教育にまで口出ししています。学習指導要領に縛られた先生の授業を受けて自主的にものを考える生徒が育つわけがないように思います。少子化なのだからクラスの人数を20人までにして先生も生徒もゆとりをもって自由闊達に意見を発表できるようにした方がよいのでは?とコメントしようとしたのですが、あまりに文科省の方針と乖離しているようなのでコメントを寄せる気持ちが萎えました・・・。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2008-03-11 23:51:05
>くろさん

 どうも教育熱ではなく、支配欲ばかりが高まっている、子供を支配したい、思い通りの人間に作り上げたい、そんな欲望を感じますよね。何が正しいのか、それは問い続けるしかないものだと私は思うのですが、その「正しい」を教え込むのが学校教育、そんな側面ばかりが強められる流れなのかもしれません。諦めたら負けとは知りつつも、もはや教育行政の支配を改めさせるは難しい気がしてきます。かくなる上は学校からの「逃走」しかないかなぁ、とも。
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