ベルギーがブルカ禁止へ 欧州初、4月にも法案成立(共同通信)
ベルギー下院内務委員会は31日、イスラム教徒の女性が全身を覆う衣装「ブルカ」や「ニカブ」を公共の場所で着用することを全面禁止する法案を全会一致で可決した。下院事務局によると、4月下旬にも本会議で下院通過の見込み。フランスやオランダでも禁止を目指す動きがあるが、ベルギーが欧州で初めて全面禁止に乗り出す可能性が強まった。
可決に至った経緯や禁止に賛成票を投じた思惑は色々とあるみたいですが、全会一致と言うからには相応の妥当性を持った法案なのでしょう。たとえば拝外主義者がイスラム文化への攻撃の一環としてブルカ禁止を要求していただけなら、可決することがあるにせよ票は割れるでしょうから。そこで皆様はこのブルカの禁止、どう見ますでしょうか?
かつてインドには夫が死ぬと、寡婦が後を追って殉死する風習がありましたが(現代でも稀にあるとか)、この風習は当時インドを統治していたイギリスによって禁止されました。これもまた、異文化による異文化の破壊の一つには違いありません。ベルギーの政府がブルカという異文化を禁止するのも、イギリスから派遣された総督が寡婦殉死という異文化を禁止するのも、構図としては似たようなものです。
またブルカはイスラム文化であると同時に、イスラム社会における女性抑圧の象徴でもあります。異文化を異文化であるという理由で排除するのは野蛮ですが、しかし異文化であるからと無批判に存続させることが好ましいとは限りません。寡婦の殉死を異文化として尊重することと、野蛮な風習として禁止すること、どちらにも議論の余地はあるでしょうけれど、少なくとも前者が絶対的に正しいと言うことはないはずです。
異文化と接するときに乗り越えなければならない壁は、まず第一に偏見です。まずこの段階で躓いている人が多いわけですが、しかし偏見を捨てれば済むというものでもありません。無批判な尊重もまた問題であり、偏見を乗り越えた上での批判的検討もまた必要なのではないでしょうか。まず異文化への無理解に基づくブルカ禁止論は退けた上で、ブルカが象徴する女性を覆い隠す文化がどこまで許されるべきかが検討されるべきだと思います。
特に宗教関係は微妙な問題で、結果的にではあれ偏見に基づく排斥論と立ち位置が近くなってしまう(たとえばブルカの禁止に賛成する等)ことを嫌ってか、無批判な尊重の域に止まっている人も多いように感じます。しかしそれもまた、怠惰であり無責任な態度ではないでしょうか。さも自分は異文化に理解があると言わんばかりにふんぞり返って、その実は抑圧を傍観し追認しているとしたら!
日本の(自称)調査捕鯨なんかも方々から非難を浴びているわけですけれど、この辺を文化の問題にすり替える論調も目立ちます。調査捕鯨への反対と言っても動物愛護や環境保護の側面からであったり、あるいは国際ルールの側面からであったりと反対の理由は様々ですが、往々にして捕鯨擁護論者は「文化の違いから非難されている」ことにしたがるようです。しかし、異文化だからと何もかもが尊重されるべきなのでしょうか。「それは日本の文化だ」で全てが済まされるのなら、まぁ何でもアリですよね。文化もまた(調査捕鯨のような作られた文化も含めて)外部からの検討にさらされる必要があります。
とりあえずフルフェイスのヘルメットや目出し帽を被ったままの入店が断られるように、ブルカのように顔を覆い隠す装束が制限されるのは致し方ないかという気もします。またブルカの着用を個人の自由に任せるといえば聞こえは良いですけれど、イスラム社会の女性が自分の意志で素顔を晒せば、保守的なコミュニティの中では孤立を招くことにもなるでしょう(イスラムの習俗に従わない売女だ!みたいに)。だから「自分の意志でブルカを脱いだのではなく、法律に従っただけ」みたいな言い訳できる環境を作った方が、ブルカを脱ぎたいムスリム女性には優しいとも言えるでしょう。
※それから再び私事で恐縮ですが担当の方の話によると私はどうも正確には公務員ではないらしいのですね。公設民営方式の公社の職員ということであくまで第三セクターの会社の社員ということらしいです。
なるほど、そういう視点もあったのですね!
ただ、当のムスリム女性たちはどのくらいの割合でブルカを脱ぎたいと思っているのか、気になるところです。
「容姿に難がある場合は着用を認める」なんてのはやはりダメだろうし・・・
イスラム教ってあんまり知らない事が多いので。(--;)
今や調査捕鯨は北朝鮮問題同様、「勝ち負け」を競うようになったフシがありますよね。わざわざ税金で赤字を補填してまで南極海に遠征しなきゃ行けないほど鯨肉に需要があるわけでもないのに、それを批判する声を聞き入れたくないがために続行への支持が強まっているような気がしますから。こういうところを相手にするのは大変です。
>まりさん
ただ一方で、社会的弱者や社会保障受給者を敵視するような考え方には反対する一方で、イスラム社会などの女性抑圧は異文化として尊重してしまう人も結構いると思うんですよね。皮肉にも差別心の強い人の方が、異文化を丸ごと否定する中で、そこに含まれる女性蔑視にも否定的な態度をとったり……
>えちごっぺさん
日本においても保守派がそうであるように、自ら権威に服従したがる人も多いですから、意外にブルカを脱ぎたがる女性は少ないかも知れませんね。イスラム社会ではしばしば母親が密告者の役割を務めているとも聞きますし。こういう環境では下手にブルカを脱ぐと危ないですから、法律で脱がしてやらざるを得ないのかな、とも思ったわけです。
>のびたろうさん
一口にイスラムといっても幅広いですからね。緩いところもあれば厳しいところもあるようで、父親や夫以外の男がいるところでは絶対に肌を見せたらダメみたいなところでは、なかなか気も抜けないのでしょう。レイプされたら女性が「誘惑した」と罪に問われることすらあるだけに、家でブルカを脱いだところを覗かれたら、たぶん女性の側が非難されそうですし。
もしもし、日本語読めますか?
性犯罪や不倫の防止にどれだけ役立つかどうかという観点ではなく、スカーフやブルカを着用しているかどうかそれ自体が重視されてしまうという、非常に困った問題です。
下手をしますとスカーフに(美しい髪と同じく)性的な欲求を感じる人もいると思いますし、そうなりますとこのような実践がイスラムの理念からも外れてしまっている可能性もあります。これはイスラムそのものにとってもマイナスだと思います。
まぁ当初は手段として考案されたものが、いつの間にか目的化するというのはよくあることですよね。日本では国歌の斉唱が体制への従順さを計る指標として用いられているように、イスラム社会ではブルカやスカーフで顔を隠すことが同じような意味を持っているのでしょう。