山形県が昨秋、県内の若者を対象に初めて実施した交際相手間の暴力「デートDV」の実態調査で、約2割が何らかの暴力を受けていたことがわかった。
一方で、「デートDV」という言葉の意味を知っていたのは3割強にとどまっており、県では、若年層を啓発するため新年度から、高校生向けに出前講座を行う予定。
調査は昨年9月、20~21歳の男女3000人を対象に郵送で実施。男性215人、女性260人、不明1人の計476人(15・9%)から有効回答を得た。
このうち、「暴力を受けたことがある」と回答したのは96人(20・1%)。男性35人、女性61人だった。96人に、暴力を初めて受けた時期を尋ねると、中学が9・4%、高校が32・3%、大学が28・1%だった。
暴力の種別に見ると、女性の回答者260人のうち8・8%が「殴られたり、蹴られたり、物を投げつけられたりした」、11・9%が「大声でどなられたり、傷つく言葉を言われたりした」と答えた。
「デートDV」の認知度は55・0%が、「言葉も意味も知らなかった」と回答。意味を知っているとしたのは34・0%だった。学校の授業で「デートDV」の話を聞いたことがあると答えた人は23・3%にとどまり、「DV」の相談窓口を、66・2%が「知らない」と答えた。
調査結果を受け、県男女共同参画課は、「若年からデートDVについて伝え、具体的な相談方法を知らせていく必要がある」として、新年度から県内の高校に出前講座を行うという。
さて、球団の金銭問題を朝日に攻められて旗色の悪い読売新聞です。もっとも日本の(アメリカの場合はもっとですが)プロ野球界は球団経営という面での競争に無頓着すぎる、むしろルール遵守を建前に怠惰な運営に終始しているお荷物球団こそ非難されるべきではないかと思わないでもなかったりします。これだけ日本社会が競争賛美であふれかえっているのに、プロ野球の世界では関しては手を拱いてクジを引くだけみたいな球団経営が罷り通ってしまうと言うのも、考えれば不思議な話ではないでしょうか。この頃は低迷してもいるわけですが、確たる人気を築き上げてきた読売球団の運営は、他の球団にも(我らが阪神にも)見習って欲しいくらいです。
それはさておき、上に引用した読売新聞の記事を見てください。「デートDV」という言葉の意味を知っていたのは3割強にとどまっているそうです。山形というローカルな、しかも有効回答が15・9%という甚だ微妙な調査ではありますけれど、ともあれデートDVの認知度が低いと伝えられています。調査結果を受け、山形の男女共同参画課は、「若年からデートDVについて伝え、具体的な相談方法を知らせていく必要がある」としているようですが、報道する側の問題意識はどうなっているのでしょうね? 県としては担当部課が動くと言うことで、それなりに問題視しているであろうことが窺われます(有効かどうかはさておき)。しかるに、それを伝える側はいかに?
山形の若年層に(他の地域でも大差はないと思いますけれど)、「デートDV」という概念が認知されていないことは記事から分かります。では、この読売新聞の読者に(というより全国の国民に)「デートDV」は理解されているのか、その辺もまた考えられる必要があるでしょう。とりあえず、web公開分を見る限り読売新聞では「デートDV」について説明していません。もしかしたら紙面では付記されていたのかも知れませんが、ともあれ引用した記事では「デートDV」とは何なのか説明されていないわけです。山形の若者が「デートDV」を知らないことだけは伝えられている一方で、読者に「デートDV」とは何かを伝えていない、これは細かいようでも重要なポイントであると思います。
新聞読者のほぼ100%が「デートDV」というものを心得ていることが想定されるのなら、この読売報道でも問題ないでしょう。しかし、そうした想定は現実的なのか? 果たして山形の若者だけが「デートDV」を知らないのか、あるいは日本中の大半で「デートDV」が理解されていないのか、その如何によって報道に期待されるものも異なってくるはずです。
上記エントリで取り上げたことですが、「大学生が『平均』の意味を理解していない」という調査と報道があったわけです。しかし、その報道に接する読者層が「平均」の意味を理解しているのかどうか、私には甚だ怪しく思えたものでした。そして概ねどこの報道でも、「大学生が『平均』の意味を理解していない」ことを大きく伝えている一方、調査において問われた「平均」の意味合いについて解説しているところは皆無でした(地方紙までは目を通していませんけれど)。どうなんでしょうね、「デートDV」にしても「平均」にしても、調査対象が「理解していない」ということを伝えるばかりで、読者が理解しているかどうかは全く気にしていない、何とも不思議な話です。
ある種の需要があるのかも知れません。つまり、調査対象が「わかっていない」ことを大々的に報道し、それを読者がしたり顔で馬鹿にするみたいな、そういう繰り返しもあるのではないでしょうか。実は読者もまた同様かそれ以上に「わかっていない」にも関わらず、そこは問わない、ただただ調査対象を小馬鹿にして優越感に浸るみたいなフシもあって、メディアはそれを仲介しているところもあるように思います。ただ「平均」の場合がそうであったように、「デートDV」もまた読者は調査対象に負けず至らず「理解していない」としたら、調査対象の不出来を嘆く素振りをしている場合ではありません。
ちなみに、「デートDV」という、いかにも和製英語くさい表現もアレな気がしますね。Dating abuseとか、Teen dating violenceとかが元の表現のようです。たぶん、先に普及した「DV」という言葉に乗っける形で「デートDV」という言葉を作ったのでしょうけれど、「DV」の「D」は「家庭内」を表すdomesticの頭文字ですから、これに「デート」を付け加えられると不思議な感じがします。造語のセンスの悪さが、理解の妨げになっているところはないでしょうか? とりあえず私は初めてこの言葉を聞いたとき、「デート」の最中で行われる暴力行為のことかな、と思いました。実際には、まだ家族の範疇に入らない、基本的には交際している人の間での暴力を指すわけです。ちなみに暴力とは身体的な暴力のみを指すものではない、と。まぁ、その辺のことはこんな場末のブログではなく、もっと部数の多い報道機関などで伝えられるべきとも思いますが。
こういうことは、まま感じますね。「無知な人がいるよ」だけでなく、「ダメな親がいるよ」とか、「しゃくし定規な公務員がいるよ」とか。
「美談需要」もあれば「優越感需要」もあるし、「ヘイト対象需要」もあるのでしょう。「容疑者がカツ丼をぺろりと平らげる」という書き方は、もうネタの域でしょうけど。
読者だって大差ないのに、記事で論われている人に対して不思議と優越感を持ってしまう人もいるわけですね。調査対象が知らないなら読者の大半も知らないであろうと想定しなければならないはずですし、そこで認知度の低いものを知らしめるのも新聞の役目のはずなのですが、読者を喜ばせることの方が重要なのでしょう。