高いから食べません。生鮮食品を買わなかった理由に価格の高さを挙げる人が3割にのぼることが厚生労働省が6日公表した2011年国民健康・栄養調査で明らかになった。年収の低い人ほど食べる量が少ない傾向もみられ、経済的な理由で必要な栄養を取れていない可能性が浮かび上がった。災害に備え飲料や食料を備蓄している世帯は47.4%だった。
昨年11月、全国3412世帯について食品の摂取量や健康状態を直接調べ、生活習慣を尋ねた。生鮮食品の入手状況や災害時の備蓄は初めて調べた。
野菜、果物、魚、肉などの生鮮食品の入手を控えた理由は「価格が高い」が30.4%。店までの距離が遠い(6.7%)や交通の便が悪い(2.7%)などを引き離し、特に20~40代では4割を超えた。
アメリカでは貧しい人ほど太っていると言いますね。ヘルシーな食事とフィットネスは有閑階級のもの、一方で貧乏人は高カロリーなジャンクフードを囓りながら仕事に縛り付けられる日々ですから、どちらが肥え太るかは考えるまでもないことなのかも知れません。もっとも、それはアメリカに限ったことではないのでしょう。肥満先進国だからこそ顕著な形で表れていると言うだけの話、他所の国でも経済的に恵まれていない人ほど不健康な食事をしているフシはあるわけです。そして今回の調査によって、生鮮食品は「年収の低い人ほど食べる量が少ない傾向」が確認されたようです。
そりゃもう、安価な生鮮食品となると限られてくるところがありますからね。もっと安価で空腹を満たせる食品は他にある、食費を切り詰めざるを得ない中では生鮮食品の購入量が減るのは当然のことでしょう。地産地消だのスローフード云々といった金持ちの道楽には付き合っていられない、なるべく安いものを選んで食いつないでいる人も少なくないはずです。残念ながら安くても栄養のあるものばかりとは限らない、むしろ栄養に偏りがある(カロリーが高いだけ)の食品も多いわけで、ゆえに「経済的な理由で必要な栄養を取れていない可能性」が懸念されますし、経済格差が栄養格差、ひいては健康格差すなわち「命の格差」にも繋がっていると言えます。
参考、少年よ大企業を目指せ
上記リンク先では、中小企業従業員と大企業従業員の健康(医療)格差を取り上げました。企業規模が小さいほど従業員に占める糖尿病の患者割合は高く、大企業の約6割が定期健診で経過観察が必要になった従業員に定期的な検査や指導をすると答えた一方、中小企業の約7割は「何もしない」と回答したわけでもあります。企業規模で異なるのは単に給与だけではない、従業員の健康管理もまた然りと言うことです。この辺は自身の意思に委ねられた場合でも同様で、収入の低い人ほど受診を躊躇ったり諦めたり、健康上の問題をやむなく放置する傾向は何度となく指摘されてきました。金を持っているかは、その人の生命をも大きく左右するということなのでしょう。
経済的な要因から、即ち金に困って自殺する人が万を超えるようになったのが近年の日本です。そして自ら死を選ぶまで追い詰められずとも、生鮮食品を控えて安いだけの食材で凌がざるを得ない人、健康不安を抱えたまま働き続けるしかない人が数多いるわけです。日本の社会保障制度に欠陥が多いのは昔から、それなのに問題視されることが増えたのは、経済的な豊かさが社会保障の不備を補っていた時代が過去のものとなり、セーフティネットの世話になるほかない人が増えたからでもあります。経済の衰退は、まさに我々の社会を蝕み個人の生命をも危うくする万病の元なのです。
その一方で、経済的な豊かさを敵視する人もまた少なくありません。例えば、経済的な豊かさを「精神的な」豊かさを損なうものであるかのごとく位置づけたがる道徳論者など。日本社会をいつでも「経済的な利益を追求してきた」ものと堅く信じ、その転換を唱えたりする人々ですね。この手合いは右と左の双方に巣くっていると言えますが、もう20年ばかり日本は経済面での衰退を続けてきた、とりわけ日本で働く人は一貫して所得を減らしてきたわけです。ならば、経済的に貧しくなった分だけ我々の社会が精神的に豊かになっていても良さそうなものですよね?
あるいは、経済的な豊かさを「生命」や「人間性」といった類を蔑ろにするものとして、やはり否定する人の動きが昨今は活発でもあります。よく「命を守れ、子供を守れ」とか唱えている人が、見解の異なる主張に対して「経済優先だ!」と非難めいた口調で語るものですが、どうにもその筋の人の頭の中では経済と「命」は相容れないもののようです。ゆえに「経済がどうこうと言ってる場合じゃない」などと宣っては、経済に配慮する論者や政治家を「人の命を蔑ろにしている!」などと咎め立てる、それが飽きもせず繰り返されてきました。
しかるに冒頭の引用からも分かる通り、経済面での衰退は人間の健康=生命にも密接に関わっています。経済的に恵まれないが故に生鮮食品を買い控える、栄養面で偏った食事で健康を損なうこともあれば、体の具合が悪くなっても医療のサポートを受けられるかどうかは、やはり当人の経済状況に左右されるところが大きいわけです。そして経済面での苦境から自殺してしまう人もいる、と。端的に言えば経済軽視=人命軽視でもあるのですが、これを直視できない人もまたいて、そういう人々が一定の影響力を持っている、それに媚びる政治家もまた少なくないのが現状でしょうか。
自分たちの負担は減らせる機会プラス、ストレス発散のためにバッシング出来るんですから
既に答えは出ているのですが――現実に向き合えない人も少なくないというわけですね。相も変わらず経済的な豊かさを敵視し続け、より貧しくなることに道徳的な正しさを感じる、それによって生まれる犠牲は都合良く無視する、と。
>やすさん
本当のお金持ちばかりではなく、「貧しくても心は金持ち」な人も多いような気がします。実際は貧しくても心は豊か、貧困層バッシングに積極的に参加しているタイプも多いのではないでしょうか。ある意味で、日本の経済的凋落は幅広く望まれた結果であるように思うところです。
強制的にお金の流通を増やしていく、これをリフレと呼ぶのかは知りませんが、富の増大を増やして消費させ、のサイクルで経済を強くするぐらいしか方策はないのでは?
価値観ってなかなか、変えられないでしょうし。
あとは、コンサルですが、、、
あの時代を金まみれで空っぽの時代だったと否定的にみる考え(しかもこれが左右問わずお歴々に多い)と通ずるものがありますね。
バブルは崩壊したのが問題であって、フリーターがサラリーマンよりも稼げて、金も仕事も有り余っていたあの時代の何が悪い!と声を大にして言いたいところです。
バブルと呼ばれた時代への否定意識は、まさに左右が手を携えているところなんですよね。そして否定の対象はまさに豊かさであって、バブル崩壊や、バブル崩壊後に立ち直れなかった経済政策の誤りに対する反省は皆無、ここが日本と日本「以外」の国を分けたような気もしますが、相も変わらず反バブル、反経済を続けている人も多いようです。
実態を把握しているなら何かしらの提言を添えればいいものを、ただ「発表するだけ」でおしまい。
結局、貧困や低所得のメカニズムのようなものを理解出来ない(理解したくないの方が正しいかも)連中の「オナニー調査」なのでしょうかね。
まぁ、何か問題を指摘できても、それを改善するための提言となると敷居が高いですから。この辺は私も同じで、エコノミストやコンサルタントの妄言ぶりを把握はできても、そこから先に切り込むとなると色々と難しいものです。もっとも、それで収入を得ている「プロ」なら、単に問題を指摘するだけでは十分ではないでしょうね。