非国民通信

ノーモア・コイズミ

レイシストを自認する人はいない

2009-03-04 22:54:07 | 編集雑記・小ネタ

 麻生支持者、橋下信者は「自分は支持者ではないけれど」と断りを入れてから麻生なり橋下を擁護する、そう以前のエントリで書きました。彼らは「中立」を装うわけです。自分の共感、「好き嫌い」に基づいて盲目的に擁護しているのではない、支持者だから擁護しているわけではない、あくまで中立的な立場から客観的に判断した結果として、麻生は正しい、橋下は間違っていないとの結論に至ったのだ、そう彼らは装うわけです。本物の宗教であれば信者が自らの信仰を否認することはありませんが、崇拝の対象が政治家である場合は、その信仰は否認される傾向にあります。何がどうなろうと橋下を褒め称え、橋下への懐疑を冒涜と見なす、それでいて橋下信者であることは否認する、よくいるタイプですが、彼らが橋下信者を自認することは少ないわけです。

 よくよく考えれば、レイシストを自認するレイシストも極めて稀な存在ですね。勿論レイシストは無尽蔵に存在する、野放しにされてもいるわけですが、彼らが自ら「レイシスト」と称することはありません。どうしてでしょう? 本当に優れた選手ならば自らを「名手」なりと宣伝せずとも、日頃の活躍によって周囲から名手と認められるように、紛れもないレイシストであれば自称せずとも自然とレイシストと呼ばれるようになるから――なんて理由ではないですよね。

 結局、諸々の差別行為の実践者であっても、「レイシスト」が不名誉なものであること、各種の差別が軽蔑に値する行為だという社会通念は保有しているようです。ゆえに彼らは、自分達の行っている差別を「差別ではない」と強弁し、自分達がレイシストであることを否認するわけです。差別を止めるつもりがないにも関わらず、差別者と見なされることは好ましく思っていない、そんな歪んだプライドの高さが垣間見えますね。

 ちょっと前フリが長くなりましたが、「ネオリベ」あるいは「新自由主義(者)」なんてのはどうなんでしょうか? どちらかと言えば新自由主義の論者よりも、それに反対する論者の書いたものを読む機会の方が多いだけに私が見落としているだけかも知れませんが、自ら「新自由主義者」を称する人って、あまりいないような気がします。掲げる主張は典型的な新自由主義のそれであっても、新自由主義者と呼ばれることは望まない、そういう人が多いとしたらどうでしょうか? 「新自由主義」とは「レイシズム」と似たような文脈で使われる言葉なのかも知れません。

 例えば、かの赤木智弘君に言わせればこのブログの書き手である私が「ネオリベ」なんだそうです。ふ~む、小泉/竹中的な社会/経済政策を、あるいはダイヤモンド社が繰り広げているような主張を新自由主義の典型例と見なすなら、赤木君は徹頭徹尾ネオリベの追随者ですが、その赤木君とは正反対の立場にいる私が「ネオリベ」ですか…… たぶん、「レイシスト」が当の人種差別主義者にとっても不名誉な呼称であると認識されているように、「ネオリベ」もまた赤木君にしてみれば蔑称の一つだったのでしょう。新自由主義の信奉者であっても、新自由主義者と見なされることを否定的に評価する、そうした傾向もあるようです。

 ともあれ新自由主義的な政策の失敗が明白となり(まぁ、これは日本の話。諸外国に目を向ければ、それが誤りであることは既に実証済だったようですが)、その結果から目を逸らすことが難しくなってきた、現代日本の惨状をもたらした理念として新自由主義がクローズアップされることで、「新自由主義」という言葉そのものは凋落したかに見えます。しかし、「レイシズム」という言葉が完全に否定的な意味を持っていてさえ、差別主義者がいなくなる、差別行為が解消されることはないわけです。差別ではなく区別、差別的な意図はない、そう言い繕うレイシストが健在であるように、新自由主義という言葉が否定的に扱われても尚、新自由主義者であることを否認する新自由主義は生き残るでしょう。まぁ思想信条は自由ですから、他人の信念にとやかく言うつもりはありませんが、いつの日か彼らの主張を真に受ける人がどこにもいなくなり、それが戯言として黙殺されるようになってくれればと思いますね。

 

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10 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2009-03-04 23:16:39
なぜかは分かりませんが「普通」ということが尊ばれている気がします。「自分は普通だから正しいのだ」というような。但しその場合「普通」ということ以外に拠り所がないことも多いですが。

さて、「諸君!」が店仕舞いするらしいですが私としましてはむしろ「WiLL」に消えてなくなってほしい今日この頃。
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姑息と中道は違うはずなんですが(苦笑) (ふみたけ)
2009-03-05 00:27:08
実際は何かしらの極論に染まっているにも関わらず、枕詞にせよ自身が何らかの思想に偏っていない事、すなわち中道思想を告白する事は表面上を取り繕っているだけの浅はかな行為に過ぎません。
学生なり会社組織には必ずこの手の人がいる訳ですが、この手の言い回しを好む人達に総じて一致するのは「積極的に大多数の一人として振舞う」点にあります。
この手の人達は本当は自分の意見があるけど、組織にあって孤立する覚悟まではないので、表面上はニュートラルである事を是としています。もっとも、心の奥底には偏った思想がありますので、マイノリティやアウトサイドに属する人達に対しては露骨な排他性を示します。はっきり言うと、己の悪意に対しての意識が希薄と言い切るべきでしょうか。
私はこの手の人達に遭遇するたびに「もっと自らの内なる姿と向き合え」と言いたくなります。
何か事情があるのはわかるのですが、この手の人達は自分自身の内なる姿を否定している結果、お手軽正義的に悪意を肯定して誰かを傷つけ続ける訳で、被害を蒙る人達の身になればさすがにマズイと思う訳です。
最後に己の姑息さを取り繕うだけでニュートラルと宣言するほど馬鹿げた行為は無いと思います。内なる弱さや悪意を認めた上で、何かしらの思想を持つ人間である事を認めている人の方がよっぽど中道と呼ぶに相応しいと言えるのではないでしょうか。
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産経新聞も (Bill McCreary)
2009-03-05 04:47:41
櫻井よしこも稲田朋美も「SAPIO」も(以下省略)連中の支持者も、けっして「自分は差別主義者で歴史修正主義者である」なんて認めはしませんよね。逆に、そんなことを公然と認める馬鹿(水島総聯隊長とか)は、社会では通用しませんからね。その程度には良識(馬鹿)があるということでしょう。
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Unknown (大木銀太郎)
2009-03-05 08:42:37
 日本型のレイシズムの特徴は、白人追従型の挫折とそれに反発する「日本独自の優秀論」での精神的慰撫要求が重なり合って、かなり複雑な心情が絡みますから、そこんとこも「原因」の一つじゃないですか。

 つまり、アメリカ型レイシズムでは、原理主義が基本ですから、オバマが大統領になろうと原理的にレイシストは変わりません。そしてレイシストとして自覚し堂々と立ち振る舞いますし、彼らは「賞賛」を求めません。

 日本型のそれは、「挫折型レイシズム」ですから、それを慰撫するために「賞賛=日本は素晴らしい」を求めますし、同時に、そんな素晴らしい自分達をレイシストと自覚させないために、「特定アジアの人達」を徹底的に揶揄し続けないと「優位な日本人」として成り立たないという強迫観念があるわけです。

 白人追従の地位を屈辱にまみれながら、ここまで(世界二位の経済大国)築いた日本人の歴史を、韓国人中国人が「フリーライドして白人の世界にデビュー」して威張っている(ように見える)のが、彼らに耐えられないのですよ。

 新自由主義者が言うように、本当に「日本が素晴らしい」のなら、何にもしなくても賞賛が世界で得られるはずなのに、その実、その「日本特別優秀論」の裏には「白人追従コンプレックス」があるもんだから、「フリーライド(と見たい)」の韓国人や中国人、国内では「在日」を叩き続けないと「日本人の地位が揺らぐ」ような気がして、もういても立ってもいられないわけです。

 諸君やWILL、正論、はたまた在日特権を云々する市民団体とか、そんな彼らに慰撫する為に存在しているとしか思えないのですが……さて、それらが「戯言」で消える日が本当に来るかどうか……例え、雑誌が消えたとしても、厳しい現状は続くと思います。
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補足 (大木銀太郎)
2009-03-05 09:00:12
 すいません。連続投稿になりますが、誤解を招く恐れがあったので補足させて下さい。

 私の投稿で「新自由主義者=日本が素晴らしいと主張する」とありますが、短絡的にそういう意味ではなく、新自由主義を進めてきた政権政党、財界の勢力に「その手の勢力、輩」が多いという意味を込める筈が、つい「ミスライト」してしまいました。失礼しました。
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Unknown (通行人A)
2009-03-05 09:43:33
こんにちは。

社会主義の実態から大いにかけ離れている“社会主義”の国、中国が何かやらかすと、必ず「だから社会主義はダメなんだ」という話しになります。しかしアメリカが何かやらかしても「だから民主主義は…」とか「だから資本主義は…」という話しにはなりません(さいきん後者はありますが)。まして、朝鮮“民主主義”人民共和国が何かやらかしても、「だから民主主義は…」とはいわないのが不思議ですね。

レッテル貼りからは、貼る人間の属性が露顕してしまうものです。
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Unknown (Green Monster)
2009-03-05 22:16:19
私は無宗教ですが、お彼岸には必ず墓参りをします。
私は無党派ですが、自民党以外の政党へ票を入れたことはありません。
私は差別に反対ですが、娘が嫁ぐ際は、興信所へ結婚相手の身元調査をするつもりです。
先に「嫁ぐ」と言いましたが、私は性差別には反対です。
私の理想とする社会は、政府の関与が少なく、既得権のない、自由に公正な競争社会です。

んなアホな。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-03-05 23:02:22
>ノエルザブレイヴさん

 まぁ、拠り所がない、根拠がないからこそ自信満々に振る舞えるところもあるのかも知れません。何か拠って立つところがあるなら、それを崩されたときが大変ですが、根拠がないならその心配は無用ということで。

>ふみたけさん

 ありますね、実際は個人の意見なのに、中立を装うことで「大多数の一人」として、つまり無名の大衆の意見の代弁者として発言しているかのごとく振る舞うケースが。もっと自分に向き合うこと、自分に軸足を置くべきなのでしょうけれど、その勇気がないのでしょう。

>Bill McCrearyさん

 一応、差別や歴史修正主義が悪いものという前提はあるんですよね。それが悪いものであると認めない人よりはマシかも知れませんが、しかし同時に自らを取り繕おうとする嫌らしさも感じます。

>大木銀太郎さん

 確かに、独特の「捻れ」「屈折」は感じられますね。中立を装いたがるのは、本当の意味で自分達に自信が持てないから何かを後ろ盾にしなければいけないからでしょうか。ことによると、彼らレイシストの言動は社会に向けて発信されたと同時に、自分を慰めるためのもの、自分に言い聞かせるものなのかも知れません。

>通行人Aさん

 諸々の属性がある中で、何をピックアップするかでその人のセンスが問われますよね。911の事件でも、「イスラム組織が」と語る人はいても「ブッシュ家と取引のある大富豪が」と語る人はいませんでしたが、中国に対しても「社会主義は~」と語られる一方で「政権交代の起らない国は~」とは語られない、そういうものなのでしょう。

>Green Monsterさん

 でも、そういう人が多いんですよね。あくまで中立、どこにも属さない立場からの「客観的な」立場を主張する、私などはむしろ陰湿さを感じるのですが、本人はそれが通用していると思っているのでしょう。
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Unknown (BR-S)
2009-03-06 19:54:48
「私は○○信者ではない」というのは詭弁半分、本音半分だと考えています

そう言うことで、崇拝の対象がどうやっても弁解できない失態をした時のための逃げ道を予め用意しておく
そして、自らの主義主張を代弁してくれるのであれば、器は人の姿をしてさえいれば別に誰でも構わない
といった具合で・・・

でもその一方でパール判事や東中野某の日本無罪論にすがりついたり、韓国大統領の訪日を歓迎する大昔の右翼の画像を証拠に「既成の右翼は日本人の愛国心をスポイルするために活動している朝鮮人の自作自演だ!」と訴えたり・・・
(冷戦時代を少しでも知っている世代なら、失笑するか激怒するでしょうね)

愛嬌が皆無なツンデレ、なんでしょうか
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-03-06 23:40:59
>BR-Sさん

 結局のところ、自分が責任を負いたくない、そういう心理が強いのでしょうね。自分の責任で支持するのではなく顔の見えない大衆の代弁者のように語り、自分の逃げ道は用意する等々。
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