鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・「最後の晩餐」と食卓を囲む情景

2014-05-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~2015年

「最後の晩餐」と食卓を囲む情景

                           情報プラットフォーム、No.320、5月号、2014、掲載

 

有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を始めて見たとき、不自然な感じを持った。イエス・キリストと12使徒の13人全員がテーブルの向こう側 に座っているからである。討論会のように壇上の長いテーブルの中央にキリストが座る構図である。晩餐ならばテーブルを囲むのが普通である。理解す るには聖書の物語を知る必要があると思った。久しぶりの同窓会などで食事を共にするときも、記念写真はテーブルの片側に集まるのが普通である。映 画やテレビのドラマでもカメラ側を空席にしていることが多い。解決策は昔からの難問題であるのかも知れない。

  北海道大学名誉教授の高久真一さんにお会いする機会があり、頂いたのが「キリスト教名画の楽しみ方」シリーズの中の「最後の晩餐」(1997/9、日本基督教団出版局)である。これには製作年代順に14点の「最後の晩餐」の名画とそれぞれの解説が付いている。

一番古い「最後の晩餐(1)」はモザイック画であり、5~6世紀頃のものでラベンナにある。光背のあるイエスが向かいの食卓左端に位置し、12人の弟子達 が順に並んでいる。シエナのドウッチョ(1255~1315)の「最後の晩餐(6)」では、中央のイエスと7人の弟子達、手前に背を向けた横顔の 5人の弟子達が居るが、奥を遮るので光背は割愛している。

レオナルド・ダ・ヴインチ(1452~1519)の「最後の晩餐(10)」では、「食卓を囲む自然らしさを犠牲にして、弟子達の心的態度の自然らしさを優 先した」と高久先生は述べている。聖書がラテン語で書かれている時代には主の福音を画像で伝える必要があった。イエスを中央に、3人1組でイエス の両側に2組ずつバランス良く配置されている。弟子達の表情や仕草や雰囲気から、着衣などの図像から、誰かを特定できるとのことである。

  ヴェネツィアにあるティントレット(1518~1594)の「最後の晩餐(12)」は食卓を斜めから見た構図であり、イエスが弟子達に仕えている様子が見 て取れる。

給仕や使用人、さらには天使も画かれている。ブリュッセルにある「最後の晩餐(13)」(16世紀)では、円卓を囲んではいるが、勝手 気ままな振舞で、裏切りを予想させる雰囲気に画かれている。

ヴェロネーゼの「レヴィ家の饗宴」(1573)は本来は「最後の晩餐」として画かれ、人数も多く、臨場感と躍動感に満ちている。その華やかさ故に描き直し を命ぜられたが、タイトルを変えて切り抜けたとある。縦5.5m、横13mの大作はルーブル美術館所蔵である。

幾つかの福音書を総合すれば、時系列的なストーリーが成り立つ。これらを1画面に異時同図法として画いた画家が居る。大英博物館の「最後の晩餐(3)」(1155年頃)では、同一画面に2人のイエスを登場させ、食卓正面ではパンや葡萄酒を与えることを演じ、食卓手前では愛の象徴的行為として弟子 の足を洗っている。日本には「大納言絵巻」のような絵巻物があり、時間経過を素直に示す解決策の1つがある。紙芝居や絵本の源点と考えられる。映 画やTVの手法は直接的な解決法である。また、彫像では回り込んで視点を変えて側面を見ることができる。能面では面の上向き・下向きで表情が変わ る仕組みである。画面に複数の視点を重ね書きし、視点の動きを画くのがピカソのキュビズムである。

カメラでの記念撮影の場合、時代の進行と共にさまざまな可能性が出て来た。全天球イメージ撮影カメラも出た。3Dディスプレイや3Dプリンティングにすれ ばどうなるのだろうか。動画の「最後の晩餐」の芸術性は、信仰の対象としての価値は変わらないだろうか。新しい表現媒体が出現すれば、それに応じ て独創的な芸術家が生まれてくる筈である。

 

 

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