鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・わが姿 たとえ翁と 見ゆるとも

2014-04-13 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~2015年

わが姿 たとえ翁と 見ゆるとも

                    情報プラットフォーム、No.319、4月号、2014、掲載

 牧野富太郎の短歌の、これに続く下の句は「心はいつも 花の真盛」である。「好奇心を持ち続けよう」、「気を若く持とう」、そうすれば「身体的な衰えはあっても、精神的には健康なのだ」と言った意味である。富 太郎85歳の作である。牧野植物園には富太郎の蔵書を収納した図書室がある。植物関連の書物は当然のことであるが、牧野博士のあらゆるものへの関 心の高さと旺盛な好奇心とが伺える蔵書の山である。私は今、富太郎のこの時の年齢に近づこうとしている。日ごとに体力の衰えを感じるようになって いる。こんな筈ではなかった、体力には自信があったのである。

  登山は季節を問わず、冬はスキー、夏はテニスに熱中していたのは60才代後半までである。70才代には大型犬のシベリアンハスキーに出会い、 毎日、朝方1時間、夕方1時間の散歩が日課となった時期もある。それ以降運動不足気味である。

  五万分の一の地図を手に赤い線を引くことから始まり、ついで高山植物やキノコへの関心が深まり、動物の痕跡、小鳥観察、地層・地質や植生の変 化など、さらにはその地域の生活・文化にも、旺盛な好奇心で、関心は広がって行った。深田久弥の「日本百名山」の60座を登っている。大学で学位 を取るよりも、エベレストに登ることに憧れでいた。

  ハードコートが増えるにつれてテニスは通年のスポーツに昇格していた。コートサイドで試合を見ながら、待つ間が仲間とのおしゃべりの時間であ る。会話の話題は様々であるが、その一つが老後のことである。「幾つまでテニスができるだろうか」などである。「鍛えているから体力は大丈夫だろ う」、「体力と認知症や痴呆症とは関係ないのだろうか」、「頭脳的プレーを得意とすれ

ば、認知症にはなり難いだろう」、「体力があることが仇とな り、遠くまで徘徊してしまうのは逆に厄介なことだろう」と会話が弾んだ。

 冬の登山に山スキーは付きものである。 ゲレンデスキーやクロカンスキー(歩くスキー)で技術を磨くことが必要であった。週末にはスキー場へ頻繁に出かけていた。無理をした激しい運動の結果、 40代後半に激しい腰痛に悩まされるようになっていた。重い荷物を担いでいたつけが回ってきたようである。立ち上がれない程の腰痛である。外科手 術を断り、知人に薦められた整体治療を受けた。歩いて帰ることが出来たのである。

  最近になって、特に傘寿を越えてから、「わが姿 たとえ翁(おきな)と 見ゆるとも」の短歌が気になり出した。この頃、高知県高坂学園生涯老人大学の学長に選任され、900人を越える学生の方々とのお付き合いが始まった(本 誌、No.300、9月号(2912))。有り難いことに、好奇心一杯の「心はいつも 花の真盛」の学生達ばかりであり、沢山のパワーを頂いている。でも、「翁」は一割にも満たない。女性を意味する「翁」の対義語は「媼(おうな)」である。 「おうな」で思い出すのは、月を周回した衛星「かぐや」の2個の子衛星の名前が「おきな」と「おうな」である。月の裏側の「かぐや」の電波を中継 する役割を担っていた。従って、老大では「わが姿 たとえ媼(おうな)と 見ゆるとも」と変わる。

  三浦雄一郎が昨年(2013/12/4)、80才でエベレストに3度目の登頂を果たしたと報じられた。私はしまったと思った。残念ながら、ロコモティブ・ シンドロームの兆候が見え隠れし、「翁と見ゆる」状態である。鍛えても体力は一時的であり、長期貯蓄はできないことを知ったのである。しかし、名 刺の裏には書き切れないほどの役職が書かれている。知的好奇心は未だに衰えず、「心はいつも 花の真盛」である。有り難いことである。

 

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鈴木朝夫 s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718

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