30年以上前の短大1年の日記から思いだしたこと。
私が1人暮らしを始めて、冷蔵庫を買ったのがやっと6月25日だったということだ。
6月20日の日記には、「冷蔵庫を買ってもらおう」と書いてある。
実家の母は、短大入学前に私と一緒に東京にやってきて、電気炊飯器・オーブントースター・こたつ・ファンシーケース・カラーボックス・小さな食器戸棚、等を買いそろえて1泊して帰っていったが、冷蔵庫は買わなかった。1日ではそこまで手が回らず、4月の初めころはまだ涼しかったからだ。
私が何を飲食して暮らしていたかと言えば、結局、牛乳やジュースを買い置きすることはできなかったし、納豆なんかも無理だったと思う。
果物や野菜も買ったらその場で食べてしまうしかなかったはずだ。
おそらく、朝ごはんは缶づめのおかずなどで、飲み物はお茶を沸かしていたのだろう。
当時は、まだコンビニなんかも無かったので、今のように、弁当などを買ってきて食べるというわけにはいかなかったはずだ。
今から思うと、驚くべき生活である。
プリンスメロンを食べる。トマトを食べる。
などとも日記に書いてあるけど、「冷蔵庫を買ったら」ということだろう。
6月25日の日記
「今日、冷蔵庫を買った。これでやっとまともな生活ができるというものだ。しかし3万500円。親のすねを大きくかじった。自分にそれだけのことをしてもらう価値なんかたぶんありはしないだろうに。無意味のような浪費を親にさせている。」
と書いてある。
6月26日の日記
「何やら冷蔵庫の音がうるさくておちついていられない。
こんなに音のするものであろうか。
保証書もおいていってくれなかったので、だまされた感じである。
部屋が狭くてまわりが静かだから感じるのかなァ。
でも、M子の家では気にならなかったのだがなァ。
イヤなことばかりである。」
この時に買った冷蔵庫は、第一家庭電器という店で買った。当時、小型の冷蔵庫はだいたい2万8千円くらいで、今のように冷凍室はなく、製氷室だけの扉が1つのものだった。
そこにいくと3万円というのはちょっと高いのだが、私は部屋を緑とピンクで配色していたので、グリーンの冷蔵庫が欲しかったのだ。しかも、取っ手のデザインなどがすっきりしていて気に入ったのを選んだ。
4畳半の狭い部屋に置いたわけだから、今で言ったら、キッチンの冷蔵庫の前に布団を敷いて寝ていたようなもので、普段は意識しない音も目立ったようである。
特に、故障をしていたわけではなかった。
18歳の子が3万円の冷蔵庫を買うというのは、親からお金を出してもらうとはいえ、結構大変な行動であった。電気屋に行ってものを選び、店員を呼んで配達の日を決めたりするのは、初めての経験だったのだ。保証書は本当についていなかったのかわからないけれど、なかったからといって催促するなんてこともできなかったように思う。ちなみに家賃は1万4千円だったので、家賃2カ月分よりも高いことになる。
この冷蔵庫は、私が結婚して大きな冷蔵庫を買った後、東京で1人暮らしを始めた従兄弟に上げた。
追記:
冷蔵庫を買った「第一家庭電器」という店は、当時はどこの駅前商店街にもあった家電の店だが、すでに見かけなくなった。wikiで調べてみると、ちょうど私が冷蔵庫を買った1970年代末が最盛期であり、当時は家電のトップであり、80年代にもトップはゆずったものの200店舗を数えていたそうだ。しかし、その後、家電量販店の大型化に乗り遅れ、消費税の値上げの影響もあって売り上げが落ち込み、パソコンの販売にも乗り遅れて、1990年代には赤字。バブル期の債務なども膨らんで、赤字は解消されず、ついに2002年には経営破綻となったそうだ。道理で、今ではどこにもないし、このぐらいの規模の家電の店は商店街から消えてしまった。
うちの娘たちが1人暮らしをするときには、新宿や吉祥寺の大型家電量販店で1人暮らし用家電お買い得セットのようなものを買った。冷蔵庫・洗濯機・電子レンジを合わせて8万くらいだったように思う。掃除機や炊飯器も買った。あとはテレビも用意した。冷蔵庫は2ドアで、当然冷凍庫がついている。時代は変わった。
私が1人暮らしを始めて、冷蔵庫を買ったのがやっと6月25日だったということだ。
6月20日の日記には、「冷蔵庫を買ってもらおう」と書いてある。
実家の母は、短大入学前に私と一緒に東京にやってきて、電気炊飯器・オーブントースター・こたつ・ファンシーケース・カラーボックス・小さな食器戸棚、等を買いそろえて1泊して帰っていったが、冷蔵庫は買わなかった。1日ではそこまで手が回らず、4月の初めころはまだ涼しかったからだ。
私が何を飲食して暮らしていたかと言えば、結局、牛乳やジュースを買い置きすることはできなかったし、納豆なんかも無理だったと思う。
果物や野菜も買ったらその場で食べてしまうしかなかったはずだ。
おそらく、朝ごはんは缶づめのおかずなどで、飲み物はお茶を沸かしていたのだろう。
当時は、まだコンビニなんかも無かったので、今のように、弁当などを買ってきて食べるというわけにはいかなかったはずだ。
今から思うと、驚くべき生活である。
プリンスメロンを食べる。トマトを食べる。
などとも日記に書いてあるけど、「冷蔵庫を買ったら」ということだろう。
6月25日の日記
「今日、冷蔵庫を買った。これでやっとまともな生活ができるというものだ。しかし3万500円。親のすねを大きくかじった。自分にそれだけのことをしてもらう価値なんかたぶんありはしないだろうに。無意味のような浪費を親にさせている。」
と書いてある。
6月26日の日記
「何やら冷蔵庫の音がうるさくておちついていられない。
こんなに音のするものであろうか。
保証書もおいていってくれなかったので、だまされた感じである。
部屋が狭くてまわりが静かだから感じるのかなァ。
でも、M子の家では気にならなかったのだがなァ。
イヤなことばかりである。」
この時に買った冷蔵庫は、第一家庭電器という店で買った。当時、小型の冷蔵庫はだいたい2万8千円くらいで、今のように冷凍室はなく、製氷室だけの扉が1つのものだった。
そこにいくと3万円というのはちょっと高いのだが、私は部屋を緑とピンクで配色していたので、グリーンの冷蔵庫が欲しかったのだ。しかも、取っ手のデザインなどがすっきりしていて気に入ったのを選んだ。
4畳半の狭い部屋に置いたわけだから、今で言ったら、キッチンの冷蔵庫の前に布団を敷いて寝ていたようなもので、普段は意識しない音も目立ったようである。
特に、故障をしていたわけではなかった。
18歳の子が3万円の冷蔵庫を買うというのは、親からお金を出してもらうとはいえ、結構大変な行動であった。電気屋に行ってものを選び、店員を呼んで配達の日を決めたりするのは、初めての経験だったのだ。保証書は本当についていなかったのかわからないけれど、なかったからといって催促するなんてこともできなかったように思う。ちなみに家賃は1万4千円だったので、家賃2カ月分よりも高いことになる。
この冷蔵庫は、私が結婚して大きな冷蔵庫を買った後、東京で1人暮らしを始めた従兄弟に上げた。
追記:
冷蔵庫を買った「第一家庭電器」という店は、当時はどこの駅前商店街にもあった家電の店だが、すでに見かけなくなった。wikiで調べてみると、ちょうど私が冷蔵庫を買った1970年代末が最盛期であり、当時は家電のトップであり、80年代にもトップはゆずったものの200店舗を数えていたそうだ。しかし、その後、家電量販店の大型化に乗り遅れ、消費税の値上げの影響もあって売り上げが落ち込み、パソコンの販売にも乗り遅れて、1990年代には赤字。バブル期の債務なども膨らんで、赤字は解消されず、ついに2002年には経営破綻となったそうだ。道理で、今ではどこにもないし、このぐらいの規模の家電の店は商店街から消えてしまった。
うちの娘たちが1人暮らしをするときには、新宿や吉祥寺の大型家電量販店で1人暮らし用家電お買い得セットのようなものを買った。冷蔵庫・洗濯機・電子レンジを合わせて8万くらいだったように思う。掃除機や炊飯器も買った。あとはテレビも用意した。冷蔵庫は2ドアで、当然冷凍庫がついている。時代は変わった。
今の時代、子供は結構好きにやってます。バイト代であれこれ買ったり旅行したり。カメラなんて何やら立派なものを持っていて驚きました。
欲しいものも時代によって違いますね。あれこれ思い出しました。
それにしても、ホントに時代は変わったもので、今では携帯電話もあるし、テレビは薄くなったし、便利な世の中になりましたね。