山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

自分を守れ

2017-07-24 22:23:45 | 日記2017
新国立競技場の建設作業にあたっていた若い現場監督さんが、過労で心身ともに疲れ果てて自殺してしまったそうです。
オリンピックに間に合わせるために、毎日苛酷な労働が続いていたそうで、まだ若い新卒の社員さんには重すぎる仕事だったのでしょう。

こういう出来事はこのほかにもありました。

平成20年、ワタミで26歳の女性社員が過労自殺。
平成28年 電通で24歳の女性社員が過労自殺。

そのほかにも色々あるのだと思います。

こういう事件をみていると、どうして仕事をやめなかったんだろうと思います。

きっと、とても真面目な人たちで、辛いことから逃げてはいけないと耐えていたのでしょう。

でも、人間は耐えることばかりが良いことではないと思います。

常識を外れたほどのノルマや責任を負わされるのは、負わせる方が間違っているのだし、
もし、それが他人にとって簡単にできることであっても、
自分にとって背負いきれないものであるならば、
それは、放棄してもいいのだと思います。

いえ、放棄するべきです。

自分の心や命を守ることが第一です。

他人が根性がないとか、無責任だとか言っても、そんなことは関係ありません。

自分を守り続けること

それが大切です。

大変そうだからって、他人が気をきかして守ってくれるわけではない。

自分を守れるのは自分しかないし、辛さがわかるのは自分自身しかない。

他人には悪意もありません。気が付かないこともあります。

ある日、突然その場から消えてしまってもかまいません。

辛いものから逃げてください。

さっさと、楽な仕事に転職してください。

正社員じゃ無くても大丈夫です。

たとえ、突然姿を消そうとも、無断欠勤しようとも、どこかで生きていてください。


人にできることが自分にできないが

2017-07-24 22:18:14 | 日記2017
このブログの、プロフィールに書いてある通り、
私は、他人にとって簡単にできることが、自分にはできないことばかりなんです。

だから、コンプレックスのかたまりです。

でも、実はね、

人にできないことで私には簡単にできることがあるんですよ。

だから、私はそれについては、内心自分がピカイチだと思っているんですが、

それが何かは

秘密だよ~

ネット社会になってよかったこと

2017-07-24 20:05:48 | 日記2017
それは、自分以外にも変な人間が多数いるってことがわかって、安心できることです。

たとえば、マラソンでいつもビリになるとか、運動神経がクラスで1番鈍いとか、そういうことがあるわけですが、田舎の1クラスしかない小学校で育った私は、6年間そのコンプレックスをたった一人で背負って生きてきたのでした。

でも、それがもし3クラスある学校だったら、クラスでビリは合計3人いるわけです。
そして、今のようにインターネットで悩み相談などを見ると、そんなことで悩んでいる人が数えきれないくらいいるわけです。

給食で、嫌いなものが食べられなくて困ったとか、ドッジボールが怖くてできないとか、いっぱいますね。

だから、子供が好きな人もいれば嫌いな人もいるし、
同性しか好きになれない人だっているだろうし、

そうだ、スキップができない人も結構いることが分かったのです。

こういうことは、表立って公表できないものでしたが、今では珍しい人間ではないことがわかったので、テレビの芸能人でも、恐ろしく運動神経の鈍い人間や、音痴の人、部屋を片付けられない人間、九九ができない人間などなど、明るく取り上げられています。

最初は、そのような少数の特徴ある人々が無名で存在を告白していたのでしょうが、いっぱいいるとわかれば、そう言う人だっているんだよ、がんばってるんだよ、ということで、差別意識もなくなってきたのですね。

だから、幼児観察の宿題をやらなかった人も、クラスではたった1人だったけど、日本全国では100人くらいいたかもな、と思うのでした。

やらなかった夏やすみの宿題(幼児観察)

2017-07-24 18:52:56 | お題
夏休みの宿題は計画的だったか?

学校が無理やり計画的にすごさせるように仕向けてきますから、計画的にやらざるを得なかったのでは?

私が子どもの頃は、小学生は「夏休みの友」というのがあって、そこに練習問題などが載っていて、それを何日にどこからどこまでやる、なんていう計画を立てさせられたので、一応はそれに合わせてやり始めました。

それでも、ちょっとさぼったりして休みの終わりころには多少溜まりはするのですが、追いつかないほどではないので始業式の数日前には焦りだして、9月1日までにはやり終えたと思います。

そのほかに、自由研究で絵を書いたり、植物を育てたり、工作をしたりもしたし、日記なんかも書かされましたね。

中学のときの同級生の男子なんか、毎日「朝起きて夜寝た」と書いている子がいたのを覚えています。

さて、人生でたった1度だけ、やらなかった「夏休みの宿題」があります。

それは、中学3年のときに、赤ちゃんや幼児の観察をするという女子の家庭科の宿題でした。

実は、私は「赤ちゃん」や「幼児」っていうのが、大嫌いだったんです。
キライっていうか、どうやって接したらよいかわからないわけです。

でも、友人も同級生のすべての女子が、赤ちゃん大好きだったのですね。
親戚の子や近所の子と遊んだり、世話をしたりして、夏休みが終わると、みんなそれぞれにちゃんと宿題をやってきていました。

でも、私は結局、幼児と遊んだり赤ちゃんの様子を見たりはしなかったのです。

この時、赤ちゃんの宿題をやっていかなかったのは女子2クラスの合同授業で私1人でした。

2学期の最初の授業で1人ずつ赤ちゃん体験を発表させられたんですが、私は「隣の家にいる2歳くらいの女の子が毎日お父さんが帰ってくるのを楽しみにしていて、帰ってくると喜んでいます。」終わりでした。

他の女子たちは、もういろいろと具体的な体験談を語るわけです。私は3秒くらいで終わってしまったわけですが、みんなは最低数分間はしゃべってました。

何がどうして、ものすごくかわいです、とか、何が好きで何が嫌い、何ができるできない、おもちゃが、食べ物が、言葉が、等々、・・・・・
もうみんな生き生きしてすごいんです。

この宿題をやらなかったせいで、私の家庭科の成績は4段階落ちました。

こんな宿題、今もあるのかなと思ったら、あるんですね。

yahoo知恵袋なんかに相談が載っていますね。

実際に、幼児と接触しないのに観察記録を書くのは大変ですね。
今は、you tube で子どもを見たりして、できるかもね。

今になってみると、あの時は、友達にたのんで、便乗させてもらえばよかったなあと思いますが、
本当に、小さい子がキライだったので、かかわりたくもなかったのですね。

それは、自分が小さいときに、母がよその赤ちゃんを預かっていて、私に触らせなかったというトラウマがあったのだと、今になって原因が思い当たります。

その後、姉の子供を見たり、自分の子を育てたりして、子供恐怖症は治りました。(もともと子どもというものが嫌いなわけではなく、幼児期に、かかわりを禁止されていたというか、模範的な対応ができなければかかわってはいけないと思いこんでいたのが原因だと思います。)

あの宿題が、一番難しかったなあ。

どんなに計画を立てようと、できないものもある。精神的に、計画さえもたてられないものがある。

人が簡単にできることが自分にはできない。そのうちの1つでした。