SCSIコントローラカードが届いた。早速設置して読み込んでみる。カードが認識できてドライヴァーも順調なのを確認してから、スキャナーに電源を入れてXPに読み込ませてみると型名を読み込んだ。これでハードは問題なく接続できた。
そこでスキャナーを使うペーパーポートと称するソフトを探す。新しいものは無いようで、仕方なくWIN95用のをインストールしてみる。問題なくインストールできたかに見えた。そして読み込みボタンを押すと書類を上手く読み込んでくれた。と同時にそのソフトは落ちた。XPで95用のソフトを使おうとするのが間違いだと思ったが、ここまでこればなんとかなると感じた。そしてデスクトップを覗いていると、スキャンとして読みだされていることに気が付いた。それをクリックすることで全く問題なくスキャン操作ができることが分かった。これで所期の目的が達成されたのだ。
費用は、電源部40ユーロ、WLANカード17ユーロ、コントローラ9ユーロで〆て送料込み66ユーロ程度となる。なるほど作業時間がかなり掛かっているので、安くはないのだが、これでWIN95を卒業できそうだ。そして、ヒューレットパッカード社の素晴らしいスキャンナーScanJet4Pを心置きなく使える。解像度はそれほどでなくとも、これだけの機能をこの価格で揃えることなどは現在でも不可能である。
そこまでは良かったのだが、それからが大変だった。最終段階で、リノクッスをインストールすることになって、初めて問題が生じた。どうもパーティションのとり方が良くなかったようで、二つのオペレーションシステムを立ち上げるときのブーストのソフトが上手くインストール出来なかった。やはりスペースが開き過ぎているので、125G以内の場所に置けないという警告が出た。あれほど大きなハードディスクになるとしっかりと読み込み能力に応じてパーティションをしてやらなければいけないということのようだ。結局いろいろやっているうちに折角完成したXPを再び消して、初期化から始めることになった。結局夕飯にもありにつけず、夜中も三時ごろになって初めて床についた。
最終的にはXPにインストールスペースを75Gほどに切って、残りを600Gを大き目にDディストリーとしてシステムを置かないように工夫した。残りのスペース300Gほどがリノックスのスペースとなった。Dをうまく使えば、リノックスなら十分なスペースなのだろう。ウインドーズ95においても最後は戦場のようにありとあらゆることが試されることになる。
またリノックスを入れたり消したりしているうちに大分使い方が分ってきた。やはり一度は修羅場をくぐらないと使いこなせないようにならないようで、ようやくリノックスになれるうちに本来の遊び方ができるようになるだろうか。これは楽しみである。
そして最後の最後に、今まで使っていたWIN95を撤去する段になって、そこに繋がれていたソニーのモニターを弄ることになった。理由は接続端子の針が折れてから、赤色が欠けてしまってまともにカラー映像とはならなくなっていて、ソニーのドイツ総代理でも交換コードがなかったので修理を諦めていたからである。改めてさまざまな修理の方法を考えたが、結局はヴィデオカードのメス型に針を刺して、接続させる方法を再度試みてみた。適当な長さにしておくと穴から再び取り出すことができる。そして過不足なく赤色を再現できた。もしヴィデオカードを壊すことになっても同程度のものならば比較的安価に購入できる。それよりもかなり今でも質のよいトリニトロンを捨てて、新たにPC用にブラウン管を購入することはないので、これで大分助かった。
そして最後にとうとうウィンドーズ95ともお別れのときがやってきたのである。かれこれ十五年以上のお付き合いであった。それ以上に、そのシステムの構築には優に修理を含めて二百時間以上のときが費やされたのであった。当時はドイツ語のOSの上で日本語の環境などは不可能な時代だったのである。あの当時にリノックスがあったならマイクロソフトなどという会社は今でも無名だったに違いない。
参照:
脱WIN95は可能か? 2013-05-28 | 生活
サポート無しの孤独な試み 2005-06-15 | 雑感
そこでスキャナーを使うペーパーポートと称するソフトを探す。新しいものは無いようで、仕方なくWIN95用のをインストールしてみる。問題なくインストールできたかに見えた。そして読み込みボタンを押すと書類を上手く読み込んでくれた。と同時にそのソフトは落ちた。XPで95用のソフトを使おうとするのが間違いだと思ったが、ここまでこればなんとかなると感じた。そしてデスクトップを覗いていると、スキャンとして読みだされていることに気が付いた。それをクリックすることで全く問題なくスキャン操作ができることが分かった。これで所期の目的が達成されたのだ。
費用は、電源部40ユーロ、WLANカード17ユーロ、コントローラ9ユーロで〆て送料込み66ユーロ程度となる。なるほど作業時間がかなり掛かっているので、安くはないのだが、これでWIN95を卒業できそうだ。そして、ヒューレットパッカード社の素晴らしいスキャンナーScanJet4Pを心置きなく使える。解像度はそれほどでなくとも、これだけの機能をこの価格で揃えることなどは現在でも不可能である。
そこまでは良かったのだが、それからが大変だった。最終段階で、リノクッスをインストールすることになって、初めて問題が生じた。どうもパーティションのとり方が良くなかったようで、二つのオペレーションシステムを立ち上げるときのブーストのソフトが上手くインストール出来なかった。やはりスペースが開き過ぎているので、125G以内の場所に置けないという警告が出た。あれほど大きなハードディスクになるとしっかりと読み込み能力に応じてパーティションをしてやらなければいけないということのようだ。結局いろいろやっているうちに折角完成したXPを再び消して、初期化から始めることになった。結局夕飯にもありにつけず、夜中も三時ごろになって初めて床についた。
最終的にはXPにインストールスペースを75Gほどに切って、残りを600Gを大き目にDディストリーとしてシステムを置かないように工夫した。残りのスペース300Gほどがリノックスのスペースとなった。Dをうまく使えば、リノックスなら十分なスペースなのだろう。ウインドーズ95においても最後は戦場のようにありとあらゆることが試されることになる。
またリノックスを入れたり消したりしているうちに大分使い方が分ってきた。やはり一度は修羅場をくぐらないと使いこなせないようにならないようで、ようやくリノックスになれるうちに本来の遊び方ができるようになるだろうか。これは楽しみである。
そして最後の最後に、今まで使っていたWIN95を撤去する段になって、そこに繋がれていたソニーのモニターを弄ることになった。理由は接続端子の針が折れてから、赤色が欠けてしまってまともにカラー映像とはならなくなっていて、ソニーのドイツ総代理でも交換コードがなかったので修理を諦めていたからである。改めてさまざまな修理の方法を考えたが、結局はヴィデオカードのメス型に針を刺して、接続させる方法を再度試みてみた。適当な長さにしておくと穴から再び取り出すことができる。そして過不足なく赤色を再現できた。もしヴィデオカードを壊すことになっても同程度のものならば比較的安価に購入できる。それよりもかなり今でも質のよいトリニトロンを捨てて、新たにPC用にブラウン管を購入することはないので、これで大分助かった。
そして最後にとうとうウィンドーズ95ともお別れのときがやってきたのである。かれこれ十五年以上のお付き合いであった。それ以上に、そのシステムの構築には優に修理を含めて二百時間以上のときが費やされたのであった。当時はドイツ語のOSの上で日本語の環境などは不可能な時代だったのである。あの当時にリノックスがあったならマイクロソフトなどという会社は今でも無名だったに違いない。
参照:
脱WIN95は可能か? 2013-05-28 | 生活
サポート無しの孤独な試み 2005-06-15 | 雑感
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