Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

重要なその視座と視点

2024-05-12 | 文化一般
ブラームスのピアノ四重奏曲は専らシェーンベルクの編曲で馴染んでいて、嘗て言われたように「もう四重奏としては聴けない」の立場に近かった。しかし今回昨年からのブラームスの旅で、ブラームスの視座を漸くえることが出来ていて、そしてこの作曲をシェーンベルクがどのように読み解いたかは手に取るように分かるようになって来た。

なるほど最初の主題が、自分のものでなくて残念と語ったというのもそのもので、ブラームスがそうした目で以って民謡的なものを採取してきたその心眼を表現している。まさしくブラームスの音楽を評価する時のその目である。それはハイデルベルクのレクチャーでも語られていた、ヴィーンの人がそのジプシー的な音楽をどのように受け入れているかの鷲掴みにする音楽文化的な視野である。

それがリズム的にはもはやミニマルとしか考えられないような掴み取りや様々なデフォルメとしても作用していて、音楽伝統をそこに積み重ねていく。全く同じことがシェーンベルク創造であったのと重なり合っている。

日曜日はこれをギドン・クレメルがどのように表現するのか指導しているのかが注目点である。その前に殆ど習作的なインテルメッツェとトリオとまさしくブラームスのそれと重ね合わされていて、こうしたプログラミングを見るにつけクレメルは音を出さなくなっても素晴らしい音楽家だなと思わせる。

そしてマーラーのアダージョにおいての音の選び方と綴り方と、後期ロマン派の作曲家の音楽がここに一つの視座から導かれている。それをアカデミーの若い人たちに身を以て体験させるという教育的な意志とその実践を現場で確認してくるということになりそうだ。

ワインも試飲してきた。いつものように例年通りであるが、2022年の特徴は夏の日照りで養分が足りなくなって、醸造の時のアルコール化で若干の塩化作用を起こしたということだろうか。葡萄の使い方でそれが顕著に表れているものがあって、亜硫酸臭のようなものを皆が感じたようである。勿論それは批判的な官能判断となるのだが、現実にはなんらケミカルが余分に使われた訳でも葡萄が腐っていた訳でもない。

秋にも試飲するのでその時の印象が重要になる。基本的には酸が弱ければそれだけミネラル成分が表に出てくるので苦みや所謂土壌の味を楽しむことになる。だから酸がしっかりしていることがワインの場合には重要で、特にリースリングの様にミネラル風味と酸の配合で楽しむ天然の配合こそが神の雫となる。糖を残さない辛口の醸造をしてこその醍醐味が試される。要するに上の塩化とミネラル風味というのは関係がある。ワインにおいての酸の重要性はそこにあって、それがグラスの中での色合いとなる。

こうした知識で以っ本年のワインの試飲においては注意点になったり、その葡萄の状況をそのミクロクリマの差異から察したりすることになる。言えばこれだけの情報を持っているだけで、どこの試飲会に行ってもズバッと栽培と醸造の奥の領域までに深く入って話しを聞く機会が増えるのである。なにもワインを上手い不味いで語ることが玄人でないのは、音楽などでも全く同じで、傷があったかどうかなどは全く重要な話題にもならないという事だ。



参照:
僕のインテルメッツォ 2024-05-08 | 女
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自己最高額の普段履き | トップ | 肯定的な世代交代の意味 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿