Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

帰納的に破局を語る

2024-05-21 | 文化一般
日曜日の演奏会の感想だけでも書き留める。SWRがカメラを入れて生中継して本放送も月末にあるので詳細は改めるとして、会場の反応自体も見ものだった。

なによりも、聴衆も期待半ばで出かけて来ていた筈で、通常の地元放送交響楽団の聴衆というのではまたなかった。なるほどそこのロシアの指揮者との比較とかそういう興味から、後任のロート氏を知っている聴衆など、ブーレーズのお誕生日会に来ていた聴衆も少なくなかったであろう。

シネマ交響楽のタイトルの通り、真面な曲は精々リヒャルト・シュトラウス作曲「ツァラストラはかく語りき」程度でしかないと思っても態々出かけてきたのは今最も注目されているスター指揮者とされるタルモ・ペルトコスキ―を一度生で聴きたいという聴衆が多かったろうか。

その意味からすると一曲目の映画音楽組曲は腕試し程度にしか受け留められいなかったかもしれない。「ヴァルキューレ」と「トリスタン」に引用が使われているとしてもそのヒッチコックのサンフランシスコの映像の様には印象に残らない。その映画をもとにヴィーンモデルンで大成功した指揮者エンゲルが同曲を振っていたならば映像を更に創造させるような表情を読み起こしていたかもしれないが、この若い指揮者にはそうした音楽劇場の経験もなく、ハリウッド映画音楽以上のものではなかった。実際にインタヴューで、そうした音楽が交響曲演奏会で演奏されることは敷居を下げることになるので推進するべきだとする一方、その限度はジョン・ウイリアムスと名指ししていたことで、映画鑑賞をホビーとするこの指揮者が考えている事の軽さというものが表されていた。

お待ちかねの「かく語りき」の演奏は、この指揮者が如何ほどに楽譜を読んでいたかが知れるもので、譜面は使っているようだが、全く音楽が入っていなかった。若い指揮者が急に大管弦楽団での仕事が入ると、その客演での練習時間などの限界が明らかだった。指揮以前の問題で、あの天才ペトレンコでも40歳過ぎにしてそのコンサートレパートリーの少なさが心配された事を思い出して欲しい。流石に会場は静まり返って、指揮者への反応も冷たく楽団が座って待っていても予定の返礼も出来ない程だった。

同じ会場で経験した今迄の最低の生演奏であったブロムシュテット指揮ヴィーナーフィルハーモニカー程ではなかったのだが、やはり同じ会場で経験した浮いたエッシェンバッハ指揮の同楽団を振ったシュトラウスプログラムよりも酷かった。

このような演奏で誤魔化そうと思っても真面な聴衆が集う限り不可能であり、来年の復活祭でも売れているがあまりにも才能の無いマケラ指揮の演奏会からその翌年からのマケラ指揮のコンセルトヘボ管弦楽団との復活祭の失敗が予想されたような出来事だった。斜め前の列に座っていた支配の顔を見る気にもならなかったが、少なくともこちらの対応だけはしっかりと見て貰った。

首を洗っておけであった。昨年初めてこの指揮者を経験した時も一緒であったが、ここから帰納的に復活祭の今後のカタストロフが予想されることになる。破局と帰納では辻褄が合わないのだが、先が見えたと本人も感じたのではないか。

一体その「かく語りき」で何が語られたのか。(続く



参照:
全てを食う赤い奴 2024-05-20 | 料理
なんじゃらほい交響楽 2024-05-19 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする