時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アメリカ内戦化への懸念と移民政策(3)

2024年02月29日 | 移民政策を追って
アメリカ大統領選は、民主党バイデン大統領と共和党トランプ前大統領、両候補の対決という大波乱含みの構図になりそうだ。いずれの候補者も、アメリカのみならず世界の動向を左右しかねない大きなリスク要因を抱えている。一国の屋台骨が揺らぎかねない衝撃となるかもしれない。


アメリカの行方を左右しかねない諸課題のなかで、移民政策は国民の誰もが大きな関心を寄せてきた。バイデン大統領もトランプ前大統領もヨーロッパからの移民の子孫である。しかし、両者の政策的な立場は大きく異なる。すでに記したように、バイデン大統領は就任当時は移民に対して”寛容な”立場を維持してきた。他方、トランプ前大統領は”不寛容”であることを表明してきた。

現地時間2月29日には、二人は競うようにバイデン大統領はメキシコ湾岸都市ブラウンズビル、トランプ前大統領はブラウンズビルからおよそ500キロほど離れたイーグルパスを訪れ、不法移民の現状を視察した。しかし、両者の間には政策面で依然大きな隔たりがあり、バイデン大統領が望む超党派的妥協が成立するか、予断を許さない。すでに、バイデン大統領の提示するウクライナ戦争への関与と抱き合わせの案は、ほぼ失敗に終わっている。


N.B.
バイデン大統領以前のアメリカの移民政策については、次の概要をご参照ください。


激変した国境
実態に立ち戻ると、バイデン政権になってから、南部のメキシコ・アメリカ国境での越境者遭遇 encounters はかつてなく激増し、政権としては不本意ながらトランプ政権の政策に歩み寄らざるを得ない状況になっている。ちなみに、2023年12月には30万人が身柄を拘束され、過去最多となった(アメリカ税関・国境警備局CBP)。

さらに、注目すべき変化が起きている。不法越境者の激増に加え、これまではメキシコ系に続き、中南米諸国からの越境者が増加していたが、最近は中国からの越境者が急増している。これまではほとんど見られなかった現象である。2023年会計年度でも24,000人を越える中国人越境者が拘束 apprehend *されている。カリフォルニアの国境の一部では、拘束された越境者の30%近くが中国人であった。こうした傾向は、2024年に入っても継続している。昨年10月、11月の2カ月だけでも、南西部の国境で9000人を越える中国人越境者が拘束されている(Arthur 2024)。

拘束(Apprehensions):遭遇した非合法移民を、物理的に拘 束したり、一時的に拘留(Detention)したりすること。

カリフォルニア州サン・ディエゴで拘束された中国人不法越境者の調査によると、彼らの不法な越境を手引きする仲介業者coyoteに支払う金は、$40,000 から$60,000であり、”Latinos” と呼ばれる中南米諸国からの越境者が支払う$6,000から$10,000と比較して、著しく高額である。

アメリカを目指す中国人が、中国本土あるいは香港からメキシコ国境に到った経路はさまざまだが、ある男性単身者はタイ、モロッコ、スペイン、そして査証の要らないエクアドルを経由し、メキシコに入り、アメリカ・メキシコ国境に到達したと述べている。ケースによって様々だが、アジアからの移動の場合、およそ50日から3ヶ月を費やす長旅となるという。他方、南米から航空機を利用した場合、最短で4日程度で国境線にまで到達した例もある(朝日新聞)。


グローバル・マイグレーションを生み出す動機
背景として、中国のゼロ・コロナ政策下の移動禁止に伴う停滞、不動産不況など国内経済の顕著な低迷、将来への不安などに見切りをつけ、「自由」で「未来」が期待できるアメリカへの移住決意などが挙げられる。

中国においてアメリカ入国の査証申請をしたが認められなかったために、こうしたリスクの大きな不法移民(入国審査に必要な書類を保持しない)の道をとる決意をしたという者が多い。中国からアメリカへの旅には、同様な経路を辿った者によって、推奨される経路が出来上がっているようだ。TV報道などでは、こうした道を殆ど途切れることなく歩いて国境を目指す人々の光景が放映されている。

なぜ、この時期に多くの中国人がアメリカへの不法入国を企てるのか。ひとつの要因として、バイデン政権が原則「勾留をしない」政策 non-detention policyを標榜しているのがひとつの要因とされている。トランプ前大統領は、これを ”catch-and-release”policy として批判してきた

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NTA( Notice To Appear)「出頭命令」は、アメリカ政府が当該文書を受け取った者に国外退去を迫る措置を開始することを示す最初の文書であり、これを受け取った者は移民裁判所へ出頭が求められる。
An NTA is a document that instructs an individual to appear before an immigration judge. This is the first step in starting removal proceedings against them
トランプ前大統領は、バイデン政権の行っていると言われる南部の国境で1日5000人近い越境者に対し、簡単な聞き取りを行っただけで、解放する対応をしてきたことを”catch-and-release”policy として批判してきた。この措置は強制退去と異なり、国内難民認定の申請 の機会は与えられず、追放先も出身国である必要はなく、越境 の直前の国となる場合が殆どだった。追い払うだけなので非合法越境 の記録が残らず、何度も越境を試みる者も出ていた。こうした状況で、この措置は2023 年 5 月で廃止となった。

入国管理事務所で入国が認められなかった者に発行されたNTAの数

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アメリカ入国査証を保持しない中国人にとって、アメリカに入国、滞在を認められる唯一の道は、「庇護申請者」assylum seeker として申請、認められることだが、アメリカ国内に居住できる法的地位を取得することは非常に難しい。政治、宗教上の迫害なども立証が難しい。中国人の公式文書の偽造の多いことなどもひとつの要因となっている。裁定する移民裁判所判事の側からも、現地駐在などの経験がない限り、短い時間で申請者を正しく裁定することは困難である。

さらに、不法越境であるかを裁定する移民裁判所の判事が決定的に不足しており、増員は測っているが、対象となる越境者の増加に追いつかないことが指摘されている。

アメリカの移民政策は、この国が移民立国を主柱として発展してきただけに、他国には類を見ない複雑な要因の中で政策を設定、実施してゆかねばならないという課題を担っている。グローバル・マイグレーションの圧力が日に日に強まる中で、世界最大の移民受け入れ国アメリカは、いかなる舵をとるだろうか。日本ではほとんど議論すらされない問題が多々あることを指摘しておきたい。


続く

References
Andrew Arthur, Report:CBP ‘Watering Down’ Vetting for Chinese Migrants, January 2024
「米議会 移民対策の法案頓挫」『朝日新聞』2024年2月
終わりなき旅 混迷のアメリカ移民制度改革

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アメリカ内戦化への懸念と移民政策(2)

2024年02月21日 | 回想のアメリカ


トランプ、バイデン政権下の不法越境者の推移

バイデン政権下、2022年に220万人の記録的水準に達した。
2020年3月、Title 42の導入、2023年3月失効

今年11月に予定されるアメリカ大統領選は、バイデン大統領、トランプ前大統領の対決になりそうだが、両者共に思想、言動、健康、訴訟など大きな問題を抱え、どちらが当選しても波乱含みとなることは避け難い。とりわけ、トランプ政権が実現しない場合、不満分子の間に暴動などの発生が不可避ともいわれ、南北戦争の再来とまでは行かないまでも国民の間に大きな分裂が生まれる可能性が高い。

鍵を握る移民政策の成否
すでに対決は始まっている。政策面でそれが最も顕著に表れているのは、移民政策の次元で見られる。当事者の利害はしばしば錯綜し、解決の糸口を見出すことが難しい。日本では詳しく報じられなかったが、今年になって民主・共和両党間のウクライナ支援と併せての妥協案も失敗に終わったようだ。

新型コロナウイルスがもたらしたパンデミックは世界の人流を大きく変えた。その概略は最近も記したことがある。感染防止のための様々な政策措置によって、コロナウイルスの感染拡大は、世界中で移民の増加にブレーキをかけた。

世界中で人流が制限されると、少しでも入国が可能な開口部があると、その地域へと人の流れは転換し混乱が起きる。世界を見渡すと、入口が広い地域としてはアメリカ・メキシコ国境、エーゲ海地域、英仏海峡、地中海などがそれに当たる。

今回はアメリカ・メキシコ国境の状況に目を向けたい。このブログが定点観測点としてきた地域のひとつである。まず、今日に至るまでの経緯を簡単に記しておく:

トランプ政権下では、壁の構築、増強、不法越境者の強制送還など、強圧的ともとれる制限的政策が実施された。トランプ前大統領が選挙活動を始めた2015 年、アメリカ・メキシコ国境などで違法な越境を試みた者(遭遇)encounters(N.B.)の数は1971年以来の低さだった。しかし、政権が交代し、2019年に入るとその数は激増した。

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N.B.
国土安全保障省の税関国境警備局 (Custom and Border Protection: CBP)のパトロールが、違法に越境入国 を試みた非アメリカ人に遭遇すること。この後、「拘束」・ 「入国不許可」・「追放」などの対応が採られることに なる。この内、「拘束」「入国不許可」は Title 817という移民関 連の法典に、「追放」は Title 4218という公共衛生に係る法典 に基づいて、CBP が違法移民を取り扱うことを指す。親に連れられた年少者(Accompanied Minors :AM)、家族の構成員(Individuals in a Family Unit : FMUA)、単身の成人(Single Adults)、親などに随伴していない子ども(Unaccompanied Children :UC)を含む。違法な越境者の代理指標として使われている。
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トランプ前大統領は、在任中から不法移民の受け入れに関する取り締まりの強化を主張し、アメリカ・メキシコ国境の壁を構築、強化することを主張してきた。

具体的には、Covid-19のパンデミックが拡大し始めた2020年3月、Title 42として知られる強硬な政策を実施に移した。国境で拘束された庇護申請者を含む違法移民を即時に追放するという政策が含まれていた。この措置でおよそ40万人がトランプ大統領が退任した2021年1月までに、何ら法律的対応もなく追放された。この過程で、およそ7万人はアメリカでの審査を待つため、メキシコへ追い戻された。彼らの中にはそこでみぐるみ剥奪されたり、暴行されるなどの被害を受けた者もいた。

寛容を掲げたバイデン政権の苦難
他方、バイデン大統領は当初、移民への強固な入国制限に反対し、国内に居住する不法移民を審査の上、適格とみなしうる移民を段階を追って最終的に国民に繰入れ、不適格者を本国へ強制送還するなどの措置を進めてきた。

バイデン政権は、コロナ危機に終止符を打ち、Title 42が失効した2023年3月までに、妥当な条項は維持しながら、2百万人強の違法移民を追放した。

トランプ、バイデン両政権の間で激しい議論の対決があった点として、子供を伴った家族の越境者への対応があった。トランプ政権は「ゼロ不寛容 zero-tolerance」政策と称された違法越境者を即座に送還する措置をとった。時には子供を親などの保護者から引き離して、本人だけを本国へ強制送還した。子供はアメリカ政府の保護下に置かれた。2017年から2021年の間に少なくも3900人の子供がこの措置で保護者から引き離された。

バイデン政権に移行すると、この措置は改められたが、2023年3月時点で、約1000人の子供が親などから引き離されたままにあるとされている。

政権がバイデン大統領に代わり、2021年に入るや、越境者数は急増した。南西部国境での越境者は2021年会計年度には大きくリバウンドして、2000年度の水準を上回った。さらに、2023年12月には249,000人とほとんど25万人という記録的な高水準に達した。アメリカへの流入圧力は極めて強く、再選を目指すバイデン大統領にとっては政治生命がかかる重要課題となった。

バイデン政権は予算を浪費すると批判された勾留を減らし、入国のための面接審査を受けるため、メキシコ側で待機する数も削減した。そして出入国、税関などの審査事務手続きが実施される正式の入国審査所 ports of entruyに入国希望者を誘導し、スマートフォンなどでの予約、面接手続きを経て、可能性のある者は可否が定まるまで1~2年のアメリカ滞在を認める政策をとった。さらに指定されない他の地域から不法に越境を試みた者は、庇護申請者 assylum seekerの資格なしとされ、例外なく即時送還されることになった。


ports of entry 正式の入国審査地点の例

しかし、現実には不法越境者は発見されても、送還されずにアメリカ国内に放置され、公式の越境認可を得た者をはるかに上回った。バイデン政権の抑留者削減策の不徹底と庇護申請の判定にあたる裁判官の著しい不足が、こうした事態を生んだ。バイデン政権は、アメリカ国内に家族がある越境者のおよそ10万人が入国を認められたとしているが、統計上の裏付けは十分ではない。

結果として、激流の如き人の流れがアメリカ・メキシコに国境に押し寄せている。

後手に回ったバイデン政権
こうした追い詰められた状況で、バイデン政権はトランプ時代に進められた国境の物理的障壁を構築することを静かに進めてきた。トランプ前大統領から自分の政策を模倣したに過ぎないではないかとの批判をなんとか回避するためである。2023年10 月にはバリアー(壁)建設 の計画を公表している。移民問題は党派を越える共通課題であるとの認識を形成したいのだろう。

共和党が主張している内容には、国内に滞在する難民認定の 条件強化・拘留施設の能力拡大、Title 42 の様な国境での追放の復活等が含まれる。これにも、バイデン政権が静かに歩み寄っているのが実態と言える。大統領選活動中は「自分の目の黒いうちは 1 フィートの壁も建設させない」としていたバイデン大統領だけに、その変貌には驚かされる。

グローバル・マイグラントの増加
バイデン政権下での違法越境者の記録的な増大の背景として、政策上の対応の甘さ、遅れなどが指摘されているが、そればかりではない。違法越境者の出身国が拡大したことで数が潜在的にも非常に多くなり、結果として国境に押し寄せる人流の圧力が、きわめて増大していることを指摘できる。

長らく隣国メキシコ人が圧倒的であったが、近年は北方トライアングルといわれるエルサルヴァドル、グアテマラ、ホンデュラスなどの出身者が増加している。その後ヴェトナムが増加し、さらにインド、ロシア、中国からの庇護申請者が目立つようになっている。越境の可能性があれば、地球上の距離をものともせず、苦難の旅をしてくる。グローバル・マイグレーションの時代の本格的到来といえる。

次回では、この新しい動きを掘り下げてみたい。

続く

2024年2月21日、説明不足な点を補足。



N.B. ブログ筆者は、1996〜2000年、日本の研究者と協力して、カリフォルニア大学サンディエゴ校「アメリカ・メキシコ研究センター」と共同で、アメリカ、サンディエゴ(メキシコ・ティファナを含む)地域と日本の浜松市地域における外国人(移民)労働者の大規模な比較調査を組織・実施した。今日に至るまで質量共にこの調査を上回る国際比較調査は行われていない。ちなみに当時のアメリカ大統領はビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュであった。
桑原靖夫編『グローバル時代の外国人労働者:どこから来てどこへ』東洋経済新報社、2000年

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アメリカ内戦化への懸念と移民政策(1)

2024年02月13日 | 回想のアメリカ
アメリカ・メキシコ国境を越える不法移民の推移
〜記録的な水準へ〜
南西部国境、会計年度毎の送還、拘束者数



出所:COUNCIL FOREIGN RELATIONS


日本の将来にとって、アメリカ、中国という2大国の動向は重大な関心事であることは言うまでもない。しかも両国共に最近は不安定要素が急速に増加している。

今回は本ブログの関心事でもある11月に予定されているアメリカ大統領選に関連する移民政策の動向について、最近時の動きを記しておきたい。

この数年、ブログ筆者の頭脳の片隅から去らない大きなテーマは、アメリカが分裂し、暴動化、極端な事態では「内戦化」することを回避できるのかという問題であった。ここでの「内戦」civil warとは、アメリカ建国以来の南北戦争 the Civil War (1861-65)に関わっており、本ブログでも多少記したことがある。ひとつの例は、共和党が入国した不法移民に、民主党優位な北部諸州の都市へ移動するよう誘導し、南部諸州が抱える移民問題を北方へ押し上げようとしているとの問題が指摘されている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
直接的な引き金となったのは、2022年1月25日号のNewsweek 日本語版の表題『2024年の全米動乱:アメリカ内戦の足音』なる記事であった。表題自体が極めてセンセーショナルで直ぐに手に取った。その骨子は、今年2024年に予定されるアメリカ大統領選で、トランプ前大統領が共和党候補として認められない、あるいは共和党候補として公認されたとしても、100万人を越える怒れるアメリカ人が、武装蜂起をするリスクが高まっているという問題であった。




さらに、より緻密な分析である下掲書からも衝撃を受けた。
 Barbara F. Walter, How Civil Wars Start: And How to Stop Them (English Edition) 2022, Kindle版 2023(邦訳:バーバラ・F・ウオルター(井坂康志訳)『アメリカは内戦に向かうのか』(東洋経済新報社)2023年4月)



本書は、表題がセンセーショナルなこと、アメリカの政治に関する日本人の理解度、アメリカの枠を超えて論じられる広範囲なトピックスなどもあってか、日本では必ずしも十分な評価を得ているとは思えないが、深い内容を包含する力作である。「訳者あとがき」「解題」などが付されていないのが、惜しまれる。アメリカ国内の北部、南部諸州に根強く残る政治的、社会的風土の差異が十分に伝わっていない日本では、本書だけでは理解し難いところが多い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

民主党バイデン大統領と共和党トランプ前大統領の間には、外交政策、国内政策など、多くの対立点がある。ここでは両者の大きな争点のひとつである移民政策に焦点を当ててみたい。

本ブログでも記した通り、アメリカ・メキシコ国境をめぐる流入する移民への対応についてトランプ政権は「壁」の構築強化を含み、強硬な政策を掲げてきた。他方、バイデン大統領は政権移行してからの急激な流入増加に苦慮し、当初の寛容的な姿勢から転じ、超党派の法案成立に期待する方向へと舵を切ってきた。法案が成立すれば過去数十年で最も厳しい移民規制となると評されてきた。

不法移民、難民、庇護申請者などが急増したこともあるが、移民に寛容的政治姿勢を掲げたバイデン政権にとっては、方向転換は不本意なことであったことは想像に難くない。

しかし、このトランプ政権当時の強硬姿勢に大幅に歩み寄ったバイデン大統領の法案は、トランプ前大統領にとっては大統領選において自らの立場が正しかったことを、バイデン政権に譲り渡すことになると反発が高まったようだ。結果として、移民受け入れをめぐる混乱は、バイデン政権の失政であると批判することで、選挙戦も有利にしたいとの意向が働いたようだ。結果として、共和党の新移民法案成立への支持は急激に弱まり、併せて一括法案としてウクライナ支援を追加する法案も成立が危ぶまれることになっている。

さらに、2020年の大統領選挙の結果を覆そうとしたトランプ前大統領の煽動による「議会への突入」事件に関わる訴訟は進行中であり、ワシントンの連邦控訴裁は、2月6日、トランプ前大統領の訴えを退けた連邦地裁の判断を是認している。しかし、トランプ氏は連邦最高裁に上訴する考えのようで、最終的には連邦最高裁の判断が待たれる状況にある。最高裁判事の中には、トランプ氏の被選挙権を否定しないとの考えを持つ判事もいるとの推測も流れて予断を許さない。そこには、トランプ氏から被選挙権を剥奪すれば、懸念される新たな暴動に展開しかねないとの暗黙の圧力が働いているのかもしれない。

トランプ前大統領は立候補を認められ、「アメリカ・ファースト」の主張が支持され、再選されるのだろうか。他方、高齢が懸念されるバイデン大統領は、再選されても任期を全うできるだろうか。今年の大統領候補をめぐる動きからは目を離せない。

アメリカの政治的環境は例を見ない不安定な状況にある。その中で、帰趨に大きな影響を与える移民政策はいかなる方向に向かうのだろうか。次回は、最近時のアメリカ・メキシコ国境をめぐる移民政策の状況について、整理してみたい。


続く

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時代の空気を伝える画家(13):工業化を描いた画家

2024年02月01日 | L.S. ラウリーの作品とその時代


Lowry, Laurence Stephen (L.S. Lowry 1887-1976); Coming from the Mill, ca.1930, The L. S. Lowry Collection
L.S.ラウリー《工場から帰る》

この作品は、以前にも記したが、L.S.ラウリーの「マッチ棒人間」matchstick menが多数描かれた《産業風景》シリーズの中で、最もよく知られたものかもしれない。当初はパステルで描かれ、その後10年近く経って油彩画として制作された。制作時期は1930年代、世界的な大恐慌の最中であった。作品はその後サルフォード市美術館によって購入されたが、L.S.ラウリーは「サルフォード市がこの作品を購入してくれたことは大変嬉しい。というのは、この作品はこの地で最も特徴的な工場風景を描いたものだから」と述べている(S. Rhode, L.S.LOWRY: A LIFE, 2007, p.65)。

大きな会社と思われる建物から、多数の労働者と思われる人々が次々と出てきて、帰宅の道を急いでいる。彼らは誰もが同じように、1日の労働に疲れ果てたように無表情で前屈みに、黙々と歩いている。人々があたかも個性を奪われたように、歩いている光景は、資本主義社会が生み出した労働者という生産手段を持たない多数の人々を的確に象徴しているようだ。

背景には、黄色に点灯された窓が並ぶ巨大な骨組みが、薄暗い午後の空に立っていた。工場では、一様に頭を下げた、小さな、打ちひしがれたような、黒い人影が何百と働いていた。画家はこの光景を、何度も見るとはなしに呆然と眺めていた。

後年、L.S.ラウリーは自らが画家を志すことを決意した時として、1916年、午後4時頃、サルフォード郊外のペンドルベリー駅で列車に乗り遅れた時、プラットフォームから見たアクメ紡績会社の建物であったと述べている。

Acme Mill, 250 Swinton Hall Rd, Pendlebury
この建物は1906年に the Acme Spinning Co. Ltd. として建築され、イギリスで最初にランカシャー電力会社の電力で操業した紡績工場として知られている。6階建の建物で、L S Lowry’の作品‘Coming from the Mill’ (1930).のインスピレーションを生んだ工場として知られている。1969年に解体された。
当時の写真は Salford Local History Libraryに残されている。


経営者の軍隊
大恐慌時代、L.S..ラウリーは次のように話したといわれる:

本当に効率的な全体主義国家とは、政治的ボスが率いる万能の幹部と管理職の軍隊が、強制される必要のない奴隷の集団を支配する国家であろう。

L.S.ラウリー(L.S. Lowry 1887-1976)という画家は、作品、生涯の過ごし方、その他多くの点で稀有な人物であった。今日では、大変人気のある( popular)画家だが、流行に乗った当世風(fashonable)の画風ではなかった。この画家を著名にした「マッチ棒人間」 といわれる独創的な人々の描き方も、その理由のひとつに挙げられるかもしれない。この画家の画風を「範疇化」categolize することができない。他の人々が真似をしても、なかなかラウリーのようには描けないのだ。

L.S.ラウリーは、現代イギリス美術の流れにおいても、かなり特異な存在であった。彼は画家を志す心情として、産業革命の発祥の地 マンチェスターにおいて、自らをその地に置き、その展開の実態を地図上で描き出したいと述べていた。そのため、イングランド北西部を主たる活動領域とし、その地域から出ることはほとんどなかった。産業革命はアメリカでも展開したが、L.S.ラウリーという画家は、今日までほとんど知られていなかった。

工業化・資本主義化を描いた画家
画家は、イギリス北西部に生まれ育った特異なリアリズム画家として、その生涯のほとんどを過ごした。イギリスの北部と南部との経済的・文化的断裂は深く、近年ではサッチャー首相の時代に大きな問題としてクローズアップされた。L.S.ラウリーはイギリスに特有な『工業化』industrialisation, そして資本主義の展開の姿を、絵筆をもって独創的に描き出した画家であった。

「マッチ棒人間」は、イギリス北西部で展開した産業革命の過程で見られた機械化に対する個性を奪われた人間のクローンと考えられる。工業化によって生み出された労働者階級の実態については、多くの作家が書いている。しかし、絵筆をもってその状況を克明に描いた画家は少ない。L.S.ラウリーはイギリス産業革命の盛衰を、ヴィジュアルに記録した歴史家の役割を果たしたといえる。

政治的には、L.S.ラウリーは、保守党支持者であったと思われる。当時は労働者であっても保守党に投票していた。労働党が未成熟であったことも影響している。ちなみに、イギリスで最初の労働党政府が、ラムゼイ・マクドナルドの下に成立したのは、1924年のことだった。

しかし、後に労働党党首、首相を務めた ジェームズ・ハロルド・ウィルソン
James Harold Wilson, Baron Wilson of Rievaulx、(1916年 – 1995)との知己も生まれ、晩年の思想的立場は分からない。

L.S.ラウリーが、マッチ棒人間を描いた作品は、マンチェスター近郊のサルフォードにあるラウリー・ギャラリーに多く収められている。



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N.B.  参考:大恐慌までのサルフォードの変化

1888年 最初の鉄鋼がサルフォードとマンチェスターで生産され、翌年、圧延工場が開設。この地域はイギリスで最も高い煙突群がある地域のひとつとして知られるようになった。Top Place Chimney の名で有毒なガスを排出していた。

1901年 国勢調査でサルフォードはイギリスで最も死亡率の高い地域のひとつとなった。主たる原因は劣悪な住宅事情とされた。

1903年 「女性社会・政治組合」Women’s Social and Political Union(WSPU)がサルフォードに設立された。

1904年 ラウリーはマンチェスターのThos.Alfred & Son事務所の事務員に雇われる。

1909年 家庭の事情でラウリー一家は恵まれたヴィクトリア・パークから工業地域であるサルフォードのペンドルベリー、ステーション・ロードへ移住。ラウリーは、初めて 自宅から歩いて綿工場、炭鉱で働く労働者で混み合う町中や時にはクリフトン、スウィントンなどの人影少ない田舎や畑のある地域へ行くようになった。そして、サルフォードの美術学校でパートタイムで描画を習い始める。

1910年 ラウリーは前職の事故・火災保険会社を解雇され、ポウル・モール不動産会社の家賃収集人となる(1952年に退職するまで勤めた)。

サルフォードのTrafford Park(世界最初の工業団地)完成。

マンチェスターとサルフォードの人口が95万人に達した。綿工場、炭鉱、鉄鋼鋳造、エンジニアリング、鉄道、運河、ドックなどの発展が寄与した。

キング・ジョージV世の戴冠式の月、イギリスは歴史上最大のストライキを経験。125万日の損失。

1920年 大戦間にイギリスの南北格差が広がる。要因は不況が北部の工業地帯に打撃を与えた反面、南部が繁栄したため。

*炭鉱が民有化されるにつれ、政府と労働組合の対立が激しくなった。暗黒の金曜日、運輸・鉄道組合が争議中の炭鉱労組を支持するために、ストライキを要求しないと宣言。鉄道・運輸、炭鉱労組間の3者連携を終わらせた。

ラウリーは労働史におけるこの時期の暗澹とした空気を《ストライキの集まり》The Strike Meeting 1921として、スケッチとして残している。さらに《濡れた地上の炭鉱》Wet Earth Colliery, Dixon Fold 1924(鉛筆画)も現存。石炭生産は急速に減少。

1924年 最初の労働党政府、ラムゼイ・マクドナルドの下に成立。

1928—38年にかけ、ラウリーはパリのSalon d’Automne and Artistes Francaiseに作品展示。

1929年 大恐慌
サルフォードの住宅状況は劣悪のまま。950戸のうち、94は庭なし。67戸は外の水道を使う。152戸はボイラーがない。129戸はトイレット共用。

1930年 でにイギリスの失業者数は230万人に達する。サルフォードでも4人の内、1人は失業していた。
The Housing Actは、スラム問題について初めて包括的な対処を目指し、地方に全てのスラムを撤去するよう指示。

《工場から帰る》
1931 年  マンチェスターの人口は766,311のピークに達した。ある調査によると、サルフォードの一部は全国でも最悪のスラムと判定された。

財政危機の最中、総選挙が実施され、ラムゼー・マクドナルド率いる連立内閣は、公務員、教師、その他の公的な従業員の賃金切り下げを実施。

失業者の賃金切り下げに反対しての’Battle of Bexley Square’として知られるサルフォードの失業者のデモ

アメリカから発した大恐慌は、イギリス北西部の造船、炭鉱、繊維産業に大打撃を与え、失業率は50%を越えた。南部、中部のある地域では4%程度に止まっていた。

1933年  マンチェスターは市のスラムを全廃する計画に着手。15000件の家が対象となった。古い家の破壊と新たな家の建築が同時に行われた。

1936年  ラウリーはマンチェスター・アカデミーに参加。Royal Society of British Artistsの会員に選ばれた。

ジョージ・オーウエルは彼の『ウイガン波止場への道』執筆のための調査でマンチェスターを訪れた。彼は3d.しか手持ちがなかったので、小切手を現金化しようとしたが、断られた。彼はブートル街の警察で保証をしてくれる弁護士を紹介してくれるよう依頼したが、断られた。オーウエルは知らない町で一文なしの状態となった。『恐ろしく寒かった。街路は煤煙でひどい黒色になって凍りついていた』と回顧している。

Clark and Wagner, Notes に依拠
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Reference
T.J.Clark and Anne M. Wagner, LOWRY AND THE PAINTING OF MODERN LIFE, Tate Publishing,2013
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